先輩と酒を飲みそびれた話

継橋

本文





 私は、昔から酒というものがとにかく苦手だ。


 普段は好々爺だった祖父がいつの間にかウイスキーのボトルを常に側に置き夕食を抜いてまで酒を飲むようになり、アルコールが入るとひたすらに面倒で「他人の役に立たねば人にあらじ」というような説教をしてくること。

 母が精神的に不安定な時期を度数の高い酒とともに過ごしていて、ヒステリックに叫ぶ母から視線を逸らすとだいたい緑の缶が目に入ったこと。

 父方の血はめっぽう酒に弱く、私もアルコール特有のむせあがるような匂いだけでのけぞってしまうこと。

 単純に友人に下戸が多いこと。

 苦手な理由を挙げればきりがない。


 でも、そんな私が酒を飲むと決めているときがある。「先輩」と飲むときだ。








 先輩といっても、学校や職場で直接そういう関係があったわけではない。向こうが早生まれとはいえ同い年だし、向こうもこっちのことを後輩だと思ったことはないと思う。単純に私が勝手に1年留年して実質的に後輩になったのをいいことに、「先輩らしくもっとしっかりしてほしい」という思いを込めてそう呼んでいるだけだ。


 「先輩」と会ったのはインターネットの上だった。当時の私は人生のどん底真っただ中で、本当に、その夜にも首を括ることを考えていた。わりと最後にするつもりで当時やっていたオンラインゲームに入り、そこで私は「先輩」と初めて出会った。話が合って朝まで喋り倒した私と「先輩」はすっかり意気投合して、結局私は死ぬ機会を失って寝てしまった。結局次の日もそのまた次の日も話して、ずるずるやっているうちに完全にタイミングを逃した。なんてありふれた「幸福な出会い」だろう。

 出会ったころの「先輩」は今考えると若さとエネルギーの塊みたいな人間だった。自分の好きなものに対する愛はすごかったし、それについていくらでも話していた気がする。その愛を表現するために色々なものに手を出して、自分では「半端なものしかできない」と言っていた。そんなことないと今でも思っている。ぼーっと本を読んでゲームをするだけのオタクだった私に、何かを作る、という熱を与えたのは間違いなく「先輩」だった。それと「先輩」は人懐こく、ノリがよく、それでいてちょっと抜けている愛嬌があった。ペットを飼ったことはないけど、大型犬気質というのがたぶん近い。

 話すようになってからしばらくして、いわゆるオフ会文化に乗じて私と「先輩」も俗に言う現実世界というやつで会うことになった。ネットの人と会うのは初めてだったけれど、まあお互いがお互いの思った通りの見た目をしていた、という感じで一致した。正直年齢ぐらいは詐欺られてるかな、とは思っていたので、そこは「先輩」の(ときに無駄な)実直さがいい方面で出ていたのだと思う。本当に何一つトラブルもなく、それからもそのオンラインゲームのメンバーで数ヶ月に一度、一番頻繁だったときは毎月のペースで数千円の交通費を払って都市圏に向かい、たいていカラオケで喋ってゲームをして、飽きたら歌う休日を過ごしていた。定期的に外に出る用事があるというのは、今思えば社会復帰への小さな小さな足掛かりだったような気さえする。

 それと2回ほど、「先輩」が当時通っていた学校の文化祭みたいな行事に行ったことがある。「先輩」は忙しい中暖かく迎えてくれたが、「先輩」のクラスメイトたちが「先輩」に景気よく話しかけ、それに人当たりよく応えるのを見て「ああ、本当に裏表のない人なんだな」と思ったことがある。本人に言ったら神格化しすぎだと窘められたけど、そのときは本気でそう思っていた。




 酒を飲む約束をしたのは、ようやく私が社会に向かって歩き出したころだったような気がする。母方は酒に強くよく飲み、父方は酒に弱くすぐ潰れるからどうなるか不安だ、みたいな話をしたら簡単そうに「それなら最初にお酒飲むときは一緒についててあげるよ」と言ってきた。私は一も二もなく賛成し、そうして約束がそこにできた。

