十四話 三つ巴の政局

「王妃は今日も宴会をしておるようだな」


 玉座に腰掛ける尚寧しょうねい王が微笑んだ。花様かようをあしらった紅の上衣がかすかに揺れる。


 阿国の三線が奏でる白鳥シラトゥヤー節は首里城全域に響き渡った。ここ、正殿にある会議室、下庫理しちゃぐいも例外ではない。


 王の前に端座する高官たちもほっと息をつく。長時間の御前会議に疲弊していた彼らは、その美しくも切ない音色にしばし心を奪われた。


「一体誰の演奏だ? 地謡ジウテー衆の音取おとどりをも凌ぐ腕前だ」


 高官の一人が呟いた。地謡衆とは舞踊の伴奏をする楽士団で、音取はそのリーダーを指す。つまり琉球一の三線奏者をも上回ると評しているのである。


「この情感の強い音色は、最近入った阿国という者だろう」


 隣に座る者が小声で返した。


「王妃様が召し抱えたという大和の女か」


「この時期に大和の人間を内部に入れるとは、王妃様の道楽には困ったものだ。それもこれも首里天加那志が甘やかすから……」


 ため息を吐く高官を背後から戒めたのは謝名親方だ。


「いつから御前会議は陰口大会になったのだ」


 彼は六尺を越える背丈を縮こませ、鴨居かもいをくぐった。軸の通った姿勢、かつ靴下が擦れる音すら出さないすり足で進み、尚寧王の前に膝をついた。


「謝名利山りざん、ただ今戻って参りました」


 御拝しながら、謝名親方は自身に向けられている高官らの視線を探った。多くの者が敵意を向けている。


 御前会議の参加者は尚寧王、摂政、三司官、そして謝名親方を含めた表十五人衆の計二十名だ。琉球政界の重鎮が漏れなく一同に介していた。


 予定していた議題は大和の軍事侵攻にまつわる話だが、急遽別件が舞い込んできたので謝名親方がその対応にあたっていた。月嶺による那覇港の乱射事件である。


「内容は聞いている。ご苦労であった」


 謝名親方の下げた頭に、尚寧王の言葉が降りてくる。やや間があって一人の老人が立ち上がった。


「儂が責任を取ることになった」


 ――やはりそうなったか。


 謝名親方が顔を上げた。


 老人は三司官の一人、城間ぐすくま親方だ。書道家の一面も持つ城間は琉球王府一の人格者で知られている。特権階級の聞得大君を裁くことができない以上、貿易関連を統括する彼が責任を取って身を引くのが妥当だ。これで損害を被った海商たちも納得せざるをえない。月嶺が言った通り、那覇里主さとぬしの首どころでは済まず、三司官の一人が失墜する結果となった。


「後任を謝名親方に命ずる」


 尚寧王の言葉に空気が引き締まる。これも謝名親方の想定通りだった。


「恐れ入ります。よろしければ後学のため、ご理由をお聞かせ願いますでしょうか」


 そう言ったものの、謝名親方は理由が知りたかったのではない。王の口から明言してもらうことで、周囲の反感を少しでも抑えたかったのだ。尚寧王もそれを半ば理解し、あえて丁寧に説明した。


「通常、三司官は王府役人二百名余りによる投票で決定するが、今回は緊急時ゆえこの場にいる上層部が代表し、多数決で採択した。そして大和による軍事侵攻の対処、余の冊封式を来年に控えた情勢等を鑑みて、みんに明るい人材を高い待遇にて登用すべきだと判断し、余が最終的な許可を下した次第である」


「身に余る光栄でございます」


 謝名親方は深く頭を下げ、元三司官の城間親方がいた位置に端座した。


 ――これをもって、琉球初となる華人の流れを汲む久米村クニンダ出身の三司官が誕生した。


 琉球では三司官を決める際は全役人の投票が通例だ。しかし強固な派閥によって大半は五大姓ごだいせいと呼ばれる五つの名門一族が占める。退官した城間親方も五大姓の一つ、おう氏門中だった。


 血縁を何よりも重んじる琉球において、華人の末裔で無派閥の謝名親方が三司官に就いた歴史的事実は、それだけ当時の琉球が派閥の力学が及ばないほどの非常時だったことを意味している。


 尚寧王のおかげで謝名親方に向けられる敵意の目は減ったものの、完全には消えていなかった。最も色濃いのが同じく三司官の一人、名護なご親方だ。彼は親大和派で、一貫して大和との和睦を主張している一人だ。


