第4話

 昼食を終えると、梁川やながわさんがゲレンデに行く準備をしましょうと席を立った。私たちもそれに続く。

 ……が。


「お嬢様、これからゲレンデに?」


 三人でダイニングを出るその直前、給仕をしていた弥生やよいさんに呼び止められた。


「そうよ。車の用意をしてちょうだい」

「その、申し上げにくいのですが……おやめになられたほうが」

「…………」


 げんそうな顔をしつつも、なぜ、と問い返しもせず、梁川さんは振り向いて窓に目をやった。釣られて私もそちらを向く。裏庭と屋敷を囲むへい、その境界に顔を覗かせる針葉樹林、それと雲一つない青空が見えた。


?」

「はい」

「そう、わかったわ」


 短いやり取り。

 私には何のことかわからないが、梁川さんはそれで理解したらしい。私たちに向き直ると、残念そうに肩を落とした。


「天候が悪化するみたいだから、ゲレンデ行きは中止よ。悪いわね」

「え……? こんなにいい天気なのに?」

「弥生さんの予想はよく当たるのよ」

「そうなんだ……」


 地元民の経験と勘、というやつなのだろうか。このメイドさんにそんな能力があるとは……改めて梁川家の人材のすごさに圧倒される。



 午後からの予定がキャンセルとなり、私たちはお屋敷にこもることになった。天候が悪化するとわかって外に出るわけにもいかないし、そもそもこの周辺にひまつぶしができるような施設はないのだ。

 しばらくはリビングで映画を見たり雑誌を読んだりしていたが、すぐに飽きてしまった。特にすることもなく、ぼーっと暖炉の前で炎がゆらゆらしているのを眺めていると弥生さんがお茶を運んできたので、ダメモトで話し相手を頼むとこころよく応じてくれた。


「へー……そのメイド服、弥生さんのお手製なんですか」

「そうなんですよ。衣装を作るのも着るのも好きで、イベントにもときどき参加したりして。お給料の九割はコスプレに突っ込んでますよ」


 暖炉の前にそんな会話の花が開く。自己紹介のときは陰気な人なのかなと思ったが、こうして話してみると弥生さんはかなり親しみやすい人だった。

 ちなみにリリは、お約束というかいつも通りというか、私の膝を枕にしてすやすやとお休み中である。

 寝顔が可愛すぎて鼻血が出そう。

 ……などと思っていると。


「……?」


 突然激しく玄関ドアを叩くような音が聞こえた。

 弥生さんがお仕事モードに戻ってリビングのドアを開け、玄関に向かう。

 同じくして小走りに東棟のほうからやってきた五十里いかりさんが玄関のドア越しに誰何すいかすると、若い男性の大きめの声がした。そのまま少し話し、わずかに玄関ドアを開けた。

 そこで交わされる会話内容はここまで届かないので、どういうやりとりをしているのかはわからない。

 弥生さんはリビングと玄関の中間あたりでしばらくそれを見ていたが、五十里さんとうなずき合うと部屋こちらに戻り、ドアを閉めた。


「お嬢様……」

「今日は来客の予定はなかったはずよね?」

「はい。ですが……」


 ソファにふんぞり返っていた梁川さんのそばに行き、私たちを気にしながら耳打ちするように何かを話した。

 ――大学生――迷った――故障――そんな言葉が漏れ聞こえる。


「……いいわ。入ってもらって」

「わかりました」


 梁川さんが言うと、弥生さんはこうべを垂れて振り返り、リビングを出て行った。


「……何かあったのかい?」


 目を覚ましたリリが呟き、上体を起こした。寝起きでゆらゆら揺れるリリを抱き寄せて、梁川さんの返事を待つ。


「近くのスキー場に遊びに来た大学生たちが道に迷ってこの別荘に続く道に入り込んで、折り悪く乗っていた車が故障したらしいわ。それでここを見つけて助けを求めてきたそうよ」

「ふうん……」


 なんとも運の悪い人だ。いや、ここを発見できたから運はいいのか。


「雪の中を歩いてきたらしいから冷えていると思うし、リビングに入ってもらうけど構わないかしら」

「私は別に」

別荘ここあるじは君だよ。僕が口出しすることじゃない」


 私たちはそう答えてうなずいた。というか、弥生さんに招き入れるように指示したあとに言われても困るんですが。

 どんな人が入ってくるのかと身構えつつ、リリと手をつなぐ。


「わあ、暖かい……生き返る……」


 ドアをくぐるなり安堵に満ちた声を上げたのは、私の予想と違って長い黒髪の女性だった。ニット帽とコートに少し雪を積もらせた体を震わせながら一直線に暖炉に駆け寄ってくる。その勢いに驚き、私とリリは思わず暖炉の前から五歩ほど後ずさってしまった。


「暖炉あるじゃん! マジすげぇ!」


 続いて、雪山に来るには不釣り合いな薄着の派手な女性が黒髪女性の隣に駆けてきた。雪で濡れたコートを脱ぐと、その下はノースリーブのタートルネックセーターに膝上のミニスカート姿だった。ファッションに命をかけている人種なのかもしれない。小波渡こばとさんと話が合いそうだ。


「ちょっと、先客を押し退けて何やってんの」


 三人目は地味なデザインのアウトドアウェアの上下を着た、黒髪メガネの女性。こちらは派手なお姉さんとは対極の、実用性重視の防寒装備だ。私とリリに「ごめんなー」と一言謝ってから暖炉に手をかざした。