 私はその約束を果たすために、絶対に酒は飲まないと心に誓った。20歳を回ってアルコールが解禁され、大学の友人が酒の味を覚え、1限の必修に頭痛を訴えながら来ようと付き合わなかった。ゼミの飲み会でもとにかく酒を断り(教授が若い人だったこともあってアルコール分の代金を変わりなく払うことで許してもらった)、その分酔った人間の介抱をした。


 そうしてひと通り落ち着いたころ、ふと自分が取り残されていることに気がついた。もちろん友人たちはよくしてくれていたし、そういう疎外感ではない。でも急に自分だけが子供のまま、色々なイベントを飛ばしてここに存在してしまったみたいな息苦しさがあった。

 当然それは、じゃあと酒を飲んでみれば解決するようなことではないのも分かっている。大人になるという行為はグラデーションだし、ふと振り返ったときにいつの間にか大人になっているものなのだろう、というのもよくよく分かっている。それでも、自分が大学で学業に費やした時間よりも、酒でもサークルでも何らかのコミュニケーションに使うべきだったのだろうな、と振り返ったときには、もう私は立ち止まれなかった。私は意固地になって「先輩」との約束を守るため、と自分に言い聞かせて、諸々の誘惑を振り切り続けた。

 私はきっと、自分がずっと楽しかった時間にいたいだけの、過去の亡霊だった。








 時は過ぎて、私と「先輩」が初めて会話をしてから干支がひと回りぐらいした。

 「先輩」は、私が大学を出たぐらいにSNSで結婚を発表した。お相手は私も知っている「先輩」と仲のよかった方で、すぐにお子さんも誕生された。「先輩」はとても大変そうで、昔ほど元気な姿を見ることはできなくとも、それでもあのとき私に声をかけてくれた愉快な「先輩」と変わらない姿を見せてくれる。

 私はといえば、結局「先輩」に声をかけあぐね続けてここまで来てしまった。相変わらず酒は飲まないし、いつまでたっても惰性で生きている。

 別段、「先輩」とのコネクションが切れたわけではない。今でもたまに話はするし、(少なくとも私の見たところでは)仲良く思ってもらえていると思う。

 それでも、今を頑張って生きている「先輩」に自分が後ろから声をかけてしまうのは、嫌な引き留めをしてしまうようで嫌だと思っている。感傷に浸りたいだけじゃないかと言われるとそれも否定はできないけど、これが私なりの折り合いのつけ方であり、心の安寧への逃げでもあると思う。

 酒を飲んで形式的にひとつ大人になったら、なにかの留め具が外れてあの日死にたかった私に戻されてしまう気がする。あるいは私というものはどうしようもなく老いに向かっているから、急激にそちらに振り切られてしまうかもしれない。どちらにせよロクなことなんてない。それに、泥酔した人間がどうなるかなんて、小さいころから今まで嫌というほど見てきているのだ。今更それの仲間入りするかもしれません、だなんて自分が納得できない。

 そうして私は今も意地と、変化や未来への恐怖心から酒を飲みそびれ続けている。




 結局私はきっと、「先輩」とはじめて居酒屋に行くそのときしかアルコールを飲み込まないんだろうと思う。それしか私が納得できる飲酒の理由がないから。「先輩」との約束を破ってまで溺れたい一時の享楽も思いつかないし、今のところは周りに甚大な迷惑がかかっているわけではないからギリギリ大丈夫だろう。酒を知らないうちは、酒を飲まなくても問題はない。

 あるいは私は、この約束が果たされない状況のほうが楽しいのかもしれない。長生きの秘訣は先の予定を立てること、ということが言われて久しい。そういう意味では正しく酒が百薬の長になっているかもしれないけど、実際どうかなんて私含めて誰も興味ないだろう。どちらにせよあの底抜けに明るくてお人よしで、自分の家庭にひたむきな「先輩」が私との約束を覚えているとは思っていない。思っていないし、それでいいと思う。



 それでも「先輩」はいつか、私のほうをふと顧みて「今度飲み行こっか」なんて言うのだろうか。

 言わないだろうなぁ、と思いながら、私はコップについだ水道水を飲んでいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

先輩と酒を飲みそびれた話 継橋 @daigo_tsuguhashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る