1-16





「ミナモちゃん?手、離してくれないかな?」


 小さな体に見合わず、かなり力が強い。力任せに振り切るのは難しそうだ。


 ちょいちょい口調が変わってるし、普通の女の子じゃないのはわかる。良いところのお嬢様なのかもしれないけど、そんな女の子が『結婚するって言って!』などと迫ってくるのだ。


 昨日、月夜野さんにも言質を取られたが、お嬢様界隈では簡単な口約束は後々かなり重くのしかかってくるのかもしれない。


 面倒だから了承しておくか、という答えは絶対にダメだ。俺がここでするべき最適解は、これ以上ミナモちゃんの相手をしないで家に帰ること!


「俺、急いで家に帰らなきゃいけないんだ。だから離してくれないかな?」

「なりません!このまま護様に結婚の言質がもらえなければ、お、お母様に・・・・・・」


 もはや口調をもどす余裕もないようだ。まさに顔を青くしながら、ミナモちゃんはガタガタと震えていた。


「そうか。よくわからないけど、大変なんだね。じゃあさ、俺にできることなら協力するから、1回手を離してくれる?」

「ほ、本当ですか!わかりました」


 するりと、俺の腕からミナモちゃんの手が離れた。その一瞬の隙を見逃すことなく、俺は全力ダッシュを敢行する。


「ごめんね~!」

「な!だ、だましましたね護様ぁ!」


 ミナモちゃんも慌てて走り出したようだがもう遅い。この2週間の訓練により、俺の走力は格段に上がっている。全力疾走をしても5分は走り続けられる体力もついたのだ。


 トップスピードにのった俺に、追いつけることはできないだろう。


「ま、待って、待ってよお兄ちゃ~ん!きゃあ!」


 後ろでバタンという大きな音と共に、悲鳴が聞こえた。口調が変わったってことは、俺をだますための演技に違いない。


「う、うえぇん。い、痛いよぉ。足、すりむいちゃったよぉ。お兄ちゃん、お兄ちゃ~ん」

「・・・・・・」


 演技だというのはわかっていた。わかっていたはずなのに、もしかしたら本当に転んだかもしれない、けがをしたかもしれない、そう思ったら足を止め、振り返っていた。


「ふふ、お優しいんですね、お兄ちゃん?」


 振り返った瞬間、胸に衝撃が走る。大盾で東さんの拳を受けたときのような強い衝撃と、ふにゃりと柔らかい感触が。


「捕まえました。さあ、結婚すると言ってもらうまで離しませんよ!」


 ぎゅうぎゅうと抱きついてくると、ミナモちゃんの成長著しい部分が俺に押しつけられる。身長は小さいのに、一部分は月夜野さん以上かもしれない!


 そ、そんなことを考えている場合じゃない。そっちに意識を集中させると、思考があらぬ方向に飛んで行ってしまいそうだ。


「こ、こうなったら、このまま家に帰るしかないか」

「さ、させませんよ・・・・・・きゃ!」


 俺の力が抜けたせいか、ミナモちゃんに強引に引っ張られたせいか、俺たちの体はミナモちゃんに引き倒されるように地面へと投げ出される。


この形で倒れると、傍から見たら俺がミナモちゃんを押し倒したように見えるかもしれない。まさかとは思うが、ラブコメみたいに物理法則が崩壊してあんなところやこんなところをタッチしてしまう可能性もゼロではない。


そんなことになれば、また結婚がどうとか騒がれかねない。それは絶対に阻止だ!


 そんな刹那の判断で、俺はくるりと体を捻った。


「びぎゃ!」


 そのせいで、最悪なことにミナモちゃんは顔面から地面に突っ込んでしまう。転んでまで俺から手を離さなかったせいだろう。とっとと離せば良かったのに。


「痛っ!」


 よりによって、おでこを打ち付けてしまい、そこから血が流れ出していた。おでこは血が出やすいって言うけど、本当なんだな。


 とりあえず血が服につかないように、ハンカチを傷口に当ててやる。洗濯してもらったばっかりだから、清潔だよね?


