第5話 second life
在宅ワークが終わり、時計を見ると既に六時を回っていた。今回の案件は少々長引きそうなのでアレフにも伝えておくべきだろうか。
白ご飯も炊いていないし、今日の夕飯はどうしたものか、と思案しているとインターホンが鳴る。
「お届け物でーす」
「はーい、今出ま~す。――いつもありがとうございます」
「いえいえ。こっちもいつもご利用ありがとうございます。っと、そちらは……」
配達物を受け取ると配達員がにこやかな表情で火鉢の後ろを指さした。振り返ってみるとリビングの扉からアレフが顔を覗かせていた。ギリギリ翼や尻尾は見えていないが、角が見えてしまっている。必死に目で隠れろと言ってみたが、アレフはワクワクでお構いなしなようだ。
「い、従妹みたいなもんです」
「そうでしたか。では、またよろしお願いしま~す」
あまり深入りするタイプではなくてよかった。角も季節外れのコスプレと思ってくれているんだろうか。
「届いたぞ~アレフ」
「やっとか!待ちわびたぞ」
配達員が帰るや否や飛ぶ勢いで翼をはためかせ、尻尾をバシバシと地面に叩きつける。最近気づいたのだが、表情で分かりづらい分、これで喜びを表現しているらしい。
「では早速……」
上機嫌な顔で上着を脱ぎだすアレフを静止してとりあえず段ボールから全部取り出す。パジャマ用に上下三着、残りは部屋着と外出用だ。部屋着やパジャマは何でもよかったのだが、外出用はワンピースやロングスカートのような丈が長いスカートにしなければ尻尾が見えてしまうという懸念点があった。
「着替えて外食するか」
「外食か。良いな。着替えてくるとしよう」
冬用のワンピースを持って急いで脱衣所へと向かう。
ニュースを流しながら衣類を包装から出していると、脱衣所の方からドタバタと騒がしい足踏みや衣擦れの音が聞こえてくる。
暫く経っても変わらなかったので様子を見に行ったら、案の定と言うべきか翼に引っかかり着れていなかった。
「やっぱ切るしかないか」
「すまないな。折角大きいサイズにしてくれたといのに……」
今度はしょんぼりと翼と尻尾がへたりと
「しゃーないしゃーない」
アレフから一旦服を脱がせ、祖母の遺品の裁断用の鋏で楕円状に後ろを大きく切る。このワンピースは下から着るタイプなのでこれで翼に引っかからずに着れるはずだ。
「他のはまたやろう。とりあえずは外食だ」
「そうだな。まだ火鉢の作ったものしか食べていないのでな。楽しみで仕方がない」
翼パタパタが止まらない。早く連れて行った方がよさそうだ。
歩いてニ十分ほど下り坂を降りた先にあるバー『
カランカランとドアベルが鳴り、少しばかり薄暗い店内が顔を見せる。と同時に暖かい空気が全身を覆った。この店は昼間は喫茶店、夜はバーをやっている。バーと銘打ってはあるが、カラオケも出来るし、昼間の喫茶店の名残で石油ストーブもある。若い人間が少ないこの田舎にとっては数少ない憩いの場だ。
「久しぶり、ゲンさん」
「おう。お疲れさん。そっちの子は?」
「まぁ従妹みたいなもん」
「せ、世話になっているアレフだ」
彼女はやけに緊張した面持ちだ。確かにマスターのゲンさんは強面だが、それだけが原因というわけでもなさそうだ。
「アレフちゃんね。お好きな席にどうぞ」
「う、うむ。失礼する」
二人でカウンター席に座った。カウンターの向かいには多種多様な酒が並んでいる。
「……そういえば、アレフって酒飲めるのか?」
「失礼な。子供扱いするでない。潰れたこともない」
そういえば何歳か聞いたことがなかった。見た目的には十三歳程度だろうとは思うが、竜の成長具合など知る術もない。しかし、どうも火鉢と話しているうちは大丈夫なようだ。慣れの問題だろうか。
二人は適当に酒とお店自慢のカレーを頼んだ。毎日煮込んでいるコクのある一品だ。火鉢もこれを食べるために時折来ていると言っても過言ではない。
「乾杯」
「うむ。乾杯」
「しかし珍しいこともあるもんだ。昔は人と関わらるの全部禁止ってぐらいにピリピリしてたのに」
ゲンさんがははと笑う。ゲンさんとはこの田舎に来た時からの仲なので隠そうにも隠せない。とは言えど、歳は四十以上離れているのだが。
「まぁ、人は誰しも成長するってことですよ」
「そうかそうか。んで、配信とやらは順調なのか?」
「アレフのお陰で急成長です。いきなり増えたんでまだ落ち着かないっすけど」
「私は何かしたつもりはないんだがな。だが、今は共に配信している。十二分すぎる生活だ」
「ははっ、火鉢に友達が出来るとはなぁ」
失礼な、と言って酒を呷る。
「そんなに昔の火鉢は酷かったのか?」
「まぁな。こいつには親族がいないんだ」
「いいでしょうその話は……」
「ん?そうか。でもアレフちゃんは気になっているみたいだが」
