十三話 琉球の外交武器とは

 真南風は山盛りのサーターアンダギーを残らずたいらげた。脳が溶けるほど甘美な砂糖の味が名残なごり惜しくて何度も指を舐めた。


「さて、本題に入りましょう」


 阿応理屋恵の声に顔を上げる。いつのまにか大勢いた女官は退席していた。与那原親雲上、阿国、六郎が姿勢を正す。


「この話はまだ機密事項よ。外部の者に漏らしてはいけません。良いかしら?」


 四人が頷く。与那原親雲上がふと六郎を見た。


「六郎、いつまで座っておるのだ。さっさと貴様も外さんか。百姓の分際で図々しい」


 六郎が返事するより先に阿応理屋恵が聞き返した。


「六郎? 百姓? どういうこと?」


「王妃様。此度こたび拝謁致します、六郎と申します。謝名親方の子弟でございます」


 阿応理屋恵は少し間をおいて、ふっと息を吐いた。


「……そう。与那原親雲上、この者の同席を許可します」


御恩ごおん感謝致します」


 与那原親雲上と阿国は含みのある二人のやりとりに違和感を覚えたが、真南風はただただ六郎に感心するばかりだった。王妃を相手に物怖じしない態度と流暢な言葉遣い。同じ百姓なのに、八重山育ちの真南風と琉球のそれとではまるで違うようだ。


 気を取り直し、阿応理屋恵が言った。


昨朝さくちょう請封使せいふうしが乗った船が帰国したわ。冊封式さっぽうしきは来年の若夏うりずんよ。ちょうど一年後ね」


「おお。ついに!」


 盛り上がる一同に、真南風だけがついていけない。小さく挙手して尋ねた。


「あの、申し訳ありません。冊封式とは何でしょうか?」


 やれやれ、と与那原親雲上が肩をすくめる。


冊封式さっぽうしきは琉球で最も重要な式典だ。明の皇帝が首里天加那志を琉球王と認めるための儀式で、これを執り行って初めて正式な王となる。その要請をする使者を請封使せいふうしと呼ぶ。八重山の人間とはいえそんなことも知らんとは」


「なぜ王様が明に認められないといけないのですか? すでに王様なのに」


「琉球が明の冊封下に組み込まれているからだ」


 琉球という国を考えるうえで基盤となるのが、「冊封さっぽう制」であることだ。


 これは東アジア随一の大国、明を宗主国としてその庇護下にあることを意味している。と言っても、決して帝国と植民地のような支配関係ではなく、各国は独立した自治や交易を委ねられていた。例えるなら明をリーダーとする国際連合の加盟に近い。

 明に朝貢ちょうこうする義務はあるが、その際も貢いだ分以上の質、量の返礼品を下賜かしされた。

 

 経済、文化、武力と全てにおいて桁違いの規模を誇る明の下に着くことは、東アジア圏においてメリットしかなかった。明の冊封下にないのは同程度に強大なインドのムガル帝国と大和くらいで、多くの小国は冊封という連合の繋がりをもとに国家運営を行っていた。


「琉球は冊封の下、明の寵愛を受けて繁栄した国だ。まだ新興国だった頃、明から船や人材を惜しみなく下賜かしされた。さらに他国は数年に一度のみの朝貢を、琉球だけは無制限に許された。明なくして今の琉球はないと言っていいだろう」


 与那原親雲上の説明に阿応理屋恵が続く。


「でも、琉球に対する優遇策も徐々に打ち切られていったの」


 明による琉球優遇の目的は、大陸沿岸で略奪を繰り返す倭寇わこう対策だった。琉球を貿易国として育てることで倭寇を秩序に基づいた交易に組み込み、被害を抑えることにあった。想定通りそれが奏功し、琉球はお役御免となってしまったのである。


「大和の軍事侵攻の件は聞いたかしら?」


 阿応理屋恵の質問に一同が頷く。


「琉球が武装を解除して久しいわ。すでにめぼしい離島は押さえたし、冊封の宗主国である明の武力の傘に入っているから国防の意識が希薄だった。けれど技術の発達とともに遠洋航海が可能になり、冊封のしがらみがない大和が平定され一つになった。時代と国外情勢が合致した今、かつてない荒波が琉球に迫っているの。頼れるのは明からの援軍だけれど、このままだと望みは薄いわ」


 明は文禄・慶長の役で朝鮮を攻め入った大和の軍を撃退している。純粋な戦力というより地の理も含めた結果だが、もし琉球にも明の援軍が来るとなれば大和も侵攻を躊躇せざるを得ない。


 しかしそのいくさが原因で明の軍が疲弊し、国力が過去最低まで落ちているのも事実だった。やがて明は滅亡ししん朝がおこるが、それはこの時代から僅か十年後のことである。


 すでに尚寧王が即位して二十年が経つにも関わらずいまだ冊封式をしていなかったのは、明の国勢が不安定だったからだ。


「だから冊封式は絶好の機会なの。名代みょうだいとして来琉する冊封使の役職は兵科へいか給事中きゅうじちゅう、つまり皇帝の側近よ。ここが最後にして最大の交渉の場。それに欠かせないのが真南風、あなたよ」


「私ですか?」


 突然名前が出てきて真南風の肩が跳ねる。難しくてほとんど理解できなかったが、とにかく大変な事態が起きていて、真南風はそれを解決する大きな役割を担っている、ということは感じ取れた。


「私の計画は、我ら琉球の価値を明に認識させるため、冊封使節団に文化の全てをぶつけて歓待し、過去に類を見ない冊封式をもって彼らを魅了する。そうして援軍の言質を取る。その中核をなすのが楽童子による琉球舞踊よ」


