第18話 愚痴と愛情と

 それから幾日か経過した日のことである。プロゲーマーになってようやっといとまができたので、久しぶりにこの田舎唯一のバー兼喫茶店のsecond lifeセカンドライフに顔を出していた。ただしアレフ一人で、である。

 マスターのゲンさんはいぶかしんでいた。火鉢とアレフの間柄は言わば年の離れた従妹だ。否、今はより仲は深まり兄妹のようにお互いを思っていると言えよう。兄が妹を心配するように、火鉢は滅多なことではアレフを一人で外に出さない。

 それだけでも珍しいというのに、今日のアレフは避けの進みが数段と早い。

「やけ酒、か?」

「流石ゲンさんだ。よく分かっているではないか」

「そりゃぁ狭い狭いド田舎だ。痴話喧嘩なんてのもよくある。逃げ込む先もそうねぇだろうしな。独り言の藁人形にはよくなっていると思うぜ」

 ゲンさんに秘密を騙っていない人間はこの町にはいないだろう。それだけ聞き、そして守ってきたというマスターとしての責務がある。

 アレフは昼間の雲のように白い頬を随分と赤らめ、眉をへの字にしてボツクサと呟くように語り始めた。

「あやつと私がプロゲーマーになったのは聞いているな? それからのことだ。いや、前兆はゲームセンターに行く度に垣間見えていた。私が初めて火鉢のプレイを見た時に感じた高揚、憧憬、あれらは決して私がゲームに対して全くの無知だからではなかったのだ……」

 ぐいっ、と数センチ残った日本酒を呷り、なみなみに御猪口おちょこに注いでから目を涙で滲ませ再び口を開く。

「人知を超えた、神がかり的な領域に達している火鉢のプレイは人を魅了するに余りある。それを憧憬ではなく……”恋”と見紛みまごう人間が出ることを懸念すべきであった」

「フゥム……所謂ガチ恋勢ってやつか?」

「そうだな。私の知っている語彙ではそれが最も近いだろう」

「そりゃ困ったな。火鉢のヤツは恋には全く無頓着だろ」

 ガンッ! と強くテーブルに御猪口が打ち付けられる。

「そうなのだ! 火鉢は己がもっと魅力的であることを自認すべきなのだ! 少し憂いた顔や佇まい。ゲームの時に見せる子供のような無邪気さと相反する最強さ。家事炊事もできる。ちゃんとした男なのだ!」

 一頻ひとしきり怒鳴ったのちアレフはむぅと口をすぼめて、暫くしてから怒りを忘れるようにと日本酒を呷った。

 ゲンさんはその様子を見て、ひどく嬉しくなった。火鉢はゲンさんの孫と二、三歳程度しか変わらないのだから自然と情は移り、当人には絶対に言わないが祖父のような気持ちで火鉢を見ている節があった。そんな孫が恋されているのだ。アレフは気付いていない。惚気のろけていることに。きっと火鉢もアレフの想いには気付いていないだろう。恐らくこの町で、今気付いているのはゲンさんただ一人だ。それは家族愛とも違う。友愛とも似ていない。しっかりとした”恋”なのだ。

「ゲンさんよ。何を嬉しそうにしておるのだ?」

「いやぁ、初めてなもんだからさ。新鮮で。アレフちゃんは何で一人で来たんだい?」

「うぅむ。それが分からぬのだ。気づいたら家を飛び出していた」

 その時、たまにしか鳴らないドアベルが鳴った。

「いらっしゃい。千代子さんじゃないか」

 鳴らした老女の正体は着物着付師で、この町でも特に歴史の古い家系の当主の千代子だった。コンピュータもない時代に生まれた千代子だったが、仕事柄今ではアレフ以上にスマホを使いこなしている。

 しかし、日本酒好きなアレフと気が合い、この町で火鉢をよく知る人間の一人として、よく語り合う仲になっている。

「む。千代子か。折角だ、共に飲もう」

「あらいいの? ありがとうねアレフちゃん。一人なんて珍しいわね」

「詰まらん愚痴を言いに来たのだ……って。千代子も何を嬉しそうにしている。まだ何も話してはいないぞ」

「アレフちゃんって意外と顔に出るのよ。私もその愚痴聞きたいわ~」

「構わんぞ。あやつの事なら千代子もよく知っていよう」



 時を同じくして、火鉢は家で一人ゲームに勤しんでいた。難しいことはしていない。どうにもオンラインマッチに行く気にはなれず、一人コツコツとコンボ練習をしていた。

 アレフの行き先は分かっている。金の問題も、second lifeには投資の意味も兼ねて前払いの一万円がある。コンビニよりも比較的手軽に、なおかつ多様な酒を楽しめるから自棄やけになった時は火鉢もよく前払いで払っていた。だから金の問題はなかった。最近健康の為にと散歩をしているので、無意識に尻尾も翼も隠せるだろう。

