第16話 月下夜桜に雨そぼ降る

 

 金ちゃんに背負われさくらはあばら屋のある屋上に戻ってきた。


 屋上にはまだ冷たい初春の風が吹き抜ける。


 猊下に広がるネオンの明りは、季節を問わず咲き誇るけばけばしい桜色。



 視線を上げれば透き通るような群青の夜空に、黄色い満月が浮かんでいた。


 朱い鳥居に僅かに重なる満月が、蜂蜜色の優しい光りを街全体に投げかけている。



 綺麗……



 思わず見惚れていると再び冷たい風が吹いた。


 ぶるりと身体を震わせると、金ちゃんは「冷えるから」と中へ促す。




 あばら屋に入って、さくらは目を疑った。


 一組しかなかったはずの布団は二組になり、さくら用のピンクの歯ブラシとコップが簡素なシンクの上に置かれている。


 どこかのいかがわしい店から拝借してきたと思われると書かれた円筒状のカーテンが奇妙な存在感を放ち、ご丁寧なことに飾り気のない勉強机まで用意されていた。



「家具が増えてる……」


 さくらがぽつりと呟くと金ちゃんがドヤ顔で言った。


「そうよ! あちこち回って譲ってもらったんだから! 貧乏侍ナメるなっつーの!!」


 腕を組んで満足そうに部屋を見渡す金ちゃんの横で、さくらはバレないようにそっぽを向いた。


 震えそうになる声を無理やり押さえつけていつものように悪態を吐く。



「カーテン……きも……」

 

「ちょっと……!? もしかして泣いてんの!? いや〜ん!! 可愛いとこあるじゃな〜い!?」


「はあ!? 泣いてないし……泣いてないしぃいいいい……!!」


 さくらはそう叫んで金ちゃんに殴りかかったが、岩のような身体はビクともしなかった。

 

 ここに居てもいい……

 

 そう言ってもらえたような気がした。

 

 そう思うといつしかさくらは涙を隠すことが出来なくなっていた。

 

「ぅ゙ぅぅぅ……ズズ……ぅ゙ぅぅぅ……ぐすん……」


 お腹に顔を埋めて泣くさくらの背中を優しく叩きながら金ちゃんは静かにつぶやいた。


「そんなに泣くんじゃんないわよ? ブスがもっとブスになるわよ?」

 

「ブズじゃないじぃ……金ち゛ゃんよ゙り……がわいいし……!!」

 

「はいはい。よく一人で生きてきたわね。何処にもやったりしないから安心なさいな」

 

「そんなんじゃ……ないじぃぃ……」

 

「泣き虫ションベン娘が言っても説得力ありませ〜ん」

 

「うる゙ざいぃぃ……」

 

 緊張の糸が解けたさくらはそのまましばらく泣き続けた。


 この数日だけでも様々なことがあったが、思い返せば数年前にNEO歌舞伎町に住み着いたころから心休まる時は一時もなかった。


 裏切られ、散り散りになり、引き裂かれ、いつしかさくらは一人ぼっちになっていた。


 寝床とも呼べないような隠れ家を点々としながら、危険な橋を渡って日銭を稼ぐ。


 怯えて眠りに付き、朝がくる度に繰り返される灰色の日常に落胆する。



 値踏みするような目で舐め回すように自分を見つめる大人たちを、ある時からカモとして見るようになった。


 人と話す時はいつでも逃げ道を確認するようになった。


 作り笑いと嘘が上手くなった。


 この街で生きる人々と同じように、いつの間にか自分も本当の自分では生き残れないと思うようになった。



 だけど金ちゃんは、そんなNEO歌舞伎町で出会ったどんな人とも違っていた。


 己の魂に嘘を吐かず、自分を偽らず、誰のことも欲望の眼差しで見ることはない。


 竹を割ったような物言いで、気に入った相手にも嫌いな相手にも、自分の思惑を隠すような真似はしない。




 思ったままを言える相手に出会ったのはいつ以来だろう……


 安心して寝坊したのはいつ以来だろう……



 そんなことをぐるぐると考えながらさくらは泣き続けた。


 そんなさくらが泣き止むまで、金ちゃんはただただ小さな背中を叩きながら、心の中で歌を詠む。


 


 まだ花を咲かす手前の桜の枝に


 そぼ降る雨と


 柔月の光かな



 


 

 

 木板の隙間から差し込む朝日でさくらは目を覚ました。

 

 隣ではナイトキャップを被った大漢女おおオカマがイビキをかいている。

 

 さくらは伸びをして起き上がると、何となく外の空気が吸いたくなって木戸の方へと向かった。

 

 建付けの悪い木戸の隙間から燦々と朝日が煌めいてる。

 


 いい天気……

 

 そう思った次の瞬間、一瞬暗い影が差した。

 

 え……?

 

 思わず隙間に目をやるが、そこからは相変わらずの眩い朝日が差し込んでいる。


 


 ぎらり……



 見つめた木戸の隙間から差し込む朝日が鈍色に変わる。


 音もなく、滑るように槍の切っ先が差し込まれ、白刃がさくらの瞳に迫った。



 どっ……!!

 

 刹那、背後で音がして、風がさくらの脇を吹き抜けた。

 

 侍は槍の刃先を切り落とすと木戸を蹴破り刺客を踏みつけにする。

 

 膝で刺客の自由を奪い、喉元に刃を突きつけると、ナイトキャップを被ったままの金ちゃんが低い声で言った。

 

 

「何奴……? 殺気を抑えたつもりやも知れぬが……隠密としてはいささか未熟。何故さくらを狙った?」


「……」

 

「答えろぉおおおお……!!」

 

 男はニヤリと笑うと泡を吹いて意識を失った。

 

「くっ……!! 毒か……」

 

 恐る恐る出てきたさくらが静かに口を開く。

 

「死んじゃったの……?」

 

「ええ……自害したわ……どうやら忠誠心だけは一人前だったみたいね……」

 

 刀を鞘に仕舞って金ちゃんは男に手を合わせた。

 



「さくら。急いで出かける準備!! 嫌な予感がするわ……」

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