第15話 さくらの居場所
そんなことを思い出していると、金ちゃんがわずかに速度を緩めた。
いつものように壁を二度蹴って金ちゃんが着地すると同時にさくらは背中を離れて駆け出していく。
なんとか初出勤での遅刻は免れそうである。
そんな粗相をしでかせばママからどんな大目玉を食らうか理解ったものではない。
遅刻の危機が去ってもなお焦るさくらの後ろから、大きな声で金ちゃんが叫んだ。
「お待ち……!! あんた、なんか忘れてるんじゃいの?」
「えっ!?」
さくらは急いでリュックの中身を確認する。
しかし業務に必要なラップトップは入っているし、必需品の類もしっかりあった。
「違うわよ!! そうじゃなくて、言うことがあんでしょうが!?」
「そういうこと? 恩着せがましいなあ……送ってくれてありがと! これでいい!?」
「あんたねえ……あの家から一人で来れるわけ!? 送り迎えは当たり前でしょうが!? そうじゃなくて! 出かける時は行って来ますでしょ!!」
ああ……そうか……
それは久しく口にしたことの無い言葉だった。
家があり、自分を待つ家族がいる者しか口にしない言葉。
そう思うと何となく気恥ずかしくなって、さくらは緊張と照れくささの混じったおかしな顔をしながら、その言葉を口にする。
「行って来ます……」
思わず裏返りそうになったその声に、オカマは野太い声で吠えるように応えた。
「行ってらっしゃいぃぃいいい!! 気張ってうんこ漏らすんじゃないわよ?」
「最っ低……!!」
舌を突き出すさくらに背を向け金ちゃんはひらひらと手を振り去っていく。
「その意気よ! 終わる頃に迎えに来るわ」
「なんなのアレ!? マジでムカつく……!!」
さくらは誰に言うわけでもなく吐き捨てたが、じんわりした何かがおヘソあたりに広がる感覚に気付いていた。
照れ隠しにも似たさくらの言葉は静かにNEO歌舞伎町のコンクリートジャングルへと吸い込まれていく。
「さてと……あたしもやることやろうかしらね!!」
角を曲がった金ちゃんもまた、ひとりそう呟くと、路地の暗がりへとスッと姿を消すのだった。
さくらは深呼吸してから新調された店の扉に手をかけた。
どこから手に入れてくるのか、古い木製の扉には
無惨に破壊された通りに面した大窓も、新しい鉄格子がはめられ、セピアがかったすりガラスの奥にはシャンデリアとミラーボールの煌めきが透けて見えた。
「ごめんください……」
不安げな声で扉を押し開けると、カラカラとカウベルが音を立てた。
予想以上に大きい音がして、さくらは思わず息を飲む。
中を見回すと、放り投げられたカウンターも、めちゃくちゃにされたスワン達の舞台も新調されて以前よりも豪華になっていた。
よかった……前より綺麗じゃん……
「よく来たね!! さくら!!」
そのときママの上機嫌な大声がして、さくらはびくりと身体を震わせた。
ママの後ろではスワン達も目を輝かせてさくら見つめている。
「よ、よろしくお願いします!!」
そう言って頭を下げるさくらにママが言う。
「なに固くなってるんだい! 今日からあんたもミッドナイト・ルージュの一員なんだよ? 堂々と胸を張りな!!」
「そうよそうよ!」
「アタシ達を御覧なさい!!」
「オカマでも胸張ってんだから!!」
そう言ってスワンの一人が腰に手を当て胸を張った。
一番小柄なスワンがそれを見てわざとらしい声を上げる。
「いや〜ん!! さくらのよりおっきい〜!?」
「はあ!?」
さくらは思わず言い返そうとしたが、腰に手を当て豊満な
「小娘には負けないんだからね!? 大人の魅力よ? み・りょ・く……!!」
「大きさだけが魅力じゃないし!! それにまだ成長期だし!!」
すっかり打ち解けた様子のさくらにママは満足気に頷いて言った。
「さあ! まずは自己紹介だよ!! あたしは小梅。皆にはママって呼ばれてる。この一番小さいスワンはフェアリー」
「フェアリーで〜す!」
「真ん中の綺麗所が春麗」
「春麗アル!」
「背が高くてゴツいのが、魔法少女好きのゴリ美だよ!」
「ウホウホウホウホホホ……!!」
いや……
一人だけ変だよ……