「首里天加那志、一刻も早く徳川に使者を送るべきでございます」


 名護親方が言った。口もとの髭が呼吸のたびに揺れている。尚寧王は返事せず、固く口を結んだまま謝名親方に視線を送った。


「それはいけませぬ。豊臣政権時の二の舞になり、琉球は大和の属国として支配されてしまいます」


 謝名親方は強い口調で却下した。名護親方が舌打ちする。


「謝名よ、いつまでも悠長なことを言ってられんのだ。これを見よ。先程、薩摩の島津氏から送られてきたものだ」


 名護親方は一枚の書状を広げた。


『今歳聘せず 明歳また懈れば 危うかざるを欲してこれを得るべけんや』


(今年来聘らいへいせず、来年もまた来聘しなければ、あなた方の安全は保証できない)


 謝名親方の眉頭がかすかに動いた。


 現在、琉球王府が決断すべき直近の議題は、「徳川家康に来聘らいへい――使節が礼物を持って会いに行くこと――の使者を派遣するか否か」である。


 経緯を端的にまとめると、以前琉球人が大和に漂着した際、家康の配慮で手厚く送還された。その礼を言いに来い、というものだ。


 大和の琉球担当の窓口である薩摩藩からしきりに書状が送られてきており、琉球は固く沈黙を貫いているものの、それは軍事的な恫喝といえるほど強い口調になってた。


 この催促に対して、琉球が慎重になるのも仕方がない理由があった。

 以前、豊臣秀吉が朝鮮への侵攻を計画した段階で、琉球に出兵の協力を求めたことがあった。琉球と朝鮮は、同じ明の冊封下にある、いわば同盟国関係だ。その朝鮮を攻めるために兵役の支援をするなど琉球が応じるはずもなく、当然、断るための使者を送った。すると秀吉はこちらの意向を無視して、琉球を大和の従属国に認定してしまったのだ。


 勝手に因幡の亀井茲矩かめいこれもりを琉球の守護職である琉球もりに任命したり、薩摩藩の兵站を琉球と共に果たすよう命じたりと、対等な国同士の外交としてあるまじき態度であれこれ要求した。

 徳川政権に変わり秀吉ほどの強引さはないものの、いまだ琉球にはトラウマがある。軽々しく使者の招聘しょうへいに応じるわけにはいかなかった。


「さて、いかがなものか。つまりこれは脅しだ。来年までに来聘らいへいの使者が来なければ徳川は軍事侵攻に踏み切るということだ。一刻も早く和睦を結ぶしかあるまい」


 名護親方が畳を叩いた。高官たちも頭を抱える。御前会議は和睦もやむなしの雰囲気だ。しかし謝名親方は大きく深呼吸し、首を横に振った。


「なりませぬ。まだ待ちましょう」


「この後に及んで何を待つというのだ!」


「言われるがまま来聘に応じれば、琉球は武力に屈する国と軽んじられ、ことあるごとに大和に利用されるでしょう。明と国交断絶している大和に弱味を握られると、琉球の生命線である明との関係に支障が出ます」


 名護親方は反論しようとしたが咄嗟に言葉が出ず、腕を組んだ。口を開いたのは尚寧王だ。


「謝名親方よ。それではこのまま戦争するしかないというのか?」


「それも避けたいところです。まず間違いなく大敗し、大和に支配されてしまいます。すると琉球は明の冊封から外され、多くの外交ルートを失い、国力は現在の半分以下に落ちるでしょう」


「ならばどうすると言うのだ! 八方塞がりではないか!」


 名護親方が声を荒らげた。


 大和の思惑としては、漂着民送還の礼など大した問題ではない。本質は明との貿易再開の糸口を掴むことにある。来聘の有無などは大義名分に過ぎず、琉球がどう出ようと最終的に軍事侵攻まで運ぶつもりだ。暴力を背景に交渉を進める、いわゆる戦国の論理である。


「まず期待したいのは明の援軍です」


 謝名親方の答えに、名護親方が嘲笑する。


「明は助けに来ないだろう。以前、冊封国のマラッカがポルトガルに侵略されたときも見捨てたではないか」


「確かにマラッカは見捨てられましたが、それは距離が遠く未知の西欧が相手だったからです。明からすれば、同じアジアに属する大和がこれ以上増長するのは避けたいはずで、援軍を送る可能性も少なくない。最悪、『明が来るかもしれない』と大和に思わせるだけでも抑止力となり、交渉の切り札に使えます」