 狭い国土面積の琉球がこれほど豊かな文化的発展を遂げたのは、国家総力を冊封式に注いできたからだ。


 明の庇護が生命線の琉球は、冊封式を最も重要な国家行事と位置付けていた。異様なまでに華美な首里城の装飾は彼らを迎えるため。生活に即さないにも関わらず踊奉行という大臣級の役職が設けられ、歌舞音曲が研鑽されたのも同じ理由だ。琉球が歌と踊りの島と評されるのは政治方針によってそういう国を作り上げたからだ。


 琉球の外交武器は銃や刀ではなく芸能だ。侍が剣術を磨くように、琉球士族が踊りを学ぶのは至極真っ当だった。


 阿応理屋恵は、その総決算を一年後、西暦一六〇六年、尚寧王の冊封式で示すことに国家存続の活路を見出した。


「大和から阿国を地謡ジウテーの奏者としてかかえ、踊奉行の与那原親雲上に離島の隅々までくまなく有望な踊り手を探してもらった。今年の楽童子は歴代最高の粒揃いよ。そうでしょ?」


 与那原親雲上が即答する。


「おっしゃる通りです」


「そこに真南風、あなたが加わればこの上ないわ。私、たった一回踊りを見ただけであなたが大好きになったもの。きっと冊封使節団の方々も守りたいと思うほど好きになってくれるはずよ」


 阿応理屋恵が微笑んだ。真南風は楽童子になるとは聞いていたものの、思ってたよりずっと重責で愕然とする。自分の肩に琉球の存亡がのしかかるなんて想像したこともなかった。


「大変だけど、やってくれるかしら?」


 しかし彼女に逡巡の余地はない。人前で踊る喜びを知った今、朝から晩まで畑を耕す生活になんて戻れるわけがない。


 それに、真南風の体にはオヤケアカハチの血が流れている。故郷のために強大な琉球てき相手に最後の最後まで抵抗した英雄の血が。


「……はい。私、がんばります」


 真南風はぴんと背筋を伸ばす。謝名親方に「他国に侵略されようとしている今、お主に何ができる?」と問われ、「私には踊ることしかできません」と答えた。


 あの返答は見当外れじゃなかった。うまく踊ることは戦争回避に直結しているのだ。恐怖と共に、かつてないやり甲斐を感じた。


「王妃様。私も真南風ならやってくれると信じておりますが、実は一つ問題がございます。こやつは女児なのです」


 決意に燃える真南風だったが、与那原親雲上の苦々しい声でその件を思い出す。


「……え! 嘘でしょ!?」


 凛としていた阿応理屋恵が素っ頓狂な声をあげる。遅れて口もとを両手で押さえた。真南風は申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「なぜそのような紛らわしい格好を……。与那原親雲上、女の子を勧誘するなんてあなたにしては随分と型破りなことをしたのね」


「面目ありません。しかし実力は見ての通りです」


「でも琉球で女が公式に踊るのは難しいわ」


「王妃様、今は亡国の危機じゃないですか。女は神のために舞踊をするから人に向けて踊ってはならないとのことですが、男女の差など些事です。ほら、大和の人間である私が演奏してるくらいですし」


 阿国が両腕を広げて主張する。真南風は一理あると思ったが、阿応理屋恵は申し訳なさそうに首を振った。


「明から伝わってまだ百年程度の三線を弾くのと、古くからある琉球固有の舞踊を踊ることを同列にはできないわ。信心深い民から激しい抵抗を受けるはず。特に月嶺は許さないでしょう。それらを説き伏せる暇はない。冊封式まであと一年しかないもの」


 全員が下を向く。空気が重くのしかかる。そこに、六郎がおそるおそる言った。


「あくまで提案ですが、男のフリをしてはどうでしょうか」


「馬鹿言うな! バレたらどうする。我々も共犯で斬首だぞ」


「確かに真南風は踊りで精悍な男性を演じてみせたわ。でも一日中、それを毎日なんてさすがに……」


「そうよ。何より真南風が可哀想よ。男の格好をしなきゃいけないなんて」


「そうですよね。申し訳ありません」


 全員に否定され、六郎は大きな背中を丸めた。しかしただ一人、当の真南風だけは良い案だと思った。少なくともこのまま物乞いになるよりはずっとマシだ。


「私、それでもいいです」


「貴様がよくても私が許さん。迷惑だ」


 与那原親雲上は頑なだ。彼は聞得大君を何より恐れている。


「真南風、万が一女だと気付かれたら大変よ。恥ずかしい限りだけど、琉球では王妃の私より聞得大君の月嶺の方が上なの。私には庇えないわ」


 そう言われて真南風は少しだけ萎縮する。処罰が怖いのではなく、阿応理屋恵や与那原親雲上たちに迷惑をかけるのが嫌だった。


 けれど、それを踏まえても楽童子になりたい気持ちがまさった。真南風は人に迷惑をかけないように生きてきた。孤児である自分には価値がないからだ。伯母にもそう扱われてきた。だから誰かを犠牲にしてでも我を通したいと思ったのは初めてだった。


「私、やります。やりたいです」


 真南風の自我の芽生えに、与那原親雲上と阿国は言葉を失った。二人には真南風を見出してここまで連れて来た責任がある。そして阿応理屋恵にはその二人の任命責任が、六郎には提案した責任があった。


 引け目のある四人が意思の揺るがない真南風に折れるのは時間の問題だった。


 こうして、決して記録に残ることのない琉球初となる少女楽童子が誕生したのだった。



https://kakuyomu.jp/users/shinkq7/news/16818093080155789933

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