 ただただ胸中にあるのはアレフへの疑問のみ。いきなり怒り出したと思えば、途端に顔を真っ赤にし家を飛び出した。

 心配、しているのだろうか。全員見知った辺境の地でアレフは皆の孫のような存在として見事に馴染んでいる。だから今まで心配などしていなかった。

「なぁアレ―――馬鹿だな俺は」

 やれやれ、と渇いた息を漏らす。

 アレフがいないことは頭では分かっていたというのに、ネットで見つけた高難易度コンボができた達成感でつい語り掛けようとしてしまった。つい無意識に、アレフが自分のことのように膝上で喜んでくれる様を幻視してしまった。

「やめだやめ。配信画面でも弄ろう」

 早々にコントローラを定位置に置き、ワシャワシャと頭を掻きながら、確かに増えた独り言。

 OHCAがスポンサー契約をしている企業をはじめ、個人て契約をしたいと言ってくれた企業もいる。少し専門外になってしまうが、OHCAの他のメンバーの手助けもあり配信画面も随分と様になってきた。ついでに、オンライン大会も見据えて買っておいたカメラの位置や配信に載せる事があった時の為にすぐ移動できるようショートカット先を作っておこう。



 あれから三時間ほど経っただろうか。あと一時間で日も変わるという時間帯。未だアレフは帰ってこず、火鉢が心ここに在らずといった様子でぼけぇっと花月の耐久配信を眺めていると、視界の端に置いてあったスマホがけたたましく鳴り響いた。着信元を見るとアレフと書いてある。

 少し上機嫌気味に携帯を取る。

「アレフか?」

『残念。ゲンさんだ』

「やっぱゲンさんの世話になってたんですね」

『まぁな。で、ちょぉっと面倒になってな。アレフが潰れちまったから迎えに来てくれないか? そろそろ閉店時間なんだ』

「あぁ、ははっ。いいですよ」

 ゲンさんのありがとうを聴いて、それではと電話を切る。

 歩いてニ十分。車を出す距離ではないから、ゲンさんには少し迷惑になるかもしれないが歩いていこう。

 少しばかり季節を先取りした蝉が途切れ途切れに鳴く中、少ない街灯の下を歩いてゆく。

「あのアレフが酔い潰れるなんてな」

 そうひとりごちっていた。アレフと火鉢が共に飲む時は、ある程度まで酔ったら自然とどちらかが自制を促していた。アレフが呂律が回らなくなるどころか、顔が赤くなったところも滅多に見たことがない。

 足取り早くsecond lifeに着くと、一升瓶を大事そうに抱えながらカウンターに突っ伏しうつらうつらとするアレフと、それを面白さ半分、心配半分で見つめるゲンさんと千代子さんの姿があった。

「あっ、お久しぶりです。千代子さん」

「久しぶりね~。散歩を除けば旦那の葬式以来かしら? 思ったより早く回っちゃったみたい」

「っぽいですね。アレフ~帰るよ~」

 背中をポンポンと叩くとようやっと火鉢を認知した。

「ぬぅ……貴様。どのつら下げてやってきたのだ」

「どの面も何も、喧嘩とかしてないでしょ。ほら、閉店時間だから」

「嫌だぞ!どうせ配信付けたら貴様のガチ恋勢とやらが押し寄せるのだ!ならば私が独占してやる!」

 何を言っているんだ? とゲンさんに疑問の顔を向けてみたが、何だかニヤニヤと微笑むばかり。千代子さんにも助け船を出してみたが、手をひらひらとさせ呆気なく返されてしまった。

「おぶるから一升瓶離そうか」

「私の友はこやつだけだ!……すまぬ。馬鹿なことを言った」

 怒鳴ったと思えば途端に目に涙を浮かべ始める。

「ゲンさんもこうなる前に止めれたでしょう……千代子さんも」

「いあぁ、面白いもんだからつい、な」

 うんうん、と千代子が首を縦に振る。

 涙を瀬戸際で止めている内にアレフの手から一升瓶を離し、ゲンさんと前払いの範疇に収まったことを確認すると、火鉢はアレフを背におぶり、店を出た。

 店を出て暫く無言でいると、眠気が襲ってきたのか、彼女の魔法が解けてきた。幸い田舎はもう寝る時間なので人の気配はないが、黒の翼と尻尾の分少し重たく感じる。

「ガチ恋勢で思い出したけど、アレフにもそれがついていること知ってるか?」

「花月から聞いたぞ。世迷言と思っていたが……」

「それがいるんだと。何も嫉妬していたのは己だけじゃなかいんだな」

「貴様もそうだったのか。なんだ。取り越し苦労ではないか。私達はどうやら、私達が思っている以上に似た者同士のようだな」

 酔って少し生暖かい吐息が首筋に何度もかかる。

「そうらしい。竜様と一緒とは俺も出世したもんだ……もしかして、酔った勢いで竜要素を見せたりとかしてないだろうな?」

「まさか。私が本当の姿を見せるのは火鉢、いお前の前だけだ」

 酔った勢いか、それとも虫の声が促しているのか、今のアレフはいつも以上に素直に言葉を投げる。

 囁かれた言葉に顔が熱くなるのを覚えた火鉢は何も言い返せなくなってしまった。

「おい、いつもの調子はどうしたのだ。ふざけて返してくれないと私の勇気の出し損ではないか」

「……どーも」

「腑抜けめ」

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