第48話 世界の流儀に倣い候

 

 刀の打ち合いを意図的に避けながらも、時折両者の刃は激しく切り結び火花を散らす。

 

 その都度、黒い大理石が敷き詰められた薄暗い室内がカッと明るく照らされた。


 薄闇に浮かび上がる二人の顔には、最初にあった憎しみの気配が薄れ、真剣の切れ味が増し加わっていく。


 加熱する戦闘に反して、ぐんぐん下がっていく気温に、さくらは思わず身震いした。



 寒い……


 これがミスター劉の能力……?


 

 侍は低い位置に身構えていた。

 

 ほとんど膝で歩くような動きと、峰に手を添え短く保った切っ先で、大刀とミスター劉の動きを制しながら致命傷を与える隙を伺っている。

 

 対するミスター劉は間合いの内側に張り付いて離れない侍に苛立ちながらも、青竜刀と徒手空拳を交えた戦法で侍を引き剥がす機会を狙っていた。



 両者の狙いが拮抗し、互いに攻め手を決めきれぬ。


 一瞬の迷いが、判断の誤りが、命取りになる緊張感が、その場の空気を支配する。



 そんな中、侍が勝機を見出し両手で短く繰り出した突きと、同じく勝機を見出しミスター劉が放った横薙ぎ……


 それは共々空を切り、両者の背中がぶつかり合った。


 互いが互いの背に身を預けるような格好になり、さらに狭まった可動範囲の中でも、両者は絶え間ない攻防を繰り広げている。

 

 

 あんなに近くにいるのに……


 どっちの剣も当たらないなんて……


 

 戦いの行方を見つめるさくらが、ごくりと唾を飲んだその時だった。

 


 さくらは見た。

 

 背中合わせで金ちゃんには見えないミスター劉の表情を。

 

 残虐に歪んだ口元に浮かぶ、今まで見せたことのない笑みを。

 

 

「金ちゃん……!! そいつ何か企んでる……!!」


「もう遅い……!!」 


 さくらが叫んだその刹那、ミスター劉が機械化機構サイバネシステムを起動した。

 

 カシュン……


 その音と同時にミスター劉の頸部に青い瞳が姿を現す。


 その瞳が持つ脅威を本能的に感じ取った侍は、距離を取ろうと一足飛びに退しりぞいた。

 

雷来天ライライタン……!!」

 

 轟音を伴い青い稲妻が頸部の瞳から迸った。

 

 稲妻が突き抜け、焼け焦げた侍が、どさりと地に膝を付く。

 

「いかがかな? 龍が巻き起こす雷の感想は?」

 

 そう言ってミスター劉はシャツを破り捨てた。

 

 その胸に、肘に、背中に、青く淀んだ龍のまなこが現れる。

 

 それぞれの眼はちょうど全身に掘られた龍達の目に位置していた。

 


「先程はついカッとなって達磨だるまにするなどと野蛮なことを口走ったが……あれは取り消そう……」

 

 そう言ってミスター劉はゆっくりと侍に歩み寄っていく。


「君ほどの手練れの手足をのは勿体ない。代わりに肉体を損失させずに最大限の痛みを与えてやろう……自らの意思で私に懇願するまで……何日も何年も何度でも……!!」

 

 それを聞いた侍の唇が静かに動いた。

 

「よく聞こえないな? 大きな声ではっきりと言ってくれるかな?」


 耳に手を当て首をかしげたミスター劉の頬を、一陣の風が吹き抜けた。

 

 風の通り道がすぅ……と裂けて、そこから赤い血が滲む。


 その血を指で確かめ、視線を上げたミスター劉の前には、切っ先を向けて自分を睨みつける一匹の漢女侍オカマザムライが立っていた。



「ベラベラうるさいって言ってんでしょ……?」

 

 紫色のアイシャドーの奥には黄金色に輝く瞳が燃えている。

 


「さっきもそう……今も同じ。都合の良いときだけキャンキャンキャンキャン……弱い犬ほどよく吠えるってね。強そうに見せかけてるけど……そんなに喋ると小者臭さがバレちゃうわよ?」