「その時になったら話しますよ……」
適当に流して、そんなことより、と話題を逸らす。火鉢にとってそれはある種トラウマなのだ。
「前紹介したゲームはやってるんですか?」
「おう。やっているぞ。だけど何だっけ……ニヴァルっていうボスが倒せなくてな」
「それは――」
といつにも増して饒舌に喋り出す。酒とバーという環境がそうさせているのだろう。しかし、アレフの耳にはそんな話ちっとも入らなかった。
親族がいない。浮世離れしたアレフでもその寂しさがよく分かる。寧ろ、人の身でない、出自すら未だ分かっていない身だからこそ分かっていられるのかもしれないが、あまりに寂しい話だ。家族というものの暖かさをアレフは火鉢によって知った。何か返せないものかと逡巡する。自分が家族だと言い張るには、矢張りどうしても時間が足りない。かといって友人という間柄でもないだろう。
暫く話して満足した火鉢はもう一杯同じカクテルを頼んでからトイレへと向かった。その時を見計らってアレフはゲンさんにひそひそと声をかける。
「その、親族がいないというのは本当か?」
「まぁ、そうだな。本人が言いたがらないから俺から言うのもあれだろ。聞きたかったら火鉢に直談判して聞くことだ」
「そうだな、それもそうだ。あ、そうだ。私もおかわりを頼む。もう
「アレフちゃん小さいのによく飲むねぇ。いいねぇ」
ニッと笑ってゲンさんが上段の棚からウィスキーを引っ張り出す。そこに火鉢がただいま、と帰ってきた。
「そういえば他のお客さんは?」
「ご老体にこの寒さは堪えるんだろうよ。最近は閑古鳥さ。昼間の方が賑わってるよ」
「それもそっか」
石油ストーブの暖かい沈黙が流れた。短いような沈黙が、しかしゲンさんが氷を砕く音とジャズだけは永遠のように流れ続ける。
「火鉢は、外に出ようとは思わないのか?」
「ゲンさん。何ですか急に。俺は今の生活で大満足ですよ。収納のたんまりある我が家にゲーム環境さえあれば何でもいい」
「あぁ、いや、そういう事じゃなくて……まぁいいか」
「ゲンさんにしては歯切れが悪いですね」
「俺の話術も衰えてきてんだよ。バーのマスターやってても感じるさ」
「店は長いのか? 火鉢も常連のようだが」
「俺が来た頃にはあったからなぁ……そういえば今年で何年目ですか?」
「三十年だな。節目だが、パーッとやるには町に若人が少なすぎる」
ゲンさんはやれやれと肩を竦めた。最近は都会疲れやらなんやらで田舎に引っ越す人も増えてきたが、それでも少数は少数だ。それに特に特産品もないこの町をわざわざ選ぶ理由もない。この町にも、火鉢を覗いて二十代以下は片手で数える程度しかいない。
再び暖かい沈黙が続いた。火鉢にとってここはそれでもいいと思える空間であった。親族もいない孤独な生活を潤す水滴の一つだと、今となっては思っている。
火鉢が適当にスマホをいじっていると一件のダイレクトメッセージが来た。何だろうとすぐに確認してみると、どうやら切り抜き動画の許可が欲しいとのことだ。
「おぉ、凄いな。見てくれアレフ」
「どうした。む。切り抜き動画とはなんだ?」
「配信から面白いところを切り取って動画にしてくれるんだ。それでまた新しい視聴者が増えるかもしれない。アレフも出るところを切り抜かれるだろうから確認取ってくれ」
「少々小っ恥ずかしいが火鉢を認めてくれる人が増えるならいいことだ。私は受け入れよう」
その返事を聞いてか、酒が回ったのか気分が高揚した火鉢はいいですよ、とダイレクトメッセージに返答をした。するとすぐさま返事が来てありがとうございます、という旨と参考に作った切り抜き動画が送られてきた。
「折角だし俺にも見せてくれ。いつも配信時間と営業時間が被って見れないんだ」
「なんかゲンさんに見られるのは恥ずかしいですね」
そう言いながらスマホを横にして皆で酒を片手に送られてきた二十分程度の切り抜き動画を見る。
内容は矢張りアレフも出ている配信からだった。笑いを誘うような字幕の付け方や火鉢とアレフのアイコンを使った分かりやすい状況説明、面白い所だけではなく好プレイのシーンも切り抜いているところからも初心者ではないことがわかる。それどころか火鉢はこの編集方法に見覚えがあった。
まさかと思ってSNSのアカウントから動画配信サイトに飛んでみると有名な配信者の切り抜きもしているチャンネルだった。登録者も火鉢のチャンネルの五倍はある。
「ヤバいな……マジでありがとうアレフ」
「う、うむ。良かったではないか」
火鉢の固い握手に困惑を隠せないアレフだが、状況を説明するほど頭も回っていない。
改めてありがとうと動画の感想を切り抜き者に送ってまた酒を追加するのだった。
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