悪夢、そして夢は現実へ
第11話 呪い
ふと気が付くと、火鉢は都市部に立っていた。何気ない街並み、見慣れた街並み。ガソリンの匂いと、多少の香水。考える暇なく、隣を歩いていた男女が言う。
「じゃぁ、火鉢はゲーセンなのね。お母さんたちが用があるのはこっち側だから、また用事終わったら連絡するわ」
「うん!じゃぁまたね!」
火鉢は快活に返事をし、男女と反対方向へと歩いていく。その数秒後のことである。
ブ――――――ッ!!!というけたたましいクラクションが鳴ったその直後、まるでサンドバッグを思いっきり殴ったかのような轟音が鳴り響く。そして
えっ、と振り返ると、そこには原形を留めていない、でも確かに
あまりの衝撃に駆け寄ることも出来ず棒立ちの火鉢。何かしないと、
「救急車だ!早く呼べ!」
阿鼻叫喚の中、誰かが言った言葉に反射的に携帯を取り出す。そして両親が殺されたことを伝えた。
後に知ったことは、全くの事故であったこと。被害者は両親の二人だけだったこと。余所見をしていたトラックの運転手が
炎天下のことだった。酷い、酷い事故だった。
再び視界に光が戻る。明るい、平穏な日。何か成すには良い日だろう。
しかし火鉢はこの日を忘れない。この暑さを、陽炎を、交差点を。
「じゃぁ、火鉢はゲーセンなのね。お母さんたちが用があるのはこっち側だから、また用事終わったら連絡するわ」
懐かしい声にバッと振り返る。そこにはたった今しがた手を離した親子があった。紛れもない、火鉢の両親だ。キラリと光るネックレス、左手に回した腕時計。そして、その二人と反対方向に歩いていくのは、幼い頃の火鉢だ。
「そっちに行くな!!」
その声は届かない。届いたところで、過去は変わらない。それでも叫ばずにはいられない哀れな叫び声。
両親は信号の一番先頭で待っていた。だから巻き込まれた。
地獄のような光景が広がる。嗚呼……救えなかった。知っていたことだ。哀れな哀れなことだ。過去に起きた事象は、絶対に変わらない。時計が不可逆なのと一緒で、これは起きた事象。
再び視界が開ける。変わらぬ、平穏な日。若者の元気な声が響く都心部にて。
忘れてはならない炎天下。交差点。陽炎。
「じゃぁ、火鉢はゲーセンなのね。お母さんたちが用があるのはこっち側だから、また用事終わったら連絡するわ」
火鉢は茫然と眺めていた。微笑ましい家族。何の取り柄もない、幸せな家族。嗚呼、神の何と
クラクション、殴りつける轟音。悲鳴。
暫く待つと、救急車とパトカーのサイレンが鳴り響く。
炎天下の、暑い暑い日のこと。目を背けるように、瞳を閉じた。
再び視界かが開けた。平穏な日常。未来ある明るい都市部。
どれだけ忘れようと努力したか。だが忘れられぬ炎天下。交差点。陽炎。
「じゃぁ―――」
もう耳も閉ざした。瞳も閉じた。
だが鳴るクラクション、殴る轟音、悲鳴に無理矢理
潰れた脳味噌、無造作に描かれた血飛沫。真っ赤な車輪の痕が眼下に広がる。
もう……もう
目蓋が陽に焼かれる。暑さに目を開く。
まだ、悪夢は終わらない―――
「―――鉢……火鉢よ!!」
大きく体を揺すられてカッと目を見開く。全身には気持ちの悪い冷や汗がだらだらと流れていた。
「大丈夫か? 酷く
「アレ……フ?」
悪夢から覚めた火鉢は酷く青ざめており、未だ現実と夢との区別がついていないようだった。
「もう夢は覚めた。私がいるのがその証左だ」
「そう……か。助け、れなかったか。いや、助けるとかじゃ、ないんだろうな。呪い、だろうな。見捨てた。酷い
そう思えば思うほど体は震え、ガチガチと歯が鳴る。その時だった。アレフはその柔らかい手のひらで俯いた火鉢の顔をぐいと自身の顔に寄せた。
「火鉢がどんな夢を見たのか、どんな過去があるのか、私は知らない。だが、過ぎた事を悔やむでない。それに、今は私がいる。私の顔を見ろ。ちゃんと現実を生きているだろう」
