第一章

第1話 闇取引の舞台

 ソフィアが階段を上り切り、開かれた扉を通ると、蝋燭ろうそくの火がともる立派な劇場に入った。


 彼女は後ろから来る人の邪魔にならないよう歩を進め、ゆっくりと全体を見渡す。


 舞台の上ではすでにもよおしが始まっていたが、取引前の軽い余興よきょうだからだろう。ほとんどの人は興味がないようで、席を立っておしゃべりをしたり、場内を行ったり来たりしている。


 さまざまな背格好の男女がいるが、彼らの顔は判然としない。


 蝋燭の頼りない光だから見えないというだけでなく、誰も彼もが仮面を被ったり、変わった化粧をほどこしたりして、顔を隠しているせいだ。


 それでも、彼らがどれくらいの階級の人間なのかは、服装や身に着けているもので大体想像ができる。


 男たちの多くは上等な毛で織られたタキシードに身を包み、太い指にはそれと同じくらいの宝石を輝かせており、女たちはこの場所に合わせて色の暗いものを着ているが、ドレスには細かい宝石がい付けられており、動くと蝋燭の炎できらめいていた。


 さらに女性たちは日々時間をかけて磨いている美しい自分を見せるために、体の線がはっきりと見える形のものや、首元や胸元をさらけ出しているものが多い。


 彼らは自らを着飾ることで、それにかける金と時間があることを誇示こじしているのだ。言い換えれば、彼らは貴族か事業が成功している商人、もしくは正当な方法以外で成り上がった者たちということである。


 対するソフィアは、露出ろしゅつが少ない質素な黒いドレスを身に着け、その上に黒いマントを羽織っていた。


 二十代であれば、「仕事なのだから、はだけたドレスを着るのもいた仕方ない」と思っただろうが、もう三十二歳。その上、三児の母だ。


 本物の貴族の女ならいざ知らず、ソフィアにはその勇気はない。


 とはいえ、このままの姿では場にそぐわず、かえって目立ってしまう。


 そのため目元だけを隠す仮面には、「これでもか」と宝石があしらわれた豪奢ごうしゃなものを、依頼人から借りて付けている。


 さらに黒い手袋をはめた両手には、こちらも借りものではあるものの、ルベウスという名の赤い宝石やサフィロスという名の青い宝石が輝く指輪をはめ、貴族の女になりすましていた。


「レイグス、ここだよ」


「レイグス」とは、ここで使うソフィアの偽名ぎめいである。


 彼女はその名を呼んだ声の主のほうを向くと、人だかりの少ない通路側の席で、こちらに向かって軽く手をげる男がいた。


 彼は肩まである赤茶色の癖毛くせげの髪に、ソフィアが付けているものと同じくらい、派手な装飾がされた目元だけ隠す仮面を着けている。


「ジェームス」


 ソフィアは短く彼の名を呼んだ。


「ジェームス」も偽名である。本名はアレクシス・グロリア。「侯爵こうしゃく」の爵位を持つ歴とした貴族だ。


 そして彼こそが、ソフィアに仕事を依頼し、ここに呼んだ張本人ちょうほんにんである。


「合流出来てよかった。思った以上の客だ」


 ソフィアは、ちらっと、会場にいる人々を見やる。ざっと百人はいるだろうか。


 仮面や変な化粧をしている人たちばかりの中で、何故「ソフィア」と分かったのかというと、会場に入る前に一度この姿で会っていたからである。


 ソフィアは黒い長髪を三つ編みにし、胸のほうに流しているので、それを目印にしたのだと思われた。


 彼らがわざわざ別々に入場したのは、ソフィアが会場の構造や、警備員の配置をざっと調べていたからである。不測の事態が起きたときのことを想定して、ことは、計画が上手くいくかどうかを左右させる。


 ソフィアはうなずいて、アレクシスの隣の席に座った。


「会場はどうだった?」


 周囲を警戒し、アレクシスはソフィアに体を近づけ耳元で尋ねる。ソフィアもそれにならい、小さな声で答えた。お互いの息がかかるくらいだが、こうすれば傍から見ると特別な関係であると勝手に想像してもらえる。


「警備は比較的薄い」


「そうか。それなら、万一のことがあっても突破できそうか?」


「多少のことは何とかなると思う」


 ソフィアの答えに、アレクシスは一拍置いてから尋ねた。


「それは、何とかならない場合もあるのか?」


「あるさ。私一人ならいくらでも切り抜けられるが、君とその他を護衛しないといけないのなら、問題によっては無理なこともある」


 ソフィアは素っ気なく言うと、アレクシスから距離を離し、ふいっと視線を前に移動する。そろそろ開演されるためか、空席が目立っていた二人の周りの席にも、人が座り始めて来ていた。


 アレクシスは顔に出さないが、もそもそと落ち着かない様子を見ると、ソフィアにあることを尋ねるかどうかを迷っているに違いない。


 ソフィアは知らぬふりをして、周囲の様子を気にかけていたが、ふと、アレクシスの動きが止まった。そうかと思うと彼は、離れた彼女の耳元に再び口を近づけて「まだ、怒っているのか?」と尋ねた。

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