第5話

 トウカさんたちが大浴場に行ってから少しして、ヨシタカさんがやっと通話を切った。ずいぶん長い電話だったが、話はついたのだろうか。


「どんな感じだ?」

「レッカーの手配はできたが、いつ到着できるかわからないそうだ。雪が酷くなってきているし、今日中には無理かもしれないと」


 小声でユウジさんが問いかけると、ヨシタカさんはゆるりと首を横に振って返した。


「修理は?」

「原因がわからないんじゃ、やりようがないだろう。俺達は整備士じゃないんだ、修理なんてとても」

「それもそうだな……」


 せいをなくしたように落胆し、ユウジさんは暖炉の前の一人掛け椅子で雑誌を読んでいる梁川やながわさんをちらりと見た。

 彼の言いたいことはわかる。

 突然押しかけてお風呂と夕食まで用意してもらったのに、その上泊めてもらえないかと厚かましいことを頼まなければならない事態になったのだ。いくらしかたがない状況とはいえ、大学生が中学生の女の子に助けを求めるのは何かと思うところがあるだろう。


「歩いていける距離に宿泊施設があればいいんだがな……」

「さっきスマホで調べてみたけど、あれへんかったよ」


 ヨシタカさんの独り言に答えたのは、温泉から戻ってきたばかりのマキさんだった。ほとんど話さなかったので気づかなかったが、関西圏かんさいけんの人らしい。独特のイントネーションの言葉遣いだった。

 というか、彼女がお風呂に行って十五分も経っていないんですけど。カラスの行水ぎょうずいにも程がある。


「この近辺はほとんど私有地みたいで、商業施設のたぐいはなんもあれへん。一番近いコンビニでも歩いたら一時間くらいかかるんちゃうかな」

「ウソだろ……」


 マキさんの言葉にヨシタカさんは頭を抱えた。

 周辺に店などがないのは当たり前だ。この別荘を中心とする一帯は梁川家の所有なのだから、持ち主が必要としない施設が作られることなどありえない。

 私有地に迷い込んでしまったのが運の尽きだろう。


「ともかく、レッカーの業者が来てくれることを祈ろう。それが無理なら、泊めてもらえないか交渉してみる」

「そうだな……」


 ユウジさんが話をまとめると、ヨシタカさんとマキさんはうなずいた。



 それから三十分ほど経ってリカコさんが戻ってきた。メイクをバッチリ決めていてお風呂上りとは思えないが、首元や腕にうっすらと汗がにじんでいるので、十分温まってきたらしいことはわかった。


「ここのお風呂スゲーのな。マジ気持ちよかった。ユウジたちもあとで入ったほうがいいよ」


 そうリカコさんは上機嫌で言いながら、テーブルに置いてあったカップのお茶を手にとって一気に飲み干した。……それ、リリのカップなんだけど。

 まあ、リリは大学生たちの自己紹介が済んで雑談が始まった辺りから、ずっと私にもたれかかってぐーすか眠りこけているし、そうと知っても多分気にしないと思うけど……私は気にする。私以外に、間接とは言えリリとキスされたのがなんだか腹が立つから。

 そう思いながらリリの頭を撫でつつリカコさんをにらんでいると、その視線に気づいたのかこちらを向いて彼女は言った。


「君らも行ってきなよ。ほんとスゲーから」

「行きますよ。でもトウカさんがまだですよね」


 一番に温泉に食いついた彼女がまだ戻っていない。私は見知らぬ人とお風呂に入るということに抵抗があるので、できればリリと二人きりのほうがいいのだ。……いや、決して二人きりで何かをしようとか、そういう意図つもりはない。

 しかし、リカコさんはそんな私を軽く笑い飛ばす。


「あー、無駄無駄。あの子、温泉好きだからバカみたいに長風呂するんだよ。一時間や二時間はふつーに。待ってたらいつまで経っても入れないよ」

「えぇ……?」


 そうなんですか? とマキさんに目をやると、彼女は苦笑しながら静かにうなずいた。

 梁川さんのこうで一時的に身を寄せているだけなのに、のびのびしすぎではないだろうか。そう思って家主の様子をうかがうが、当人は特に気にする様子もなく、雑誌を読む格好のままずっと黙している。そうすると私が文句を言えるものではない。


「だから、そこは諦めてもらうしか……あれ? スマホがない……」


 話の途中でリカコさんは、手にしていたトートバッグに手を突っ込んでガサガサと中をあさった。着替えやメイク道具が入っているのだろう。


「あれ……脱衣場を出るときに入ってたのは覚えてるんだけど……」

「自分、メイクするのに脱衣場の鏡やと曇って見えへんからってトイレ行ってたやん。そこに置いたんちゃうの?」

「あ! そうかも! ちょっと行ってくる!」


 マキさんの指摘に声を上げ、リカコさんは慌ててリビングを出て行った。そう言えばリカコさんが戻ってくる少し前にマキさんがトイレに行ってたっけ。そのとき会ってたのかもしれない。