「良ければ、話を聞かせてはくれないか? いや、無理にとは言わない。余程のトラウマなのだろう? 話すのはそう容易ではないだろう――」
「いや、いいよ。長い付き合いになるだろうし、話しておくよ」
火鉢はベッドの
「俺は十歳で親を亡くしてる。何てことはない交通事故だ。だが、当時の俺からすれば世界が終わったも同義だった。自殺未遂もした。考えられる全ての逃げ道を試した。そしてこの家の家主だったじいちゃんとばあちゃんと一緒に住むことにしたんだ。そして俺は現実から目を背ける名目もあってよりゲームにのめり込んだ。それしか残ってなかったって言う方が正しいか」
はっ、と自嘲する。
「して、その祖父母はどうしたのだ?」
「死んだよ。三年前にな。寿命さ。そして一人っ子だった俺は完全に独り身になったんだ。実の両親ほどの悲しみはなかったけど、流石に堪えたよ。当時配信をしてなかった俺にとっては最初のファンとも言える存在だからな」
事実、火鉢が世界大会に行けたのも祖父母の力があったからだ。両親を亡くした傷を癒す為にしていたゲームという行為を認めてくれたのも、それで世界へ行くという昭和には考えられないであろう行為を後押ししてくれたのも、祖父母が火鉢の能力を認め、愛してくれていたからに他ならない。もし祖父母がゲームに理解がなければ、両親の喪失を他のもので補填していれば、今の火鉢ないないだろう。
祖父母は学校へ行くことを強制しなかった。中学時代、何度も学校へ謝りに行ってくれていたし、高校は通信制へと転校した。
「んで、この家を相続した後、やることがなくて配信を始めたって感じだ。ただの不幸話さ。聞いて損したろう?」
「いいや、大切な火鉢のことだ。損などある筈もない。しかし難儀な話だ。その顛末を目の前でみているというのだから、一生涯消えないトラウマになり得てしまうのか」
「最近はアレフのお陰で見なかったんだけどな。久しぶりだよ。こんだけこびり付くのは」
「私の存在が吉兆になっているのはありがたいが、しかし……」
頭を抱えるようにして悩むアレフの姿を見て火鉢がクスッと笑う。
「いいんだよ、俺は。死んだ人間は一生帰ってこない。十五年待って得た答えがそれだ。今はアレフがいて、配信先で待ってくれてる人がいる。それだけで俺には充分なんだ。最近じゃ花月もいるからな。幸せなんだよ。これでも」
「幸せ……か。そうだ。その幸せ、もっと大きくしないか?」
どういうことだ? と火鉢が小首を傾げる。
「その配信先で待ってくれる人を増やすのだ。そして花月のような配信仲間も増やすのだ。難しい話だろうが、少しは心の穴も埋まるのではないか?」
「ははっ、本当に難しい話だな。いつもの配信が百人超えてるのだけでも数ヵ月前の俺からしたら偉業なんだぞ? これ以上どうやって……」
ふと、火鉢に妙案が浮かぶ。しかしそれは今の生活を捨てるのと同義であった。安定した収入、変わらぬ日常に薬か毒かも分からない一滴を垂らすのはそう易々と口に出せるものではなかった。
「プロゲーマー……確か花月はそう名乗っていたな。なってみてはどうだ?」
「そう願ってなれるもんかねぇ……」
「ふむ。花月に相談してみてはどうだ? 火鉢の実力なら引っ張りだこ……確かそう言っていた筈だ」
いつにも増してアレフが前向きに事を考えている。恐らくは先の話で同情したのだろうが、それでも火鉢にとっては自分のことをここまで考えてくれる人がいるのが嬉しくてたまらなかった。五年前、火鉢を世界大会に行かせた祖父母とアレフが重なる。
プロゲーマーになることはさっき火鉢も考え付いた。だが、火鉢にとって己の最盛期はもう終えたつもりなのだ。五年前に世界大会を優勝した後、徐々にではあるが、反射神経は落ちてきている。
「明日、花月に相談してみるか」
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