最低な君が好き

シトラス

第1話

「君は彼女とかいないの?」

「…いるよ」


 隣を歩く辻 沙織はいつのもポーカーフェイスをやめ、珍しく驚いた顔をして歩みを止める。きっと俺に彼女がいないと思って話したのだろう。実際、俺には彼女なんていない。当たり前だ、今まさに目の前の辻に恋をしているのだから。

 しかし、辻には彼氏がいる。それに対する少しもの抵抗として嘘をついた。


「…そうなんだ」


 辻は驚いた顔をいつものポーカーフェイスに戻す。


「じゃあさ」


 辻は自分が止まったことでできた俺との距離を詰める。


「彼氏彼女がいる者同士、いけないことしない?」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「昨日あの人にキスしないかって言われた」

「…そうか」

「…嫉妬しないの?」

「別にただの空き教室を使うだけの仲だしなぁ…」


 放課後、元々ボランティア部が使っていた部室を勝手に使い、何故かあるソファーで読書を楽しんでいると、辻も勝手に入ってきて俺の横のソファーに座った。


「ちなみにこの部屋広いから俺の横以外にスペースいっぱいあるんだよな」

「そう」


 辻はそんなことなど興味ない様子で適当に反応する。


「辻、男ってのはそれっぽいことをされればすぐに勘違いする悲しき生き物なんだ」

「うん」


 辻はまたしても興味ない様子で適当に反応する。なんかさっきから機嫌わるいなぁなどと思っていると辻はいきなり俺の肩に頭を預ける。


「…それっぽいことってのがわからなかったなら言うけど、こういうのが勘違いするって言ってるんだ」

「そのためにやってる」


 わからないの?と言いたげな口調だった。


「…学校のマドンナ様に頭預けられるのは喜ばしいことなんだけど、生憎まだ死にたくないんだよな」

「そうだね、このことが知れ渡ればこの学校の男子もあの人も君を殺しに行くだろうね」


 辻は少し笑いながら恐ろしいことを言う。綺麗で肩辺りまで伸びた黒髪、すらっとしたスタイル、挙げていけばキリがないほど辻は美少女だ。学校に限らず、彼女にお近づきになりたい人間はとても多い。しかし、彼女はあの人こと彼氏様がいることを公表している。なのでバレてしまえばずっと近付くことができなかった男どもとあの人こと彼氏様に血祭りにされるだろう。


「でも君、やめてほしくはないんでしょ?」

「…」


 何も言い返せない。どうして好きな相手に頭を預けられて、それを拒絶できるだろうか。

 辻は何も言い返せない俺を良く思ったのか、少し満足気味だった。…まぁ辻の気分が良くなったのでいいとしよう。俺は変わらず読書を続ける。しばらくすると、辻は肩から頭を上げる。


「満足してくれたか」

「全然。どっかの誰かさんが美少女が頭を預けてるのにそれを無視して読書を楽しんでるから」


 そう言う割には最初よりも上機嫌そうに見えた。


「そういえば君はいつもここで何を読んでるの?」

「別に決まったのを見てる訳じゃないな、ジャンルもバラバラだし」

「じゃあ今は何読んでるの?」

「夏目漱石の『こころ』」

「そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ」

「よくご存じで」

「読んだことあるからね」


 「ここら辺は本屋が一軒しかなくて読めない本があったりでつらいよ」と辻は続けて言う。


「確かにあそこも大きいわけじゃないし、置いてないのも多いよな」

「おかげで離れてタイトルが読めなくても何の本かもわかるようになっちゃったよ」

「同じく」

「だからさ、」


 辻は話すのを止めて目の前にあるテーブルの奥にある本を指さす。


「あの本が『こころ』ってのもわかるし、君が三島由紀夫の『春の雪』を読んでるのも知ってるよ」

「…」


 表紙を見ると、そこにはしっかり『春の雪』と『三島由紀夫』の文字が印刷されていた。


「…悪い、考え事をしてて適当に答えた」

「珍しいね。何考えたの?」


 俺は全く頭に入ってこなかった本を閉じて一つため息をつく。


「…君があの人とほんとにキスしたのか考えてた」

「ふーん…」


 思いっきり恥ずかしい発言をさせられたのに、辻の感想はあっけなかった。


「じゃあさ」


 彼女はずっとポーカーフェイスでなかなか感情をくみ取れない。だから声色で感情を把握するしかない。しかし、それもそこそこの時間一緒の時間を過ごさなくてはわからないだろう。


「上書き、してくれない?」


 そこそこの時間を一緒に過ごした俺には、彼女がとても楽しそうにしてることが分かった。


「少し前に『いけないことをしないか』って言われた時の返信はまだしてないぞ」


 俺はあの時、「少し考えたい」と答えた。noと答えれば彼女は恐らく俺の前から消えてしまうだろう。反対にyesと答えれば辻は本当にいけないこととやらをするだろう。流石にそれを肯定することは辻の為にもできない。