 ……と、そうだ。


弥生やよいさん。大浴場の隣にもお風呂がありましたよね? そちらは使えるんですか?」


 ふとそれを思い出し、入口辺りに控えていた弥生さんにたずねる。しかし、メイド服姿の彼女は申し訳なさそうに首を振った。


「今日は小浴場を使う予定がなかったので、今すぐというわけには……」

「そうですか……」


 どちらも温泉の湯を引いているらしいので、リリと二人きりになれるなら小さくてもいいかなと思ったが、使えないのではしかたがない。夕食はさっぱりしてから楽しみたいし、トウカさんが出てくるまで待っている時間もない。いっしょに入るしかなさそうだ。

 残念と肩を落としつつ、気持ちよさそうに眠っているリリを起こし、温泉に行く準備を始めた。



 リカコさんが興奮気味に言うだけあって、大浴場はとにかく広かった。

 まず脱衣場が広い。学校の教室くらいの大きさがあり、何十人分の服を置けるのかというほどの脱衣かごと棚がある。今は一つだけしか使われていないが。

 脱衣場から浴室へはすりガラスの引き戸でへだてられている。カラカラと手応え軽くそれを開けると、ぶわっと大量の湯気が襲ってきた。露天風呂ではないらしいので湯気がこもるのは当たり前なのだが、この量は多すぎやしないだろうか。換気口や換気扇がないのか?


「ここに立っていても寒いだけだよ。入ろう」


 ほとんど視界の利かない中へ踏み込むのを躊躇ためらっていると、リリが私の手を取って歩き出した。入ってすぐの正面に柱が見え始め、それを右に避けると洗い場のオレンジ色のあかりが見えた。そこでシャワーを浴びて体と髪を洗い、浴槽よくそうへ。

 相変わらずの湯気で足元くらいしか見えない中、リリが先に入った。私はそれに続こうとして――


「んなっ⁉」


 急に足元がぐらついてバランスを崩し、浴槽に飛び込むような形で倒れてしまった。幸い、お湯のあるほうへ倒れたことと水深があったおかげでケガはしていないが、ざまにも程がある。


「ミコ。温泉が嬉しいのはわかるけど、飛び込むのは感心しないな」

「子供じゃないんだからそんなことしないよ。転びそうになったんだよ」


 あきれるリリに言い返し、浴槽から床をじっと見る。

 床は大小さまざまな大きさの石を敷き詰めてコンクリートのようなもので固めた感じだが、私が足元に違和感を覚えた辺りには直径十五センチくらいのいびつな円形をした石が埋まっていた。それを手で触ってみると、ごり、と小さい音がして動いた。この上に乗ってしまったからバランスを崩したのだろう。

 リリもその石を上から押したり叩いたりして、これは危ないねと呟く。少し力を入れて押し込むと、あろうことか石はすぽっと穴から抜けてしまった。完全にコンクリートからはがれていたようだ。


五十里いかりさんに言っておかないとね」

「そうだね」


 石を穴に戻し、リリはお湯に肩までつかった。その隣に私も腰を下ろす。

 すぐ近くの壁にある獅子をかたどった彫刻の口からお湯が湧き出していて、もうもうと湯気を巻き上げている。

 これだけの湯気だとさぞかし熱いのかと身構えていたが、つかってみるとお湯は熱すぎずぬるすぎず、冷えた体に心地いい温度だった。疲労やその他いろいろなものが溶け出していくようだ。


「大丈夫? すごい音がしたけど、ケガはしてない?」


 湯煙ゆけむりの向こうから声がした。

 そういえばトウカさんがいたんだっけ。


「大丈夫です。ちょっと転びそうになっただけで」

「そう。ならよかった」


 ほっとしたように呟くと、トウカさんはこちらにやってきた。長い黒髪をアップにして頭にタオルを巻いているからか、リビングで見た彼女とは違う人のような感じがした。

 湯気に邪魔されずにぼんやり顔が見える距離まで近づいてきて、トウカさんは私とリリを交互に見やって微笑んだ。


「あなたたち、中学生なのよね?」

「はい」

「二人は付き合って長いの?」

「一年半くらいですかね」


 と答えてから、とんでもない違和感に気がついた。

 どうしてこの人は私とリリが付き合っていることを知っているんだ……?

 その警戒心が顔に出たのだろう。トウカさんは小さく笑って手を振った。


「見ていればわかるわ。仲のいいお友達では済まないものが見えるから」

「はあ、そうなんですね」


 この別荘に来てからは控えていたつもりだったのだが、無意識に出ていたらしい。気をつけないと。


「ああ、一応理解はあるつもりだし、責めているわけじゃないのよ。それはとても尊いことだから、大切にしなきゃダメ」


 そう言って、トウカさんは胸に手を当てて谷間にある二つのホクロを指で撫で、遠い目をして天井を見上げた。

 なんだか大人にしかわからない複雑な感情を見せられたような気がして、私は言葉を返せなかった。

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