第3話

 やがて車は高速道路を下り、車窓の外は市街地を通る道路に変わった。しかしそれもすぐに人家の少ないものになり、山に囲まれたような場所へとやってきた。

 この辺りは標高が高いのか、あちらこちらで雪が積もっていて、私たちの家がある地域ではめったに見られない雪景色が広がっていた。ヒーターの効いた車内にいても、窓に触れると凍えるような外気の冷たさがわかる。本当に雪山に来たんだと改めて実感した。


「着いたわよ」


 車一台と半分くらいの幅しかない山道をくねくねと上っていると背の高い塀が現れ、その門を過ぎたところでにわかに視界が開けた。梁川やながわさんの声で改めて前方に目をやる。

 開けた広い土地に建つレンガ色の洋館がフロントガラスを埋め尽くしていた。

 二階建ての洋風建築で、いったいいくつ部屋があるのだろうと思うほどの窓が並んでいる。まるで学校の校舎だ。正直、ここまで大きいとは思わなかった。

 アプローチを抜けて玄関前に車が停まると、重そうな両開きのドアが開き、中から白っぽい色のセーターに紺色のスラックスをはいた初老の男性と――


「メイドさん……⁉」


 ヴィクトリアちょう時代を描いた某漫画の主人公のようなクラシックなメイド服を着た女性が私たちを迎えてくれた。リリも眠い目をこすりながら「初めて見たよ」と驚いている。梁川さんちにはメイドさんまでいるのか……金持ちってすごい。

 初老の男性が車のドアを開けると、まず梁川さんが下車した。それに続いて、私、リリ、と雪かきされた地面に足を下ろす。


「ご無沙汰ぶさたしております、ゆきお嬢様」

「ありがとう、五十里いかりさん。お世話になるわ。奥様もお変わりないかしら?」

「おかげさまで。ご学友のお二方ふたかたも、えんはるばるようこそお越しくださいました」


 私とリリを交互に見て、男性――五十里さんは柔和にゅうわな笑みを浮かべて会釈した。

 こんな年上の人からていねいな歓迎を受けたことがないのでどうしたものかと戸惑っていると、リリが一歩前に踏み出て、


「ありがとうございます。神前かんざき璃々那りりなと申します。お世話になります」


 キリっとした表情で大人のようなあいさつをした。

 やだ、カッコイイ……好き。

 ……などと思っていると、リリに袖を引っ張られた。自己紹介しろということか。


「梁川さんのクラスメイトの那須野なすの深瑚みこです。よろしくお願いします」

「こちらこそ。このお屋敷の管理を任されております、五十里と申します。こちらはみなさまのお世話をさせていただきます、弥生やよいです」

「……よろしく」


 五十里さんに紹介されたメイドさんが小声でつぶやいて頭を下げた。どことなく五十里さんに似ているし、父娘おやこなのかもしれない。


「ささ、ここは冷えます。あいさつはこのくらいにして、暖房の効いた部屋へお入りください」


 言って、五十里さんと弥生さんは私たちを迎えてくれた。

 屋敷内は外観から想像していたよりも明るい色合いの内装で、飾り気がなくシンプルな印象だった。しかしそれがかえって人を落ち着つかせる雰囲気をかもし出しているように感じた。

 玄関からエントランスホールに入ると、正面に大きな両開きのドアが見えた。天井は二階まで吹き抜けになっていて、シャンデリアのような照明器具が一つ吊るされている。

 正面ドアの左右にファンタジーものの作品に出てくる貴族のお屋敷のような緋色の階段があり、二階へと続いている。

 右と左の壁には正面と同じくらいの大きさのドアがそれぞれ一つずつ。五十里さんが右が東棟ひがしとうでダイニングやラウンジ、左が西棟にしとうで浴場やプレイルームなどがあると教えてくれた。

 五十里さんはまっすぐエントランスホールを抜けて階段に挟まれた正面のドアを開け、私たちを招き入れてくれた。

 どうやらリビングらしく、我が家の私の寝室が十個くらい入りそうな広さがあった。中央につやのある黒い木材のローテーブルがあり、その周りに四人掛けのソファが四脚。右側の壁に大きなテレビ、左側にはゆうに百本を超える映画のソフトが収められた棚が置かれている。……ジャンルがほとんどラブロマンスなのは梁川さんの趣味なのだろうか。部屋の奥の左右には大きなガラス戸があり、雪の積もった裏庭が見える。正面はレンガ積みの壁のようだが暖炉が設置されていて、赤々とまきが燃えていた。イミテーションではなく実用されているらしい。


「昼食は正午からです。それまでここでおくつろぎください。飲み物などは弥生にお申し付けください」

「ありがとう、五十里さん」


 礼を言って、梁川さんは五十里さんがリビングを出て行くのを見送ってからソファに座った。

 引率いんそつでやってきた人は私たちの荷物をリビングに置いたあと、乗ってきた車で帰ってしまった。五十里さんたち別荘スタッフに引率の仕事を引き継いだということなのだろうか。


