第3話 このチーター野郎
アレフとの共同生活が始まって一週間が経過した。火鉢はいつも通り一日一回の配信をしながら在宅業務をこなしていた。会社から与えられた仕事量も大したことは無い。時間の大半をゲームに費やしていた。意外と日常というのは簡単に変わってはくれないようだ。
だがアレフは違った。食べるもの、見るもの全てが新しい刺激となっていてはあまり落ち着けない。食事の味は分かるし美味い。テレビは常に新しい情報をくれる。外出はあまりしていないが、頻繁にやる火鉢とのゲームは何よりもの楽しみだった。ただ、眠れないという一点を除いては満点の生活と言えよう。
毎日の日課である火鉢の配信が始まって一時間が経過した。饒舌な方ではない火鉢は喋りはするがその落ち着きようからよく作業用BGMにしていますとの連絡がくる程度には静かな配信だった。そのコメントが打たれるまでは。
『このチーター野郎』
配信画面のあまり動かないコメント欄にそれが打ち込まれた。火鉢は一瞬会話が詰まったが、いつも通りに、と心に言い聞かせて再びゲームと向き合った。だが、薪に落とされた火種は簡単に燃え上がる。というのも、コメント読み上げ機能が反応してしまったのだ。
機械音声で流れるあまりに冷たいコメントに、静観していた火鉢のフォロワーの怒りが沸き上がり、『モグリさんはチーターじゃありません』の旨のコメントが静寂とは正反対の姦しさで沸き上がったのだ。
「皆やめてくれ。気にしてないから」
動揺した火鉢の声は届かず、最初に打ち込んだコメント主と他の皆とで水掛け論が始まってしまった。コメント読み上げ機能が間に合わないほど白熱した論争は十分待てど終わる気配がない。
『じゃぁチーターじゃないって証明してみせろよ。出来ないだろ』
そのコメントが切っ掛けとなり、次は火鉢が矢面に立たされた。チート否定派も見せればいいと言いだしてきたのだ。
「えぇ……」
だが難しい。モグリこと火鉢がFPSでよく疑われるチートがウォールハックという壁越しの相手を表示するチートなのだが、これはプロでも見分けるのが難しいチートだと言われている。何しろ「音で分かりました。推測しました」と言えばいいわけだ。そして火鉢はその「音で分かりました」を実際にやっているかつ、反射神経で即座にエイムを合わせられてしまうのだ。
「どうした」
コメント欄がいよいよ収集が付かなくなってきた頃、ガラと火鉢の部屋が開いた。
「アレフ……!」
マイクに乗らないように叫んだ火鉢の顔は、言葉では言わずとも助けを求めているようにアレフは感じた。
『チート仲間か?』『誰?』
タイミングよく読み上げられたコメントで全てを察したアレフはやれやれと溜息を吐いた後、火鉢の上に座りマイクをぐいと口元に近づけた。
「よいか。チートとやらはまだよく分からんが、不正行為とは聞いた。それをするような無粋な輩に見えるか? 冷静になれ。そして実力を認めてやってはくれないか? こやつは日々鍛錬している。それはこの場にいる全員が分かっていよう。もう少し話を聞いてから判断してやってくれ」
「アレフ……」
コメントは暫く更新されなかった。
「それにだ。そんなことをする輩だったら私を助けることもしなかっただろう」
『助ける?』
「そうだぞ。こやつは助けてくれただけではなく見ず知らずの私を住まわせてくれているんだ」
『同棲してたの?』
「共に住んでいることは肯定しよう」
コメント欄が先ほどよりも白熱し始めた。所謂ガチ恋勢とやらがいないほどに狭いコミュニティだったからか、残念がる者は一人もおらず、それどころか祝いや可愛いの言葉で溢れ返っていた。
「収集つかんぞこれは……」
『恋人がいるとは。おめでとう』
「恋人じゃぁない!」
『お前と結婚するのは俺だと思ってた』
「許嫁がいたのか?」
「ネタだから気にするな。あぁもう……コメ欄も浮かれすぎ。違うから。従妹みたなもんというか……」
「従妹ではないぞ。寧ろ年上だ私は」
『姉さん女房ktkr』
ブツッと配信を切る。これ以上アレフに変な事を言われるよりはましだが、最善ではないことは重々承知していた。だが、どうしてもこの変なお祝いムードに耐えられなかったのだ。
「なんだ。終わらしてしまったのか?」
「終わらせるほかないだろあれは……まぁいいや。アレフのお陰で助かったのは事実だし、ありがとな」
「気にするな。火鉢が練習しているのはこの一週間でよくわかったからな。それを伝えてやったまでだ」
そう言ってふふと自慢げにする様が可愛らしく、火鉢の手はほぼ無意識にアレフの頭にやっていた。
「なんだ?」
「あ、悪い。嫌ならやめるが」
「嫌とは言ってないだろう。寧ろ心地いい」
そうか、と言って火鉢はありがとうの念を込めてアレフの頭を撫でてみた。ここ一週間で感情を表に出すことも増えてきた。とは言え、こんなに嬉し恥ずかしそうにしている、ぎこちない笑顔は初めて見た。
その日の夜、いつものようにリビングに布団を敷き眠ろうとするアレフにおやすみを言って部屋に戻った。無論寝るためである。学生の時分なら無理して徹夜も出来ただろうが最近は仕事もあるし、何よりアレフの朝食作りのために早起きしなければならない。
暫くして火鉢もベッドに横になって眠ろうとした時、申し訳なさげに扉が開いた。
「ん、どうした」
そこには枕を片手に不安げな表情を浮かべたアレフがいた。時計を確認してみると十一時を回ろうとしていた。
「すまないな。ここ最近眠れないのだ。
言われて改めてアレフの目の下をよく見ると、言葉を裏付けるように濃い隈が出来ていた。一週間全く眠れていないにしては薄いのは人間と違う時間を生きているからだろうか。
「それで、だな。その、言いづらいのだが、試しに一緒に寝てはみないか? 確証はないのだが、人の温もりは大事だと聞いた。一緒の寝床に入ろうと言うのではない。私は床に布団を敷く。それでどうだろうか?」
「別に、一緒の布団でいいよ。サイズも足りるだろうし、気にするな」
「そ、そうか。では失礼するぞ」
一瞬目を輝かせて、こほんと一つ咳払いをすると火鉢の横に枕を置いて横になった。ただ、気恥ずかしくてお互い反対を向いてしまう。
「不思議なものだな。ここにいるだけで安心する」
「人熱ってのは大事だからな。特に今みたいな冬場は」
「昔は火鉢もこうしていたのか?」
「多分な。あんまり覚えてないけど」
暫く沈黙が流れた後、突然アレフが火鉢の脇下に手を入れ抱き締める。
「うむ。矢張り火鉢は暖かい」
「……そうですか」
そう言いながら背中に伝わる暖かさに少しの懐かしさを覚える火鉢だった。
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