瞑想のすすめ ~ときにはチンパンジーのように~

倉名まさ

第1回 いま・ここにあるということ

 お立ち寄り頂きありがとうございます。

 本稿は私、倉名まさが私的体験を通じ瞑想について思うことをつづる、連作(の予定)エッセイです。


 専門的知識に基づくものでも、また、言うまでもなく特定の宗教への勧誘を目的とするものでもありません。 


 このようなエッセイを書いて発表するくらいだから、さぞ瞑想の達人なのだろうと期待を抱かれる方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、まったくそんなことはありません。


 道半ば、というかズブズブの初心者です。

 ただ、それなりの年月のあいだ、瞑想への関心を持ち、宗教の垣根にとらわれず瞑想に関する書籍は読みあさり、自分なりの実践を繰り返してきました。言うなれば、アマチュアの瞑想マニアといったところです。


 本職の方がもし、当エッセイを見かけたならお叱りを受けるかもしれませんが、アマチュアだからこそ、瞑想というものがよく分からないというみなさまと同じ視点で語れることもあるのではないかと思っています。


 今作の執筆を思いたったのも「瞑想について悟ったぞ! みなに伝えなければ」というお釈迦様の慈悲のようなポジティブな理由ではなく、最近、私自身が瞑想的生活をおろそかにしがちで、一度文章に起こすことで、いま一度、瞑想の何たるかに立ち返りたいという大変に私的動機に基づくものです。


 一素人の私見であるとご理解のうえ、お読み頂きましたら幸いです。

 もし、本稿をお読みくださった方の中で、誤解や間違った見解があると気づきましたら、ご指摘頂けましたら幸いです。


 さて、第一回ということで何を語るべきかですが、大学生の時分に哲学科を専攻していたときの思考のクセで、やはり最初はそもそも論、言葉の定義から始めようかと思います。


 瞑想とは何か?

 過程も議論もすっ飛ばし、私の体験から結論を言います。


 “いま”、“ここ”に意識を向けることである、と私は体感しています。

 もちろん、それがすべてではありません。


 瞑想には様々な側面があることは私のような素人でも分かりますが、それらについては第二回以降順々に語りたいと思います。


 今回は私がもっとも重要と感じること、瞑想の第一と思うこと、いまここへの集中、についてお話しします。


 瞑想というと、坐禅を組み、心静かに呼吸し、精神統一を行うこと、と考える方がほとんどかと思います。もちろん、それは間違いではありません。


 ただ、坐禅の姿勢は、それが瞑想状態(いま・ここに意識が集中する)にもっとも入りやすいという先人たちの見出した智慧から、行われているものと考えられます。


 いくら坐禅を組んでいようと、意識がいま・ここになければそれは瞑想とは言いがたく、ただポーズを真似ているだけに過ぎません。


 また、たとえ座禅中、心安らかにいま・ここに意識があったとしても「よっこらしょ」と立ち上がり、日常生活に戻った瞬間にその感覚が雲散霧消してしまうのであれば、瞑想する意味は薄いのではないかと思います。


 もしも、お寺か瞑想センターかで瞑想を体験するか、書籍などを頼りに自宅で実践し、その片鱗なりとも何かを感じたなら、それを一回きりの体験で終わらせてしまうのはもったいないことです。


 常住坐臥、駅に向かって歩いているときも、仕事をしているときも、食事をしているときも常に意識がその瞬間瞬間、いま・ここにあってこそ瞑想の意義があるように思います。


 人間は誰しも常に過去と未来に意識が振り回されています。


 過去の良かった思い出を懐かしむあまり、それにとらわれ、いつまでもその記憶にばかりすがりつくことはないでしょうか。


 また、過去の失敗体験が忘れられず、自己嫌悪が止まらないことも、少なくないかと思います。


 未来を不安視するあまり、いま現在の自分をいじめている、不満をがまんし続けているということはありませんか。


 逆に、大金が手に入る、願望が叶うなどの、自分にとって都合の良い未来を妄想するあまり、現在の自分がすべきことを怠けている、ということもあるかもしれません。(人間は本能的に、悲観的な未来を予測する生きものなので、前者ほど多くはないかもしれませんが……)


 しかしながら、どんな人間もいま現在以外のときを生きることは不可能です。

 これは、はっきりと言える、厳然たる事実です。

 あなたも私も、いま・ここにしか存在しません。


 で、あるならば、いま・ここに意識を定めるということは、“本来の自分に立ち返る”行為である、とも言いかえらます。


 本来あるべき自分に還る、というのは有意義であるばかりでなく、とても心地良い感覚でもあります。

 古来、人類が瞑想に惹かれ続け、実践し続けた理由のひとつはここにあるのではないか、と考えられます。


 もちろん、過去の反省を踏まえ今に活かすことも、未来の目標に向かって邁進することも大切なことです。

 注意すべきは、過去や未来に、意識がとらわれ過ぎないようにすることです。

 繰り返しますが、誰しもいま・ここ以外に生きるすべはないのですから。


 ここまでお読み頂きありがとうございました。

 次回は、いま・ここに集中することの名手、我々の大先輩、チンパンジー先生にご登場頂き、第一回のお話をさらに深く掘り下げてみたいと思います。


 ご意見、感想、疑問なことなどありましたら、コメント頂けましたら嬉しいです。

 今後の連載のネタにさせて頂くかもしれませんので、今回の内容と無関係であっても、ご遠慮なく質問頂けましたら幸いです。

(繰り返しますが、私は一素人なので、必ずしも満足いくお答えができるかは分かりませんが)


 それでは、最後にあなたのいま・ここが幸せであることを願いまして、第一回分の締めとさせて頂きます。次回も、どうぞお楽しみに。

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瞑想のすすめ ~ときにはチンパンジーのように~ 倉名まさ @masa_kurana

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