「この程度、そんなに珍しいものでもないでしょう。立っていないで座ったら?」


 部屋の広さに圧倒されていた私に梁川さんはそう言って、近くのソファを指した。

 あまりにも普段の生活からかけ離れたお屋敷にまどいっぱなしの私は、言われるがままにソファに腰を下ろし――想像以上に柔らかく沈み込んだせいでバランスを崩してしまい、背もたれで後頭部を打った。背もたれもふっかふかだったので痛みはなかったが、何をしているんだとあきれるリリと、あからさまに嘲笑あざわらっている梁川さんが視界に入って恥ずかしくなった。


「しょうがないでしょ、こんな上等なソファに座ったことないんだから」

「それはわかるけど……」


 私の抗議に苦笑しつつ、リリは私のように勢いよく腰を下ろしたりせず、ゆったりとした優雅な仕草で隣にちょこんと座った。先ほどのあいさつといい、慣れた所作といい、実はお嬢様なのか、この子は?


「昼食が済んだらどうする? ゲレンデの準備はしてあるからスキーでもスノボでも自由よ」


 弥生さんが持ってきてくれたジンジャーティーを飲みつつ、梁川さんは言った。

 一応リリをここへ連れて来る言い訳にしたのだから、ゲレンデに行かないという手はない。午後からの予定はその一択だ。


「もちろん行くよ。……でも、来る途中でゲレンデらしきものを見かけなかったよね。どこにあるの?」


 なんとなくその疑問を口にする。細い山道に入ってからは森の中を抜けるという感じで、スキー場にできるほど開けた場所を目にした覚えがなかったのだ。

 その答えがどんなものなのかと梁川さんを見る。


「この別荘からぐるっと山を回り込んだところにあるわ。車で十分くらいかしら」

「え……ということは、山の裏側ってこと?」

「そうね」

「ゲレンデって梁川さんちの所有だっけ?」

「そうよ」

「つまり、この山全体が梁川家の所有?」

「そうよ。言わなかったかしら?」

「言ってない言ってない」


 本当にすごいマジでパねェな、梁川家。……いけない、驚き過ぎて小波渡こばとさんの口調がうつってしまった。

 そう、驚いたと言えばもう一つ――


「そういえば梁川さん」

「何?」

「梁川さんの名前って『美幸』だったんだ。知らなかった」

「……クラスが一緒になって九か月も経っているのに……那須野あなたって人は……」


 私の発言に、信じられないと頭を抱える梁川さん。リリもちょっと引いている。

 うあ、さすがにこれは失言だったか。気まずい。逃げたい。


「あー、えっと、弥生さん。ちょっとお花をみに行きたいんですけど、どこでしょう?」

「ご案内いたします。こちらへ」

「ありがとうございます。……リリ、ちょっと行ってくるね」


 リリの黒髪ショートボブをさらりと撫でて立ち上がり(と簡単に言っているが、立つのに苦労するふかふか具合だ)、弥生さんについて部屋を出る。

 エントランスを右に折れて西棟のドアを開けると、まっすぐな廊下に続いていた。右側にいくつもドアが並んでいて、手前から三つめの入口に『大浴場』というプレートがかかっている。ここだけはドアがなく、紺色の暖簾のれんがかかっていた。洋風の屋敷なのにここだけ和風で、なんだか違和感があった。

 その前を通り過ぎると『小浴場』と書かれたドアが目についた。


「お風呂が二つもあるんですか?」


 思わず口をついて出た質問に弥生さんは一つうなずいて、両方とも源泉からお湯を引いて、使うときはかけ流しにしていると教えてくれた。


「わざわざこのお屋敷まで温泉のパイプラインを引いたんですか?」

「いいえ、温泉が湧き出たところにこの別荘を建てたのです」

「えぇ……」


 やはり金持ちのすることはスケールが違いすぎて理解が追いつかない。

 浴室が大小二つあるのは来客の人数で使い分けるためであって、男女で分けているのではないとのこと。なので入浴時は男女で時間を分けるか混浴することになるらしい。今回は女性わたしたちだけなのでそういった面倒はないけれど。

 ちなみに、今日は梁川さんの指示で大浴場を用意してくれているのだそうだ。楽しみである。


「こちらです」


 弥生さんは足を止め、振り返ると、小浴場の隣の部屋のドアを指した。

 案内してくれた弥生さんに礼を言って、トイレに入る。


「うむぅ……」


 やはりというか何というか……ここも無駄に広い。広すぎて落ち着かない。

 広ければいいというものでもない――そんなことを思いつつ、私は小さく息をついたのだった。

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