「う、うぅ。申し訳ありません。誠様のハンカチを汚してしまって」

「とりあえずそれでしっかり押さえといて」

「ちょ、いきなり何を!きゃ!」


 ミナモちゃんに傷口を押さえさせ、俺はやや強引に彼女の体を抱きかかえる。いわゆるお姫様抱っこというヤツだ。


 体が小さいから、こうやって抱きかかえても苦ではない。まったく、こんなに軽いのに月夜野さんより大きいなんて。


「え?うそ、護!帰ってきたの?」


 どこかから上野さんの声が?下手をすると、ミナモちゃんのほうが上野さんよりも育っているかもしれない。そんな想像が幻聴を引き起こしたとでもいうのか!


 俺は幻聴に振り返ることなく、自宅への道をひた走る。そこまで距離は無いけど。


「あ、あの、護様。これはさすがに、恥ずかしいです」

「ごめん。でも、血が出てるときはあんまり動かない方がいいから。すぐ家に着くから、それまで我慢して」

「え!ちょっと待ってください。今、護様のご自宅に向かわれているのですか?」

「護待ってぇ!」

「そうだよ。うちなら救急箱もあるし。早く消毒しないと」

「だ、ダメですダメです!まだ護様のご自宅にお邪魔するわけには」

「待ってぇ・・・ねぇ・・・は、早いよぉ」


 腕の中でミナモちゃんが暴れるので、俺は仕方なく速度を上げて自宅までの道のりを走りきった。


「よし、とりあえず家に入ろっか」

「あの、そ、その、ですね。できれば、その前に結婚のことを―――」

「ただいま~!」


 ミナモちゃんの言葉を無視して、勢い良く玄関を開ける。


「お、お父さん、何やってるの?」


 玄関を開けた瞬間に飛び込んできた光景を、俺の脳は処理しきれなかった。


 だって、久しぶりの我が家に帰ってきたと思ったら、玄関先で自分の父親が知らない女の人に四つん這いにさせられて、頭を踏みつけられているなんて、理解できないでしょ?


 まさか、息子がいないのを良いことに、その道のお姉さんを呼んじゃったのか?お母さんだっているはずなのに?


「護、久しぶりだな。元気にしてたか?」

「お、俺は元気だけど、帰って来ないほうが良かったかな?」

「何言ってんだ。大事な息子が帰って来ないほうが良かったなんて、思うわけないだうぎゃ!」


 お父さんの言葉が終わる前に、お姉さんが足でお父さんの頭を力強く踏みつけた。哀れ我が父は、そのままフローリングにキスすることになってしまう。


「へぇ~、2週間ぶりに帰ってきた息子は歓迎するのに、20年ぶりに帰ってきた妹は歓迎してくれないんですね、お兄ちゃん?」


 顔は笑っているのに、我が父を見つめるその視線だけは、まるで氷のように冷たく、刺すように鋭い。穏やかな口調が逆に怖い。お姉さんを呼んで妹SMプレイとか、ちょっとレベルが高すぎて中学生の俺にはとても理解できん。


「お父さん、その、そういうのは、うちに呼ぶよりお店に行ったほうが良いんじゃないかな?」

「ち、違うぞ護!お父さんはお姉さんをデリバリーしたわけじゃない!こいつは、俺の妹なんだ!」

「ソ、ソウナンデスネー」


 その言い訳はさすがに苦しい。苦しいけど、信じたフリをしてやるのも優しさってものだよね。


「はじめまして、護さん。私は水姫。あなたのお父さんの妹で、護さんの叔母にあたります。そして、護さんが抱えているのが、私の娘です」


 お姉さんは、先ほどまでの冷たい視線がウソのように温かく微笑む。その顔を見て、どこか懐かしいような、どこかで見たことがあるような気分になった。


 確かに、ミナモちゃんと似た面持ちをしているけど、それとは別に、どこかで見たことがあるような・・・・・・


「あら、水萌。あなた顔にケガを?」

「も、申し訳ありません、お母様」

「まったく。女の子が顔に傷を残すと、嫁ぎ先がなくなりますよ。ねえ、護さん?」

「「ぴぃ!」」


 突然圧が増した笑顔に、俺とミナモちゃんはお互いを強く抱きしめ合うほどに恐怖してしまった。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る