「おかしな名前だがみんな元日本人だよ。あんたも知ってるだろうが、西地区は元日本人が多い。さくらにしてもらいたいのは、そんな西地区の奴等にここの宣伝をする方法を考えること。お客でも新しいスワンでもいい。とにかくミッドナイト・ルージュのことを西地区の連中に知らしめておくれ!! もう一つの仕事はまた後で言う……」
もう一つの仕事というのが気になるが、さくらはとりあえずの質問をすることにした。
「元日本人にだけ伝えるの?」
さくらが尋ねると小梅ママはキセルを吹かして静かに言った。
「いいや。来るものは拒まずだ!! ただ、あたしはやっぱり日本人が好きなんだよ。困ってる同胞を助けてやりたいのさ」
「わかった。じゃあまずはホームページから作るよ」
さくらはそう言ってラップトップを開こうとした。
するとママがそれを遮って言う。
「さくら! そこはお客さんの席だよ!! あんたの場所はちゃーんと用意してある」
ママは人差し指をちょいちょいと動かして付いてくるように促した。
スワン達もニヤニヤしながら囁きかける。
「さくらも絶対気に入るわよ〜」
「めちゃくちゃクールなんだから……!」
「アタシにもパソコン教えて〜」
首を傾げてついていくと、そこは店の一角に設けられたDJブースだった。
ハイスペックなデスクトップと音響機材が並んでいる。
「あんたには店の音響も担当してもらう! ご機嫌なナンバーでお客達を踊らせてやりな!!」
「え……!? あたし、DJなんかしたことないよ……?」
戸惑うさくらにママが言い放った。それに追従する形でスワン達も野次を飛ばす。
「機械に強いなら今から勉強おし!」
「そうよそうよ!!」
「アタシ達、いつもカセットテープの白鳥の湖で踊ってたんだから!?」
「ここがクラブになったらイケメンと出会うチャンス大なんだから!! 頼んだわよ!?」
さくらは思わず尻込みしたがスワン達の嬉しそうな顔を見て
「わかった……でもまずはホームページ作るね。DJとか音楽はこれから勉強する……」
さくらは椅子に座ると、画面を見つめてほんの少しだけ躊躇ったが、もう一度みんなの方をチラリと見やった。
満足げな小梅ママと、期待に胸を膨らませるスワン達。
もう一度画面を睨み深呼吸すると、さくらはすごい速さでキーボードを叩き始めた。
カセットって何だろう……?
そんな疑問は、画面に集中すると瞬く間に溶けて消え去り、さくらは音の無い電子の世界で美しい文字列を奏でるのだった。
ら……
カラ……
ら……
カラン……
「さくら!!」
「はいっ!!」
突然名前を呼ばれて意識が現実に戻ってくる。
見るとそこには金ちゃんが立っていた。
「ちょっと!! 何度も呼んだんだからね!? ま、集中するのは良いことだけど」
さくらが時計に目をやると、時刻はすでに六時だった。
「もうこんな時間……」
「その様子じゃまだホムペ? 出来てないんじゃない?」
「ああ……ページは一応出来てるんだけどね。ヤクザとか見られたくない人の目に止まらないようにセキュリティ組んでたの……そのプロトコルが……」
そう言ってさくらはミッドナイト・ルージュのページを表示した。
ネオンサインとアンティークで重厚な木の質感がスタイリッシュで、金ちゃんは思わず言葉を失う。
画面をクリックすると舞台の上に美しい白鳥が舞い降りスポットライトが降り注いだ。
「これ、あんたが作ったの?」
「そうだよ。あっ……小梅ママにも確認してもらわないと……」
それを見たママとスワン達も想像以上の出来に言葉を失った。
何とも言えない気恥ずかしさがこみ上げてきて、さくらは思わず目をそらす。
「でかしたよ!! こんなハイカラなチラシ見ちまったら、見た奴は全員来るに決まってる!!」
「凄い凄い!!」
「さっそくネットにあげようよ!」
……まだ未完成な部分もあるんだけど……
さくらは迷ったが、一応のセキュリティーは完成している。
何より、スワン達の期待の眼差しを見ると、NOとは言えなかった。
「わかった」
さくらは出来上がったページを電子の海に解き放った。
縦横無尽に街中に張り巡らされた
それは多くの同胞達の目と耳に届くと同時に、招かれざる者達の目にも届いていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます