第2話 幕が上がるとき

 ソフィアは、ふんっと鼻を鳴らし、顔を寄せて答える。


「『まだ』だって? 当たり前だろう。私をだましたのだから」


「騙してない」


 アレクシスは反射的に言い返すと、肩を落とす。


「十年前、君は私の父に『もう二度とここへは来ない』と言っていたからね。以来ずっと西だ」


 アレクシスの哀愁あいしゅうを帯びた、しかし優しさで包み込むような声に、ソフィアは口を閉ざす。これ以上言うのはさすがに心が痛んだので、言葉を重ねるのをやめ、椅子に体重をゆだねた。


 十年前、ソフィアは若干二十歳という若さで、セルディア王国の王家周辺を守る「影の護衛」を任されていた。


 しかし、彼女は貴族でもなく、ましてや騎士の出身でもない。


 では、何故王家の護衛をすることになったかといえば、三十年近く前から起こっている貴族たちの戦いのために、名も知られていなかったソフィアの一族、「リョダリ」が王家を守るための契約を結ぶことになったからである。


 当時、税金の問題で、貴族の間では王家派と反対派と大きく二つの派閥に分かれ、対立していた。


 現王でもあるフェリウス二世は、これまで貴族や宗官(=聖職者のような仕事)、商人に行ってきた税金免除を無くし、取るところからきっちり税収を取って財政を安定させようと考えていた。だが、甘い汁を吸っていた者たちは当然反対。


 以来口だけの争いから、次第に王を引きずり降ろそうとするようになり、暗殺者がうろつき始めたのである。


 現王の家族を守らなければならないと思った王家派の貴族たちは、考えた末に「リョダリ」という一族に王家護衛の依頼をしたのだった。


「リョダリ」はセルディア王国の西の国境付近に住む者たちで、「戦いに優れている」ことが風の便りによって聞かれていた。


 彼らは陸路で隣国へ行く商人たちを盗賊とうぞくから守ることで、生活費を稼いでいたのである。


 リョダリは貴族との契約以後、王家の護衛をするようになり、ソフィアも十八歳から、王はもちろん王妃、王子たちの護衛も担ってきた。


 だが、この国では王を守るだけでは、どうにもならない問題があったのである。それが闇取引オウルス・クロウである。


「オウルス・クロウ」では、表立ってやり取りすることができない、盗品や人間の売買が行われる。王家では以前からこの取引の存在を知っていたが、煙のように現れ、いつの間にか消えているために、被害の声は聞こえてくるも実態が中々掴めなかった。


 だが、何もしないでいれば彼らがのさばるのは分かり切ったことである。また、民を導くべき貴族が絡んでいることも看過できなかった。


 そのため、王家と彼らに特に近い貴族たちが秘密裏に潜入捜査班を結成し、調べることにしたのである。


 ソフィアは王家の護衛の腕を買われ、「シンファ」という偽名で、二十歳から二年間アレクシスの父であるヒューゴと共に、「オウルス・クロウ」に盗まれたものや、捕まった人を助けるために潜入捜査をしていた。


 しかし、ソフィアが二十二歳のときに問題が起こった。助けるべき人を助けられなかったのである。

 ソフィアが潜入捜査から身を引いたのもそのことが原因であり、ここへ二度と戻ってこないとも宣言したことも、はっきりと覚えている。


 何より、あの日のことは忘れたくても忘れられないのだ。思い出せば、ソフィアの胸の奥には苦いものが広がる。


 護衛の経験はあるし、大抵の戦いに勝つ自信もある。

 だが、「オウルス・クロウ」が相手となると訳が違う。彼らは襲う相手を決めると誰だろうと躊躇ちゅうちょしない。


 そのため、今回の仕事はいまいち乗り気になれなかった。


(上手くいくだろうか……)


 彼女が心の中で問いかけたときである。急に会場に来ていた人々から歓声が上がった。


 周囲の声に反応し、アレクシスとソフィアが壇上だんじょうに視線を移すと、取引の舞台に次々と商品が運び込まれて来た。そして会場に響くようにマイクを取った一人の男が、壇の中央に立つとうやうやしくこうべれる。


紳士淑女しんししゅくじょの皆さま、ご機嫌よう」


 目と口の部分だけ三日月型に切り取られた、白地の仮面を被った男は、こもった声でそう言った。


「始まったな」


 アレクシスが静かに言うと、ソフィアは「ああ」と淡々とうなずく。

 不気味な笑みの仮面を見るのは久しぶりだが、十年前と何も変わっていない。


今宵こよいも始まりました。オウルス・クロウ。開催は二年ぶりでしょうか。きっと皆さま、待ちに待ったことでしょう。それにしても、これほどまでに長いこと開催しなかったことは今までにありませんでした。そのため皆さまは、私たちがとうとうついにやみの中へ姿を消したと思ったかもしれません。しかし、ご覧ください! 私たちは、不死鳥ふしちょうのごとく復活いたしました!」


 観客席から拍手がき起こったが、ソフィアは司会の男が放った言葉に愕然がくぜんとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る