「大和は国内平定して間髪入れず大陸に攻め入ったほどの戦争狂いだ。援軍の情報程度で留まるとは思えん。それに琉球の地で明と大和という大国同士がぶつかり合うなど、果たしてどれほどの被害が出るのか。考えただけで恐ろしい」


「大和はまだ徳川家支配が盤石ではありませぬ。大阪城にて豊臣秀吉の息子、秀頼と淀殿が反乱の準備を進めております。よって琉球に全軍を割くことはできませぬ。状況を鑑みて、攻めてくるのは薩摩藩だけになるはずです」


 尚寧王が立ち上がった。


「おお、ということは万が一援軍がなくとも我らは薩摩軍の侵攻にさえ耐えれば良いということか。大和一国を相手取るのに比べれば遥かにましだ」


「首里天加那志、恐れ入りますが薩摩軍は大和有数の武力を誇ります。明の援軍がなければいくさ素人の我々など一日ともたず蹂躙されるでしょう」


 謝名親方の冷静な指摘に、尚寧王は口をつぐんで玉座に腰を下ろした。


「くだらぬ。戦は負けると思っておる方が負けるのじゃ。腰抜け共はせめて他人に弱気を伝播させぬよう口を閉じておれ」


 そこに現れたのは月嶺だ。熱のこもった会議室に寒気がなだれ込む。ジーファーの金の鈴が澄んだ音を鳴らせた。


「聞得大君加那志!?」


 高官たちが一斉に畳に額をついた。謝名親方が手をつくだけに留まったのは、王の御前でもあるので別の人間に最上級の敬意を払うわけにはいかないという判断だ。


 月嶺は名護親方を扇子で指し、高圧的に指示した。


「和睦などという軟弱な対応は断固として許さぬ。貴様らはせいぜい膝を抱えて縮こまっておけばよい。薩摩の軍船がどれほど迫ろうと何人なんぴとたりとも我が琉球の国土を踏ませはせぬ。もれなく海の藻屑にしてくれる。仏郎機フランキ砲の威力は実証済みじゃ」


 あれほど和睦をと息巻いていた名護親方だが、月嶺には何も言えずただただ震えている。


「謝名、貴様もじゃ。援軍などに苦心する与力があるなら、とっとと軍備を整えて戦ってしまえばよかろう」


 扇子が謝名親方に向く。名護親方と違い、彼は黙っていない。


「聞得大君加那志。政治家として言うなら、戦争は外交失敗により生じる窮余きゅうよの策です。勝っても負けても遺恨と損害が残ります。まだ交渉の余地がある以上、進んで行うことではありませぬ」


「それは自身と相手が同じ価値観を持つ場合にのみ限られる理論じゃ。戦に躊躇ためらいがない敵は問答無用で攻めてくる。傲慢な猫には、ねずみの牙も案外鋭いということを教えてやらねばならぬ」


「その代償に国が滅んでしまっては一巻の終わりです。平和に暮らす民に無為な血を流させるわけにはいきませぬ」


「甘えたことを。今生きる者が血を流してこそ未来の平和が手に入るのじゃ」


「民が生きてこそ未来があるのです」


「必要なのは国という器が有り続けること、そして民一人一人が自国に誇りを持つことじゃ。生まれ育った国を守る戦から逃げる者や他人に頼る者どもに誇りがあるか?」


「命より誇りを優先するなど愚かなことです」


 月嶺が険しい目つきで見下ろす。謝名親方は彼女の琥珀色の瞳に気圧されそうになる。琉球国民の信仰を一挙に背負う月嶺の覚悟は本物だ。


 謝名親方は実利優先でスピリチュアルに比重を置いていない。それはこの琉球において彼が特殊なのであって、王府高官ですら一同に跪く月嶺が見る景色はもはや王と遜色ないのだろう。


 現在の状況に陥ってしまった琉球に正解はない。ならば王がこれまでの歴史と民の命を背負って決断するしかない。月嶺は本能でそれを悟っている。

 尚寧王は、平時であれば部下の意見にしっかりと耳を傾け、共に最善を模索する賢王の部類だが、緊急時では月嶺のような覚悟と実行力を持った長の方が頼もしく見えてしまうものだ。


 ――だからこそ私がいるのだ。王が完璧である必要はない。臣下が支えればよい。聞得大君加那志は民の命を戦に使おうとしているが、私の命の使い方は私が決める。最も効果的な使い道があるはずだ。それを探すことを最後の最後まで諦めないと、三司官となった今日ここに誓おう。


