第3章 ゲスな女
第1話 罪悪感
今回の患者は、3人も殺している。その他にも、多くの犯罪を犯している。しかし、初めて接見した時の印象は、話しが止まらない、笑顔いっぱいの可愛らしい30歳前後の女性という感じだった。
これが仕事じゃなければ、一緒にいて可愛い、若い女の子として、付き合いたいと思うぐらいの感じなのだが、3人も殺しているんだから、侮ってはいけない。外見で騙そうとしているのかもしれないし。
しかも、自分は、正義のためにやっていて、どれだけ、この世の中を良くするために役立ってきたか、自分は天使だと言って、自慢げに、過去の犯罪の数々を話し続けている。
こういう、全く罪悪感がない患者が一番、難しい。罪悪感があれば、犯罪を犯すに至った気持ちと、犯罪を反省する気持ちとの葛藤があり、その矛盾から、その人の心をこじ開けることができる。
しかし、罪悪感がないと、何が悪いのかとあっけらかんとして心のヒダがない。そもそも、やったことはどうして悪いのかということから理解させなければいけない。今回の案件は、苦労しそうだ。
「あなたが付き合っていた 斎藤 勝己さんと、その彼女の 菊池 萌さんは交通事故で亡くなったと最初は見られていましたが、それはあなたが信号を操作した結果で、あなたが2人を殺害したという罪が認定されています。それは正しいのですよね。」
「よく知ってるじゃない。そのとおり。実際に殺したのは、突っ込んで行った車の運転手だけど、私が、それを後押ししてあげたの。だって、あの2人は、私にひどい仕打ちをしたのよ。それにふさわしい罰を与えただけ。当然のことでしょ。TVとかで聞いた気もするけど、天誅と言ったっけ。江戸時代とかで、役人とかに虐げられて、お金を渡すと、復讐をしてくれるという番組。それと同じかも。私も、必殺仕事人ね。かっこいいじゃない。」
「この2人は、あなたに、何をしたんですか。」
「聞いてよ。酷んだから。元々、私が勝己と付き合っていたの。それなのに、他人の彼氏に、ゴルフで会った後、食事に誘い、見るのも恥ずかしい、透け透けの下着写真とか送って男性の性欲を刺激して、私の彼を奪ったのよ。」
「それは、彼が断ればいいだけの話しですよね。」
「そんな簡単な女じゃないから困ったのよ。それとも、なんか、私に喧嘩売ってるの?」
「そうではなく、いろいろな可能性を考えてるんですよ。」
「ごめんなさい。少し、カッときちゃった。誤解しないでね。私は、温厚で、普通にどこにでもいる可愛い女性なの。」
感情の起伏が大きい女性みたいだ。それはそうか。殺人もしながら、甘ったるく、上目遣いに私のことを見てくる様子を見ると、本当の彼女はどこにいるのかわからない。
でも、こんな可愛い姿をしていても、目の中には、私のことを警戒して、何かあれば論理をすり替えようとか、用意周到な考えを巡らしているようにも見える。侮れない相手だ。
やや暗く、テーブルにある電灯が強い光を放つ部屋で、私は、この得体の知れない女性を前に、息苦しくなっていた。私に、この患者を治せるのだろうか。
そういう私の心配をよそに、患者は軽快に話しを続けた。
「女の体を使って、勝己を誘惑し、人の彼を奪っていくあの女が悪いの。それで、あまり女性に免疫がない勝己が引っかかっちゃったんだと思う。ホテルで2人でベットの上で撮った写真とかも見つかって、本当に、気持ち悪い。吐き気がしそう。先生は、そういうことをしていいって思ってるの。」
「悪いと思ってますよ。でも、だからといって、2人を殺害していいわけないでしょう。」
「先生も、お幸せな人なんですね。お子さんがいるかわからないけど、例えば、先生のお子さんがいて、肝臓を1つ取り出されて臓器売買されたとするじゃない。もう1つの肝臓で生きてるんだから、子供にそんなことをした人を恨むのは筋違いだって言われて、納得する?」
「ちょっと、例えが極端だと思うんですが、私が言いたいのは、殺すのは、やりすぎだっていうことなんです。」
話しの展開のテンポはよく、論理展開は、それ程ずれてもいない。ただ、私の言いたいことを、別の問題にすり替え、巧妙に指摘を受け流している。この患者は、これまでも、このように生きてきたのだろうか。
周りで起きることを、自分に都合よく解釈し、自分の都合のいい結論になるように行動してきたんだろうか。
相手が自分に不利になる存在なら、相手の悪いところを探し、そのために排除されるべきだと。そして、最初は、そう考えていても、時間が経つ中で、それがあたかも正論だと信じきっている。信じきっている人の考えを変えるのは至難の技だ。
「私は、信号機を少しだけいじっただけ。あの女たちには不幸なことに、その時に車が来て、轢かれちゃった。私は、そんなに悪いことしたわけじゃないと思うんだけど。さっきの例でいえば、先生がお子さんの臓器売買について、売買したブローカーに文句の電話を入れたのと同じぐらいだと思うわよ。」
「あなたは、車がきて、2人が轢かれることを見越した上で、信号機の操作をしたんでしょ。全く違います。」
「どうしてわからないかな? 簡単にいうと、人に害を与えた人には罰がくだるのよ。それはわかる?」
「それはわかります。ただ、あなたは処罰するんじゃなくて、処罰は警察とか裁判所に任せてください。」
「じゃあ、学校で、先生がいじめを見つけた時に、裁判所に行かないと、やめろとはいえないということ?」
「そういうことじゃなくて。」
話しが噛み合わない。私が言葉が足りないのだろうか。
「さっきまでの話しだと、斎藤さんを誘惑した菊池さんが悪いということでしたが、それなら、どうして斎藤さんも殺害したのですか?」
「あの女を殺害しようと思ったら、勝己も一緒に歩いていて、勝己も轢かれちゃった。別に、勝己を殺したかったわけじゃないわ。」
「じゃあ、菊池さんは殺したかったということですね。」
「まあ、死んじゃえばいいとは思っていたことは認める。」
「人の命は尊いんです。いくら悪いことしても、殺していいわけじゃないんです。」
「でも、死刑とかあるじゃない。なんか、あなたの話し、矛盾してない?」
ああ言えば、こう言うの典型だな。こんな議論を重ねていても、抜本的な治療につながらない。どうすべきだろうか。
「死刑の是非は別として、あなたが菊池さんの行動に怒るのは、誰も否定していません。ただ、人を殺害するのがおかしいと言ってるんです。」
「若い女性にとって恋愛って、人生そのものという時期があるのよ。そんな時に、彼を奪った人は死に値するという考えもあることは理解してよ。」
「今日は、ここまでにしましょう。」
冷房が効いた刑務所から出ると、いきなり太陽の強い日差しが私を突き刺してきた。温暖化とは聞いているが、それにしても、暑い。殺人ビームのようで、とても人が歩ける環境じゃない。
精神科のカウンセラーと言っても、刑務所専属で、そんなに給料がいいわけじゃない。だから、駅まで、どんなに暑くても歩いていくしかない。倒れるんじゃないかと思って歩いている時に、3ヶ月ぐらい前の患者のことを思い出していた。
私は、その患者から刑務所内で首を絞められて、刑務官がなんとか気付いたから助かったが、そうでなければ死んでたところだ。気を許してはいけないな。一見、こんなに可愛らしい人でも、心を病めば、いきなり暴力を仕掛けてくることもあるから。
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