第12話

 一瞬、沈黙がダイニングに訪れた。

 リリの推理をみんなが聞き入っている――そうとわかる静けさ。


「アリバイ工作が終われば、あとは誰かを浴場に向かわせればいい。僕たちがお風呂を出てリビングにいることを確かめてから、『トウカが遅すぎる、湯あたりして倒れているかも』とでも言い出して、誰かといっしょに大浴場へ行けばよかった。ただ、そこでマキさんが不在だと知ったリカコさんは、自分への容疑を完全にらすためにその不在時間を利用しようと思い付き、話を保留した。マキさんが戻ってくるまで何をしていたんだ、と疑われるようにするためにね。それが不発に終わっても僕たちという犯人候補者がいるから、おまけみたいなものだったんじゃないかな」

「…………」

「そうしてマキさんが戻り、夕食を終え、ユウジさんがさすがに遅いと言い出し、リカコさんがトウカさんを発見、悲鳴を上げたというわけだ。自分から言い出さずに誰かがトウカさんを気にかけるのを待ったのは、発見を遅らせることで死亡推定時刻を曖昧あいまいにする意味もあったかもしれない。まあ、いくら高温多湿の現場でも、細かく調べたらその程度の時間は誤差にしかならないと思うけど」


 と、リリはマキさんを見る。けんの知識が他の人よりも豊富というマキさんはどうともいえない表情をしていた。


「リカコさんが大浴場に様子を見に行ったときにトウカさんを柱のところに移動させた可能性もあるけど、リカコさんに行かせたのはユウジさんだ。こればかりは予測できないから却下だね」

「ねえ、リリ。そのときにリカコさんがトウカさんを殴ったってことは……?」

「ない」


 私の疑問を秒殺する。


吹雪ふぶきで警察が来ないとなると、マキさんがけんすることになるのは予想できる。それで犯行時刻がついさっきだと絞られれば、様子を見に行ったリカコさんが犯人だと断定されてしまうじゃないか。そもそも、さっきも言ったけど、その役目に指名したのはユウジさんだ。彼が例えば弥生やよいさんに依頼していれば、単に長風呂していただけのトウカさんが呼び戻されるだけだろう」

「うん。ごめん、余計なこと言った」


 いまだお怒りモードのリリに茶々ちゃちゃを入れるのは控えよう。

 リリは一同をぐるりと見回し、小さく息をつく。


「要するに、僕たちが見たトウカさんはリカコさんの変装で、トウカさんはそれより前に殴られていた。……以上が僕の見解だ。質問は?」


 再び見回す。

 ユウジさん、ヨシタカさん、マキさんは黙ったままだった。

 梁川やながわさんと弥生さん、五十里いかりさんも同様。

 ただ一人。

 犯人だと指摘されたリカコさんだけが反論を口にした。


「あたしを犯人だと好き勝手言ってくれたけど、証拠はあんの?」


 リリと同じくらい不機嫌に、トゲだらけの口調で詰め寄った。


「誘われていない旅行に参加している時点で怪しさ爆発だよ」


 それを軽くいなすように薄笑いを浮かべ、リリは言葉を返す。なんだか挑発しているようで、なんともリリらしくない。梁川さんから嫌味を言われて言い返すことはあっても、初対面の人にそういう物言いはしないはずなのに。

 怒りで暴走気味なのか、何か狙いがあるのか。


「だから、あたしはトウカから誘われたって言ってんじゃん! メッセだって残ってるし!」

「あれがこの旅行に関するやり取りかどうかは、その文面だけじゃわからない。具体的に『旅行』という単語はないし、連絡しておくという『みんな』がユウジさんたちを指しているかもわからない。例えば、トウカさんからユウジさんたちとは別のメンバーの飲み会やゼミに参加するかを訊かれて、それに答えたメッセージかもしれない」

「わからないってことは、本当に今回の旅行のやり取りかもしれないじゃん?」

「そうだよ。。だから、トウカさんから真相を聞くことができない以上、あのメッセージはということであり、。とすると、他の三人がリカコさんの参加を聞いていなかったという証言のほうに重みが出てくるわけだね」

「トウカが言い忘れていただけじゃん。あの子、そういう抜けてるところがあるってみんな知ってるし。悪いのはトウカでしょ?」


 そうよね、と三人に問いかけるも、反応はなかった。

 本当にトウカさんが忘れていただけなのか、リカコさんが上手く立ち回って追及ついきゅうを逃れたのか、どちらとも判断できないからだろう。


「もういいよ、この話は。そんなあやふやな証拠なんてどうでもいいし。あたしが言い逃れできないようなものはないの? あるわけないよね? あたしは犯人じゃないんだから」


