第30話 その頃
京子は子供の頃以来、何十年かぶりでお母ちゃんと同じ布団で寝た。正確にはベッドだが。
とってもとっても嬉しかった。
誰かに甘えるということを忘れていた。
寝てるだけなのに涙が出てくる。
「京子?」
「大丈夫よ、お母ちゃん。ちょっと安心しちゃってさ」
お母ちゃんは娘の背中に手を当てた。
「もう安心して、ゆっくり寝な。苦労をかけたね、京子」
うんうん。
シンガポールでの滞在を2日延ばしたお父ちゃんは、京子にいろいろ買ってあげたくて、かえって疎まれていた。
「ねえ、お願いお父ちゃん。何も買わないで?要らないものを」
でもよぉ、せっかくなのに…
「せっかくなら欲しいもの買ってもらうよ。でもそれは絶対に要らない」
お父ちゃんはハイブランドのバッグを諦めた。
怒られているお父ちゃんを見て、ルリコは大笑いした。
いいね!こういうの見たかったから、最高だわ。
お母ちゃんはレオナちゃんに同じことを提案し、一刀両断に断られていた。
「お母ちゃん、レオナちゃんにはゲームだよ。シンガポールにはねえ!」
ケンちゃんが麺を啜りながら言った。
その頃…
「こんにちは!ご飯の配達ですよー」
カフェ・マリーの元占い師・美咲ちゃんが栗林家の玄関に現れた。
「はーい!ありがとうございます」
京子の娘・悦子が受け取りに来た。母親に似てしっかり者で、高3には見えない落ち着きである。
「悦ちゃん、京子さんから連絡きました?」
「無事に着いたみたいで、動物園とかご飯の写真、たくさん送られてきました」
スマホを取り出し、美咲に見せる。
わー!こんなとこなんだー!楽しそうだねえ、よかったねえ!
「我々も次回は行きましょう、美咲さん!」
「ですね!じゃあ、これね。今日はポークソテーとクラブハウスサンドですよ」
「いつもすみません」
京子が留守の間、1日1回マリーから出前が来ることになっている。
悦子も料理できるが、学校もあるし、負担を減らすため、京子がサオリに頼んで行ったのだ。
中2の和彦も食べ盛り。
美味しい出前を楽しみにしていた。
「姉ちゃん、今日は何?」
「ポークソテーとクラブハウスサンドだよ」
へへへ、美味しそう!
生まれ育った家では食べたことのないご馳走に、和彦はニコニコだ。
悦子も緊張が解けたように、のびのびとしている自分に気がついた。
2人とも「自由」という感覚を初めて知ったようだ。
母親の緊張は子供にも伝わる。
母親の自由も、同じく伝わるのである。
親子LINEで見るシンガポールの写真は、子供たちも潤した。
この大きな家に子供2人残して行けるのは、信頼あってこそである。
自分たちは留守を任されてもらえた!子供たちはこのことを自負していた。
嬉しかった!
「帰ってきたらじいちゃんに焼肉連れてってもらおうね」
「うん!ゲームも買ってもらう!」
「レオナちゃんと対戦だね」
「そうそう!この前は負けちゃったからな。勝たなくちゃ」
母の満面の笑みを初めて見た2人は、心の底から安堵した。そして家を掃除したり、洗濯したり、遊びに行ったり、たまには勉強したりして過ごした。
あのカッコイイお兄さんも追いかけて行ったのかな?
悦子は、アイくんのことを思った。
自分も大人になったら、あんな人に出会えるかな?
ネイリストになった母の、自分の夢を追いかける情熱に感動した。
夜中によくやってたもんね、お母ちゃん。
何かに「夢中になる」という体験をしてみたいなぁーと思いつつ、弟の食べる姿を見てクスッと笑った。
お土産、楽しみだあー。
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