「負け犬の遠吠えにしか聞こえんが?」


 ミスター劉が余裕の顔でそう言うと、侍は轟轟と音を響かせて、自分の周囲に刀を振るった。


 気合の掛け声と共に侍は力強く左足を踏み出し、地面と水平に刀を構える。


 連戦続きなうえに、不意打ちの電撃をくらい、満身創痍の侍が、それを微塵も感じさせない剣圧を発するのを見て、さくらの握りこぶしに力が入った。



「負けやしないわよ。この世では……策謀という名のもとに、騙し討も正当化されよう。小賢しさが良しとされるなら、それがしは義を以てそれを討ち払うまで……」

 

「戯言を……義などこの世にありはしない……あるのは強者と弱者のどちらかのみ!! そして暴力と金こそが強者の証……!! この街を見ろ? 弱肉強食の掃き溜め、世界の縮図……この街の存在が世界の摂理を証明している……!!」



 壁一面のガラスを背にミスター劉は両手を広げて見せると声高に叫んだ。


「見ろ!! これが世界だ!! 素晴らしき弱肉強食の世界だ!!」



 灰色の青龍街の彼方には花街が極彩色のネオンを輝かせ、か弱い星明かりなどいとも容易く掻き消してしまう。


 そこは猥雑な喧騒が、誰かの悲鳴すら飲み込む街、NEO歌舞伎町。


 人知れず流す音のない涙など、凝灰岩コンクリートに染み込んで、跡形もなく消える街。



 その有り様を痛いほど知るさくらにとって、ミスター劉の言葉には否定しがたい真実味があった。



「私を弱いと言ったな? しかし世界は私を強者と呼ぶ!! 少々腕に覚えがある程度の侍風情が……世界のことわりに歯向かうなど、片腹痛いわ!!」



 違う……!!


 そう叫びたいのに、言葉が出ず、代わりに噛み締めたさくらの唇から血の味が滲む。 


 

「さくら……!!」

 

 その時、金ちゃんの澄んだ声が響き渡り温かな春風が吹き抜けた。

 

 俯いていた顔を上げると、爽やかな笑みを浮かべた侍が、背筋を伸ばして凛と立っている。

 

「さくら、この男の言葉を鵜呑みにするなかれ。確かに世界は汚れていよう。しかしそれは、この世のまことの姿にあらず……」

 

「金ちゃん……」


「まだ数は少なくとも……そなたはその目でしかと見たはず……弱くとも助け合う人々を。そしてその者達が持つ、黄金に輝く魂を……!!」



 その言葉でさくらの脳裏に金ちゃんと過ごすようになってから出会った人々の顔が蘇った。


 世間から除け者にされながらも世間を恨まず、お互いを庇い合う、心根が優しい白鳥スワン達。


 口は悪いけれど、弱い人を放っておけない人情に熱いママ。


 貧困故に娘を亡くし、それでも懸命に商いを続ける、饅頭まんどぅをくれた露店のおばさん。


 一度は中華マフィアの軍門にくだるも、そんな己を恥じ、命懸けで協力してくれた黒ちゃんとハゲちゃん。



 そして……


 今も目の前で、戦いの最中だと言うのに、弱った自分に力をくれる、漢女侍の金ちゃん……



 さくらの目に光が戻ったのを確認すると、侍は一際大きな声で口上を述べる。



「弱肉強食……相分かり申したぁああ……!! ならば世界の流儀に倣い……この金剛武志、かたなを以て……世界の理に楯突く所存……!!」



 そこまで捲し立てると、侍は刀を肩に背負い、歌舞伎のように見得を切る。


 片足立ちで進みながら、ゆっくりと頭を回転させ修羅の相貌でミスター劉を睨みつけると、浮かせた足を踏み鳴らす。


 その瞬間、部屋一面に金ちゃんの持つ黄金の氣が解き放たれ、垂れ込めた薄闇を吹き飛ばした。



「漢女一匹……咲かせてみよう金のタマ……!! 弱者に痛みを強いる世界諸共……貴様を屠って進ぜよう……」

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