 ……というか、五十里さんとやりとりしていた男性はどうしたんだろう。

 そう思っていると、大きなボストンバッグを両肩にかけた男性が二人、部屋に入ってきた。そのうちの茶色の短髪の男性はソファの近くにバッグを下ろし、ふう、と疲れた息をついてから背筋を伸ばした。もう一人の男性も両肩の重そうな荷物を置いて、同じように肩を気にするような仕草をした。二人して荷物運びをさせられていたらしい。


「助かりました。ご迷惑をおかけします」


 茶髪の男性が梁川さんに向き直り、頭を下げた。

 梁川さんもソファから立って会釈する。


「気にしないでください。困ったときはお互い様と言いますから」

「ありがとうございます」


 茶髪男性に並んでもう一人、黒髪の男性も深々とお辞儀する。

 あいさつもせずに暖炉にダッシュした女性陣と違って礼儀正しい人たちのようだ。


「おい、お前たちもきちんとあいさつしろよ。失礼だろ」

「はーい」


 茶髪男性の叱責しっせきに派手なお姉さんが気だるそうに返事し、三人そろって梁川さんに声をかけた。こういう態度を取られるとお嬢様の機嫌が悪くなるのでは……と心配していたが、梁川さんは特に気にした様子もなく、弥生さんに彼らの飲み物を持ってくるよう命じていた。

 相手が大学生だからか。それとも茶髪男性がまずきちんとあいさつしたからか。

 ともかく、大学生五人は梁川家別荘に招き入れられたのだった。



 温かい飲み物で落ち着いた大学生五人は、改めて梁川さんに礼を言って自己紹介した。


「みなさん医大生なんですか?」


 自己紹介で大学名と学部を聞いて、梁川さんが問い返した。ユウジと名乗った茶髪の男性がそうですよとうなずきながら学生証を見せてくれた。私のような中学生でも知っている関東くっの有名大学の名前が入っている。彼らはその医学部の三年生なのだそうだ。

 ユウジさんや他の人はともかく、派手なお姉さん――名前はリカコというらしい――が医学部生とは信じられない。……というのは偏見へんけんだろうか。

 どう思う? と視線でリリに語りかける。しかしリリはその学生証をじっと見つめていたので私には気づいていないようだった。


「その大学の医学部だったら、僕の伯母おばを知っているかもしれないね」


 唐突にリリはそんなことを言い出した。それが意外だったのか、ユウジさんが振り向いてリリを見た。


「君の伯母さんは大学職員なのかな」

「教授だよ。やくがくのね。医大生なら二年か三年で履修りしゅうするはずだから、ひょっとしたら講義を受けているかもしれないと思ったんだけど」

「へえ……教授の名前は?」

御陵みささぎあき。五十代でちょっとふくよかな感じなんだけど」

「わたし知ってる。やくの御陵教授でしょ。講義受けてるよ」


 と、長い黒髪の女性。確か名前はトウカだったか。コートを脱いだ服装はフェミニンな感じで、メイクも地の綺麗さをきわたせるナチュラル系だ。なんというか、自分を可愛らしく、美しく見せるコツを知り尽くしている、そんな印象を受けた。

 トウカさんの返答にリリは「そうなんだ」と一言うなずいて微笑んだ。意外なところで身内を知る人に会って嬉しいのかもしれない。

 そんなリリをちらりと見る、もう一人の黒髪の女性。

 リリより少し短いショートヘアで前髪が長く、マンガのキャラクターのような大きくて丸いメガネをかけているので、飾り気のない服装とあいってものすごく地味な印象だった。会話するのが苦手なのか、自己紹介で『マキです』と名乗っただけで、少し離れたところに座ってずっとスマートフォンに視線を落としている。

 スマートフォンといえば、黒髪の男性も会話に加わらず、窓際まどぎわに立ってずっと誰かと通話している。故障、修理、レッカー、といった単語が出てくるところから察するに、自動車の修理工場に連絡を取っているのだろう。梁川さんにあいさつしてからずっと通話しているので、彼の名前が『ヨシタカ』だということはユウジさんから聞いた。


「みなさん、夕食の前に温泉に入られてはいかがですか」


 午後四時半を過ぎて雑談に一区切りついたころ、五十里さんがリビングにやってきてそう提案した。その一言にいち早く反応したのはトウカさんだった。


「温泉があるんですか?」

「はい。このお屋敷の大浴場に温泉を引いてありますので……」

「入ります!」


 五十里さんに食い気味で答え、バネ仕掛けの人形のように立ち上がってボストンバッグに駆け寄った。そして着替えとお風呂セットらしきものを小脇に抱えると、ソファでキョトンとしているユウジさんたちのほうを向いた。


「何してるの、早く!」

「はいはい、わかったって」


 やれやれと面倒くさそうに息をつき、リカコさんがソファから立ち上がった。そしてスマートフォンに集中しているマキさんからそれを取り上げて、「行くよ」と短く言ってトウカさんのところへ歩き始めた。

 スマートフォンを奪われたマキさんはあからさまに不機嫌な顔をしていたが、言っても無駄というように無言のままバッグから着替えを取り出し、二人に続いた。

 ……なんとなく、あの三人のパワーバランスが見えた気がした。


「そちらのお二人は?」


 五十里さんが未だ電話中のヨシタカさんに目をやってからユウジさんに問いかける。


「俺たちは遠慮します。荷物番をしなければいけませんし、ヨシの車をどうにかするなら男手おとこでがいるでしょうから」

「わかりました。お嬢様がたは、いかがなさいますか」


 質問に、梁川さんは就寝しゅうしん前でいいと早々に辞退した。

 私はリリと無言で視線を交わし、うなずき合う。


「トウカさんたちが上がってからにさせてもらいます」


 せっかくの温泉だから二人きりでゆっくり入りたい。

 私の考えていることを的確に読み取ったリリは、そう答えた。

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