第2話

 中学生の僕らが親の許可なく外泊がいはくなんてできないからね。


 そう言ったリリだが、ふたを開けてみるとあっさりと許可が下りた。もちろんリリと私の親からだ。

 どういうことだと思って両親にたずねてみると、梁川やながわ家から手土産てみやげを持った使いの者が来て、ていねいにあいさつと旅程りょていの説明をしていったとのことだった。引率いんそつの大人の身元や経歴まで聞かされ、それなら大丈夫だろうと許可することにしたらしい。

 リリのところも同じだったとあとで聞いた。

 そこまでするか……とあきれつつも深く考えないようにして、とりあえずリリとお泊り旅行できることになったことを喜んでおこうと思う。

 ちなみに私は期末テストで赤点を一つでも取っていたら許可しないと言われていたが、それは要らぬ心配だった。パニックで頭の中が真っ白なままに解答欄を埋めただけだったのに、どういうわけか全教科で平均点近くを叩き出し、普段よりも高得点になったくらいだ。リリとの勉強会は知らぬ間に身になっていたということらしい。


梁川ヤンちゃんの別荘、楽しみだね」


 二学期終業式の日、そう言いながら私の肩を叩いた小波こばさんが満面の笑みを浮かべた。

 着崩した制服に短いスカート(冬なのに生足!)、派手めな髪色とメイクで非常に目立つ人だ。私のような地味に地味を重ねたような人種とは一生関わり合うことはなさそうだが、縁あってリリ共々ともどもそれなりに話をする間柄あいだがらになった。もちろん『例の件』が関係している。

 よって、例の件のおびとお礼という名目での招待だから、私とリリだけじゃなく関係者(というか当事者)の小波渡さんと鹿瀬かのせさんもお呼ばれしていたらしい。……そういうことは先に言っておいてほしかった。


「小波渡さんはスノボできるの?」

「あたし寒いのダメだから、全然。温泉が目当て。しずくもそうだし」


 寒いのダメなのに生足なの? ファッションに命がけの人?

 というツッコミは喉の辺りでかろうじて抑え込んだ。


「そうなんだ。……でも鹿瀬さん、気まずくないの?」


 なんとなく教室のすみの席にいる鹿瀬さんに目をやる。

 例の件の発端ほったんは去年お付き合いしていた梁川さんと鹿瀬さんのすれ違いだったし、その件の前に別れた鹿瀬さんの今の彼女カノジョは、梁川グループ所属で梁川さんと最も親しくしている小波渡さんだ。小波渡さんはなので両者の間で上手くやっているようだが、別荘で梁川さんと鹿瀬さんが顔を合わせるのはどうなのだろうと思わずにはいられない。

 そんな私の心配もどこ吹く風と、小波渡さんは笑う。


梁川ヤンちゃんはそんなに心の狭い子じゃないから。自分で納得したことでウダウダ言ったりしないって。雫も似たようなもんだし」

「ならいいけど……」

「心配すんなって。那須野なすの神前かんざきにゃ迷惑かけねーから。んじゃ」


 言いたいことだけ言って、小波渡さんは教室を出て行った。その少しあとに鹿瀬さんが席を立ち、追いかけていく。この二人は私たちと違って、付き合っていることをクラスのみんなには秘密にしているのだ。


「……ま、小波渡さんが間に入るなら大丈夫か……」


 鹿瀬さんと梁川さんの問題は大丈夫そうだと息をつき、私の机に伏して居眠りしているリリの頭を撫でる。

 鹿瀬さんのこともそうだが、実のところこちらにもねんがある。

 前にも言ったとおり、私とリリは梁川グループに所属していない。しかも普段梁川さんはリリを敵視しているのだ。いくら礼節れいせつを通すためとはいえ、そういう立場にある者同士が上手くやれる保証などどこにもないので不安は残る。

 まあ、今回に限っては梁川さんがリリに礼をするという名分めいぶんがあるので突っかかってくるようなことはないだろうし、リリはそもそも梁川さんに対して思うところがない。小波渡さんがいてくれるなら、変な対立もなく「この前はありがとう」「いえいえどういたしまして」という軽い感じでなごやかに済むのかもしれない。


「…………」


 そう思っていた時期が私にもありました。


「あの、小波渡さんたちは……?」


 出発当日、東の空が少ししらみ始めた薄暗い早朝。

 梁川さんが用意してくれた迎えの車の後部座席に乗り込むと、そこには梁川さんとリリがいた。他は運転手と引率の人が前の席にいるが、小波渡さんたちは乗っていなかった。

 ああ、これから二人を迎えに行くんだ……と思っていたら、車はまっすぐ高速道路に向かい、目的地を目指して走り出したのだ。

 そこで不審に思って梁川さんに訊いてみると、衝撃の返答があった。


「鹿瀬さんが風邪を引いて行けなくなったから、小波渡コバちゃんもパスするそうよ」

「なん……ですって……?」


 自分の声がかすれていくのがはっきりわかった。

 ということは、梁川さんちの別荘に私とリリだけで行くの?

