第29話 避役


 黒澤は壁を支えに立ち上がると、上着の内ポケットから取り出したナノ修復液を首に打つ。

 

 すると体中から赤い血の蒸気が立ち上り、鱗に貫かれた傷がみるみるうちに塞がった。

 

「この馬鹿野郎がぁぁああ……!!」

 

 傷が癒えるなり黒澤は鰐淵に詰め寄った。

 

 白いスーツの襟元を掴んで弟分を激しく揺さぶる。

 

「お嬢にもしものことがあったら、あねさんにどう落とし前をつけるつもりだ!? ああん!?」

 

 しかし鰐淵は兄貴分の手を掴みゆっくりと下におろして言う。

 

「スンマセン兄貴。ほなけど、姉さんも言うてはりました……今回の勝利条件はやって。兄貴が死んだら、姉さんの顔に泥を塗ることになる……」

 

「くっ……!?」

 

「兄貴、ワシらの命は姉さんのもんです……せやからもう、お互い死んでも言うんは無しです……!!」

 

 強い覚悟を宿した眼で言う弟分の言葉に、黒澤は舌打ちすると肩を突き飛ばして言う。

 

「馬鹿のくせに生意気言うんじゃねえ……!! だが……」

 

 黒澤はバツが悪そうに視線を逸らしてつぶやいた。


「お前の言う通りだ……」

 

 その言葉で鰐淵の顔がパア……と明るくなる。

 

「流石兄貴……!!」

 

 その時さくらの声が響いた。

 

「見つけた……!!」

 

 その声で二人が目をやると、さくらが猛スピードでキーを叩いている。

 

「お嬢!? 姉さんの居場所がわかったんですかい!?」

 

 慌てて駆け寄る二人にさくらは首を振る。

 

「ちがくて、この壁を管理してるプログラムの綻びを見つけた……!! このシステム半端じゃない……とんでもないセキュリティで管理者権限の移動は不可能だったけど、作った本人も気付いてない綻びがある……!!」

 

「向こうに気付かれる前に……そこにウイルスを仕込めば……少なくとも好き勝手に通路を動かしたりは出来なくなる……!!」

 

 その時ふと気配を感じて黒澤と鰐淵が目を上げる。


 すると通路の両側から、先ほど倒した麒麟とは違う奇怪な生物が二体、ゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。


 黒い体毛に覆われた猿の様な生物は、異様に長い手足を持ち、袋状の巨大な何かを股の間に引きずっている。


 もう一体は疣猪イボイノシシのような見た目をしていた。


 一見普通に見えたそれはこちら見ながら……と口を開け、全身が口のバケモノに変貌する。


 胴体まで裂けたその口の中には鋭いキバが所狭しと並び、粘つく消化液がじゅうじゅう…と音を立てていた。




「嘘でっしゃろ……!?」


 思わず漏らした鰐淵に黒さが短く指示を出す。


「お前は猿を殺れ。俺は口の方を殺る。絶対にお嬢にたどり着かせるな……!!」

 

「がってん……!!」

 

 二人は短いやり取りを終えると、通路の両端に向かって駆け出した。

 

 

 ⚔

 


「ふぇふぇふぇ……飛虎殿はやはり勝てなんだか……しかししかーし! よもや此奴らが麒麟を倒すとは予想外……」

 

 亀甲から浮かぶ映像を見ながら不果老は顎を掻く。

 


 しかしその顔に焦りの色は微塵も感じられない。

 

 むしろ薄笑いを浮かべた不気味な表情は、楽しんでいるかのようにさえ見える。

 

 事実、この老人にとって、絶対的な安全から搦手で得物を蹂躙するのは愉悦以外の何物でもなかった。

 

 異常に発達した頭脳をもってして、彼が選んだのは己の嗜虐心を満たすこと。

 

「ふぇふぇふぇ……Dr.喜島に作り出させた儂の可愛い合成獣キメラ達はまだおるでな……! せいぜい足掻くがいいさ。最期に笑うのはこの不果老よ……」

 

 

 ⚔

 

 二人の漢と合成獣の激しい攻防が続く中、さくらは無音の白い世界に没入し、一心不乱にコードを打ち込んでいた。

 

 色蚯蚓イロミミズで構成された鉄壁のセキュリティの裏に見え隠れする、制作者の高慢と意地の悪さ。

 

 それは絶対的な自信の表れでもあり、唯一残された付け入る隙だった。

 


 ここだ……

 

 この気持ち悪いイロミミズ……

 

 こっちが踏み込むと必ず馬鹿にするような動きをする。


 しかも予測不能の意味不明な挙動…… 


 動きにパターンが存在しないってことは、制作者も何をするか理解らないランダムな関数が組み込まれてるんだ……

 

 この不確定さにつけ込めば……

 

 ひた……

 

 コードを書き込むさくらの耳に、不可解な物音が聞こえた。

 

 無音のはずの電子とコードの白い世界に、存在するはずのない気配がする。

 

 ひた……ひた……

 

 さくらはカタ……とキーを押すと、ゆっくり背後を振り返る。

 

 何も無い。

 

 何も無いはずの鈍色の天井で、ひた……と不気味な音がする。

 

 ぐにゃり……

 

 空間が歪んだ。

 

 さくらは驚き大声で悲鳴を上げる。

 

 その声で振り返った黒澤と鰐淵は驚愕した。

 

 

 見ると巨大な避役カメレオンが長い舌でさくらを捕らえて、ゆっくりと壁を登っていく。

 

 

「黒ちゃん……!! ハゲちゃん……!! たす……」


 助けを求めるさくらの言葉を遮るように、避役は巨大な口で少女を丸呑みにする。


 

「お嬢ぉおおおおおおお!!」

 

 駆けつけようとする二人に、合成獣達は猛然と襲いかかる。

 

 それは先程までの慎重な野生を逸脱した、明らかに捨て身の時間稼ぎだった。

 

 

 ゆっくりと背景に同化し姿を消した避役は、音もなくその場を離れていく。

 

 通路には残された黒澤と鰐淵の咆哮が響き渡るのだった。

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