 謝名親方は内心で固く決意し、月嶺を睨み上げた。二人の議論はまるで達人同士の鍔迫り合いだ。周囲の高官らは息を飲む。謝名親方の理性と月嶺の本能から導き出される舌戦は一進一退だった。


「聞得大君加那志、ところで何の御用でこちらに参ったのですか?」


 謝名親方の質問に月嶺はいからせた肩を落とし、思い出したように言った。


「そうじゃった。謝名、どうせ次の三司官は貴様じゃろう」


「左様でございます」


「貴様は憎たらしいが、他の有象無象よりは大局が見えておる。那覇港でやるべきことは分かっておるな」


「今後の貿易は国家主導で行うつもりです」


「そうじゃ。個人貿易は儲かり過ぎた。海商ら平民が財力を持ちすぎると相対的に国家の権力が下がり、統率に綻びが出る。那覇の一件でよほどの信用がなければ外国船は琉球との貿易を嫌がるじゃろう。しかし立地的に完全に排除することはできん。そこでという信用を与え、独占してやるのじゃ」


 謝名親方はこういうところに月嶺の恐ろしさを垣間見る。交易バブルによって海商らの財力が国庫に匹敵するほど膨れ上がっていることは王府の悩みの一つだったが、この問題を実力行使で解決してしまった。

 常軌を逸しているとしか思えなかった乱射事件が、蓋を開けてみれば琉球の利益に繋がっている。月嶺は続けた。


「港に出入りする船の身元調査を徹底し、物資と情報は砂一粒と漏れなく王府が管理せよ」


「すでにそのように手配しております」


 謝名親方の滞りない返事に、月嶺は満足したような、それでいて面白くなさそうな表情で鼻を鳴らした。


「そして次の質問がここに来た最大の目的じゃ。那覇の海で追い返したと思った異教の神が、ついさっき首里城の真上におった。貴様ら見ておらぬか。確か横に火の玉を浮かべておった」


 謝名親方は全身の力が抜ていくのを感じた。今の今まで理性的な主張と指示をしていた者の発言かと耳を疑う。尚寧王に視線を送ったが、王は余にも分からぬと肩をすくめた。


「やれやれ、男は腰抜けなうえに霊力セヂも低くて役に立たん。『女は戦の先駆けイナグヤイクサヌサチバイ』とはよく言ったものじゃ。むむ、あちらから不穏な風が吹いておるな……」


 月嶺はそう呟きながら去って行った。


 鈴の音が聴こえなくなった頃、高官たちはため息と共に頭を上げた。まるでボロ小屋で台風に耐えながら一晩明かしたかのような疲労感が押し寄せた。


「先ほど聞得大君加那志がおっしゃっていた、イナグヤ……なんとかとはどういう意味ですか?」


 謝名親方は、汗だくで口髭を整える名護親方に尋ねた。


「古くから琉球の戦は、一手目に神女集団が呪術で弱らせ、次に男の兵が攻め込むというのが定石だった。それを例として、『戦に先立つ女の方が勇敢だ』という意味で使われている」


「ふむ……、これだけ儒教が浸透しているにも関わらず女の方が勇ましいとは。もの珍しい国だ」


 謝名親方は呆れながら凝った首を回した。



 御前会議は日暮れまで続いた。白熱した議論の末、尚寧王が決定を下した。


「徳川への使者は送らぬ。理由は貿易事業の不振により費用や礼物の用意が出来ないからとする。その旨を丁寧に説明した文書をしたため、島津氏への返事とせよ」


 当時のアジア一帯は銀の交易ブームによるバブル状態で、琉球もその恩恵を大いに受けたはずである。しかし冊封式の直前、琉球は突然の資金不足に陥ったことが記録されている。東インド会社の隆盛や王府の散財が原因というのが通説だが、実際は月嶺と謝名親方の連携による情報統制が奏功した結果であった。


 君主制国家において王の決定は絶対だ。和睦派の高官らも頭を切り替え、速やかに各々の仕事に移った。ただ一人、名護親方を除いて。


「王府は謝名の三司官入りによって大きく親明に傾いてしまった。このままではまずい」


 名護親方はその晩、自身の派閥の者を秘密裏に集めた。和睦なら地位を確保する交渉の余地があるが、敗戦の末の無条件降伏だとこれまで築き上げたものを一方的に失ってしまう。そうならないためにを打ったのだった。




https://kakuyomu.jp/users/shinkq7/news/16818093081879689491

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る