 なんというか……不安しかないんですが。


「心配しなくてもいいわよ。これは私からのお礼なんだから、ちゃんとお客様としてもてなす準備はしてあるわ。あなたたちは気にせず楽しんでくれればいいのよ」


 そう言って、梁川さんはリリに目をやった。

 早起きしたからか、リリはすでに夢の世界の住人になって可愛い寝息を立てていた。迎えに行って車に乗った途端に眠ってしまったらしい。見るからにふかふかもふもふの高級なブランケットに包まれて幸せそうな顔をしている。


「別荘まで数時間かかるから、あなたも眠るといいわ。……私と話すことなんてないでしょ」


 色違いのブランケットを差し出し、梁川さんは言った。それを受け取って膝の上に置く。

 うむ、これはすごい。眠くなるのも納得の肌触りと温かさだ。こんなのに包まれて寝たら、さぞかしいい夢が見られそうな気がする。

 しかし――


「それじゃ、梁川さんが退屈でしょ。話し相手くらいは私にもできるよ」


 なんとなく自虐じぎゃく的というかさびしそうな言い方だったし、招待主を差し置いて眠りこけるのはどうかと思い、共通の話題が見つかりそうになくて気は進まないがそんな風に返した。

 すると梁川さんは少し意外そうな顔をしたあと、すぐにふんと小さく息をついて、


「私も寝るから結構よ。しゃべりたければドアに向かって独り言でも言っていればいいわ」


 人を小馬鹿にする見下した目で吐き捨てた。

 ……私の気遣いを返してください。



 途中のサービスエリアに立ち寄り、起こしても起きてくれないリリを運転手さんに任せて車に残し、引率の人をともなって梁川さんと軽く食事をすることになった。

 もちろん、彼女とは同じ席にいながら会話はほぼゼロだった。

 それに耐えきれず引率の人に活路をいだそうと話しかけたが、ずいぶんもくな人のようで会話らしい会話にならず、結局押し黙ったまま熱々のきつねうどんを吸い込むだけの気まずい食事となった。

 そんな具合で車に戻ると、目を覚ましたらしいリリが不機嫌な顔で私と梁川さんをにらんできた。


「起こしてくれればよかったのに」

「起きなかったのはリリでしょ?」

「むぅ……」


 私はきちんと起こしたのに、うるさそうに拒否したのはリリだ。文句を言われる筋合いはない。


「何食べたの? ミコからいいにおいがする」

「当ててみて?」

「んー……」


 しばしリリはじっと私の顔を見つめ、ちょいちょいと手招きした。何だろう、と思いながら顔を近づけると、いきなりキスされた。唐突な事態に驚く私をよそに、リリの舌が私の口内をさらりと撫でていった。


「この味は……マスカット風味のソフトクリームかな?」

「正解」


 小波渡こばとさんからこのサービスエリアの名物だと聞かされて、ずっと楽しみにしていたという梁川さんにならって私も買ってみたのだが、確かに名物というだけあって気まずさを吹っ飛ばすくらい美味しかった。


「僕の好きなフレーバーじゃないか。ますます起こしてくれなかったことを恨むよ」

「そうおっしゃると思いまして、こちらにリリの分をご用意しております」


 この私が愛する彼女リリのことを放っておくわけがないではないか。

 持ち運びや揺れる車内で食べるのに向かないコーンタイプではなくカップタイプのアイスを買ったので、それをスプーンですくってブランケットに埋まって顔だけ出しているリリの口に運ぶ。

 はむ、と小さな可愛らしい口をもごもごと動かし、にへっと嬉しそうに微笑んで、もっとちょうだいと催促さいそくしてくる。

 何というか、生まれたての雛鳥ひなどり餌付えづけしている気分だ。すごく楽しい。幸せ。


「本当にバカップルよね……あんたたちって……」


 はあ、と心底あきれたため息をついて、梁川さんは付き合ってられないとばかりにブランケットを頭からかぶった。

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