 仲間を失ってなお強気な態度をくずさないリカコさん。

 確かにリリはずっとをしているだけだ。追い込むにはもっとかくたる証拠が必要だろう。

 リカコさんもそれをわかっているから、態度を変えないのだ。

 どうするの……? とリリを見ると――この場に似つかわしくなく


「もちろん証拠ならあるよ」


 と、さっき弥生さんから受け取ったトートバッグに手を突っ込む。

 ……悪い顔してるなー……何をたくらんでるんだろう。


「こんなものを見つけちゃ、疑いは強くなるよね」


 言って手を出すと、そこには長い黒髪のウィッグが握られていた。

 ちょうど、トウカさんの髪と同じくらいの長さと色のものだ。

 瞬間、リカコさんの顔色が変わる。


「何で⁉ いつの間に……⁉ それはあたしのバッグに入れておいたはず……!」


 慌てた仕草でリカコさんは温泉に行くときに持っていた自分のバッグを開き、そこから


「え……? ちゃんとある……? じゃああれは……」


 わけがわからないと言いたげに、自分の手にあるウィッグとリリのウィッグを交互に見やる。

 リリはにやりと口の端を吊り上げた。


「これは弥生さんから借りたものだよ。

「っ⁉」


 ここでようやく、リカコさんはリリの策にまんまとはまってしまったことを理解したらしい。挑発するようなリリの態度で冷静さを欠き、隠していたものがいつの間にか見つけられていたと勘違いしてあせり、自らリリの推理を裏付ける決定的な証拠をみんなの前にさらしてしまったのだ。

 ぎり、と奥歯を噛み締め、悔しそうにウィッグを床に叩きつけて、崩れ落ちるように膝をついて声にならない叫びをあげた。


「ありがとう、弥生さん。お返しします」


 トートバッグにウィッグを戻し、それを弥生さんに渡す。

 リリは自分が謎解きを強制されることを見越して、長い黒髪のウィッグを貸してもらえないかと頼んでいたようだ。おそらく、ダイニングに戻ったあのときに。

 給料のほとんどを突っ込むほどのディープなコスプレ趣味の弥生さんが、いろんな種類の衣装だけでなく、それに合わせるための各種ウィッグも揃えていることは彼女と雑談したときに聞かされていた。なので、トウカさんの髪と同じようなウィッグを都合よく用意してもらえたことに不思議はないのだが……私が弥生さんとコスプレの話をしていたとき、リリは私の膝枕でぐーすか寝ていたはず。なのにどうしてウィッグのことを知っていたのか。

 ……まあ、リリのことだから寝ながら聞いていたのだろう。そういうことにしておく。


「リカコ……なんでこんなことを……」


 ユウジさんが問う。

 その理由はリリが初めに言った。『トウカさんにフラれた腹いせ』だと。

 それを裏付けるようにリカコさんはぽつぽつと話し始める。


「あたしとトウカは三年も付き合ってたんだ……。あたしはトウカのことが大好きだった。誰よりも愛してた。あたしにはトウカしかいなかった。なのに……


 決定的証拠に観念したか、自嘲じちょう混じりに笑い、リカコさんはユウジさんをにらんだ。


「トウカは別れを切り出したときに言ったよ。『本当に好きな人ができた』って。ショックだった。悲しかった。あたしじゃない人に、トウカが目を向けたんだ。でも……トウカがそれで幸せなら、それでいいと思った。あたしよりずっといい彼女ができるなら、それでも、って。なのに……」


 がん、と床にこぶしを叩きつける。二度、三度。


って、何の冗談? 女の子しか愛せないとか言ってたのは何なの? ベッドの中で、いつも私に可愛いよ、綺麗だよってささやいて、私を気持ちよくしてくれたその口から男の名前が出てくるなんて、許せるわけないでしょ⁉ だから! トウカを……!」


 悲鳴のような声で叫んで。

 リカコさんは泣き崩れた。


 ……気持ちは、わかる気がする。

 他の人にしてみれば「たったそれだけのことで?」と思われるかもしれない、取るに足りない動機だろう。

 だが、当事者にとっては『それだけ』ではないのだ。

 リカコさんにとってのトウカさんのように、私にはリリ以外にいない。リリのことになると我を忘れてしまうくらいいとおしくて大好きだから、リリが離れていくなんて考えられないし、認められない。

 だから、わかる気がした。


「…………」


 無意識にリリの手を引いて、ぎゅっと抱き寄せる。ちっちゃな体が私の腕の中にすっぽりとおさまって、不思議そうに私を上目遣いで見ていた。

 それを見つめ返し――リリがいなくなったらどうしようという恐怖がじわじわと私の意識を侵食しんしょくしているのを感じた。

 リリがいなくなったら、私もリカコさんみたいになってしまうのだろうか。

 それはちょっと……嫌だな。


「どこにもいかないよ、僕は」


 腕の中でそうささやいて、リリは笑う。

 たったそれだけの言葉と、太陽のような笑顔が。

 私の中の黒く恐ろしい不安モノぎ払った。

 少なくとも今は――リリがそばにいる。腕の中にリリの体温を感じる。私を見つめてくれている。

 それだけで十分だった。



 ともかく、事件はこれで終幕おわり――



 ――と、誰もが思ったに違いない。

 だが、その雰囲気を破るようにリリは言った。


「ところで、梁川さん」


 少し怖い顔で家主を見つめる。梁川さんは気圧けおされたように身を引きながら、「何よ?」と返した。

 しばらく無言で視線をぶつけ合い、緊張感が高まって――


「僕たちはいつまで?」


 ふ、と苦笑して肩をすくめながら、リリは尋ねた。

 お芝居……?


「……何のことかしら?」

「とぼけても無駄だよ。。もういいだろう」


 ドラマのけいが犯人にはくを求めるような、有無を言わさぬ迫力だ。その強い圧に、梁川さんの目が泳ぎ出す。

 それでも自白しないのは、梁川グループの女王様のプライドか。


「いやはや、降参だ。すごいな、君は」


 そう言って両手を挙げたのは、今まで見せていた恐ろしいまでのぞうに満ちたものではない、好青年を思わせる表情のユウジさんだった。

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