「そうだね。ほんとは早く返信が欲しいけど、君だって考えたいよね」


 辻はただでさえ近かった距離を更に近づけ、無理やりキスをしてきた。


「でも我慢できないし、勝手に上書きさせてもらうね」

「提案の意味よ…」


 満足そうな辻にため息交じりに言葉を零す。


「ちなみにあの人とはキスなんかしてないよ。ただ嫉妬させたかっただけ」

「そうか···」


 満足してくれたおかげかそんな本心まで話してくれた。一方俺は疲れ切っていた。


「もう一度しない?」

「…無理やりされたおかげで口の中血だらけなんだけど」


 口を濯ぐため水道へ向かおうと立ち上がろうとすると、辻に手首をつかまれる。


「私も口の中血だらけ」

「一緒に濯ぎに行くか」


 辻は首を振る。


「私たち血液型同じだよね」

「感染症のリスクが···」

「その時は君が看病してね」


 なるほどこの手は放してくれないらしい。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「···もう真っ暗なんだけど」

「ね」

「ね、じゃないでしょ。帰るぞ」


 引っ付いている辻を引き剥がし、帰るよう促す。


「えー。じゃ最後に1個だけ」


 最後、という言葉を聞き、つい俺は引き剥がす力を緩めてしまった。

 辻は何を思ったのか俺を座っているソファーに押し倒してきた。


「···おい」

「油断したね」


 俺を押し倒した辻は、俺の上に跨り相も変わらずポーカーフェイスを披露する。


「帰れないんだけど」

「あれの返信を、それも良い返事してくれれば退くよ」


 辻はどうしても良い返事が欲しいらしい。かといって、返信をしてしまえ辻は本当にいけないことをするという可能性もある。

 少し考えた結果、一旦何も答えず、時間が解決することを願うのが最前だと考えた。


「答えないなら私にも手があるよ」


 辻はそう言うとおもむろに上着を脱ぎ始めた。


「おい、止まれ」

「君が良い返信をしてくれるまで止まらないよ」


 辻は言葉通り止まらない。


「わかった、降参だ。返信はyesだ。いくらでもいけないことをしよう」

「···ほんと?」


 辻は動きを止めて確認をする。いけないことを肯定することにはなるが、それが今まさに行われようとしてるのだから仕方ない。これで一時を凌げるならというものだろう。俺は頷くと、辻は「嬉しい」と一言零した。


「じゃあ、早速しようか。いけないこと」

「は?」


 辻は再び脱ぎ始めた。


「おい!」

「止まらないよ。いないことするんでしょ?」


 俺はyesと言えば止まると考えた思考の浅はかさを恨まずにはいられなかった。既に上着を脱ぎ終え、今度はスカートに手を伸ばし始めた。


「いいや、止まってもらう。それ以上は不純異性交遊で俺がめんどくさい」


 いきなり新しい声が聞こえ、俺と辻は驚いていつの間にか開かれた扉を見る。そこには扉にもたれ掛かる俺たちの担任の姿があった。


「なにしてんだお前ら···」


 担任任は呆れた顔をしながら、ため息をついた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「俺、久々に正座なんてしたよ。先生」

「私も」

「先生も正座なんてさせたの初めてだ」


 担任はまたもや呆れた顔をする。


「まぁ今回は未遂で済んでるし正座だけで終わりにしてやる。さっさと帰れ」


 担任はめんどくさそうに帰るよう促す。迷惑をかけてしまっているの自覚もあるので辻といそいそと帰る準備をする。


「そういやお前彼女なんていたんだな。先生知らなかったよ」

「いないですしいても言いませんよ」


 言い終わった途端自分の失言に気付く。急いで辻の方を見ると辻は目を見開いてこちらを見ていた。


「付き合ってもねぇのにあんなことしてたのかよ···。ちゃんと手順踏んでやれよな」

「···準備できたんで帰ります」

「おう、そうしろ」


 担任に別れを告げて校舎をでるまでの間、辻は隣にいたが一言も喋らなかった。


「着いてきて」


 校舎から少し歩いたところでやっと辻は口を開いた。言われるがままに辻について行くと、路地裏で辻は止まった。

 辻はバックをボスッと音を立てながら下ろし、俺を壁と挟み込んだ後、俺を閉じ込めるように手を壁に着いた。


「彼女···いないんじゃん」


 辻は頭を下にして言葉を吐いた。


「···悪い、嘘をついた」

「私にだけ、いけないことさせようとしたんだ」


 そうしようと思ってしたことでは無いが、結果的にそうなってしまったので何も言えない。


「最低だね。君」


 少しくぐもった声で罵倒される。


「ほんとに、ほんとに最低。最低なのに···」


 なのに、と鼻をすする音とともに声を発する。顔を上げた辻は泣いていた。


「最低なのに、君が好きな気持ちは変わらないんだ」


 辻は痛いくらいに抱きついてくる。


「最低な君が好き」

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