十二話 王妃の負い目
真南風は首を伸ばして、城壁の上から顔を覗かせる首里城を遠望した。派手な朱色を纏った荘厳華麗な城は、水滴に陽光を反射させ煌びやかに佇んでいた。異質な存在感はまるで異世界の建造物だ。
「真南風、私たち二人はここから入るのよ」
なぜか与那原親雲上と六郎と別れるようだ。真南風が首を傾げると、阿国が説明した。
「首里城は男女で入口が分かれているの。女性は
首里城は
「それだけ性別が大事なんですね……」
真南風が悲しげに呟いた。それは女ながら
「琉球は男女の役割が厳格に分けられています。
六郎が補足した。与那原親雲上が感心したように頷く。
「その通り。孔子の『
「
六郎が頭を下げる。久しぶりに敬われた与那原親雲上は上機嫌だ。
「さすがは謝名親方の子弟、礼節が身に付いている。生まれはどこだ?」
「佐敷間切の小さな村の百姓です」
「生まれさえ良ければ王宮に勤めることもできたろうに。どうしてもと言うなら私の小姓にしてやってもよいぞ」
「恐れ入りますが、私にはやるべきことがありますので。謹んでお断りいたします」
「そうか、残念だ」
「性別で役割を決めるなんて馬鹿馬鹿しいわ。真南風、早く行きましょ」
二人の会話に割り込み、阿国が真南風の手を引いた。それを見て六郎が訝しげに呟く。
「真南風さまが入るのは向こうの歓会門ではないのですか?」
与那原親雲上が鼻で嗤う。真南風がよりいっそう落ち込んだ。
「やっぱり、私は男に見えますよね……」
察した六郎が慌てて首を振った。
「あ……失礼しました。楽童子として勧誘されたと聞いていたので、つい」
六郎が勘違いした原因として、真南風が八重山での装いそのままに帯を巻いていたのもある。琉球では帯を巻くのは男性だけだった。痩せこけて薄い体も見分けを困難にしていた。
六郎が深く謝罪した後、二手に分かれてそれぞれが門を潜った。すると門番が「王妃さまはまた北殿で祝宴をしております」と呆れ気味に教えてくれた。
四人が合流して北殿に到着すると、警備兵が厳重に配置された建物の中で女性たちが集まって飲み会をしている最中だった。
誰が王妃かは真南風にも一目瞭然だった。鳳凰柄の豪奢な
「王妃様。与那原親雲上以下二名、ただいま八重山より戻って参りました」
「与那原親雲上、帰りを心待ちにしていたのよ。ささ、喉が渇いたでしょう。かけつけにお飲みなさい」
膝をつく四人に、王妃の
間近で見た真南風は、彼女のあまりの美しさに息を飲んだ。日本刀のような研ぎ澄まされた美貌で他を寄せ付けない月嶺に対して、阿応理屋恵はまるで一つの蕾から無数の花弁が溢れるように咲く
女官がすかさず酒の注がれた盃を渡す。困惑する四人に、阿応理屋恵が言った。
「本日はまことにめでたい日だわ。女官の
阿応理屋恵と女官たちは浮かれた調子で盃をぶつけ、酒をあおった。どうやら女官の一人が
初めて
「それで、生まれるのはいつ?」
阿応理屋恵が隣に端座する女官に尋ねる。王妃といち女官が同じ高さに座る異様な光景だ。そもそも阿応理屋恵の振る舞いが、王妃というには厳かさが足りてなかった。
「医者によると来年の
「生まれ年が冊封の年だなんて何ておめでたい子なの。立派な
「王妃さまにそう言って頂けるなんて恐縮です」
「それで、身籠った日に心当たりはある? 何か特別なことでもしたの?」
「いえ、特に何も……いつも通りだったかと」
「その日の食事は? 体調は? 祈願した
「ええと……」
阿応理屋恵の質問攻めに女官はたじたじだ。到着早々酒を飲まされたあげく放置された真南風たちは何を見せられているのだろう、と呆気にとられている。命懸けでたどり着いたのにあんまりな仕打ちだ。
与那原親雲上が阿国と目配せし合った後、咳払いをして切り出した。
「王妃さま。報告しておりました八重山で見つけたこの者ですが、間違いなく天賦の才を持っています。踊奉行の名において保証致します」
女官に夢中だった阿応理屋恵が真南風に目を向ける。
「
女官がすかさず与那原親雲上の盃にお酌をする。この調子だと話が終わるまでに何杯飲まされるのだろうか。
「しかし一点、問題がありまして……」
「そうだ、せっかくだし酔う前に踊ってもらおうかしら。立派に女の勤めを果たした彼女のために、盛大に宴を彩らなくちゃ」
阿応理屋恵が思いついたように手を叩いた。女官集団から歓声が沸く。うち一人が阿国に三線を手渡した。
「え……今からですか?」
動揺する真南風の肩を与那原親雲上が掴む。
「王妃様の命令なら仕方ない。いいか、心して踊れ。これは好機だが危機でもある。王妃様を魅了する踊りができれば良く取り計らってくれるはずだ。逆に、不甲斐ない踊りをすれば私の目は節穴だったと立場を追われるかもしれん。そうなれば必然的に貴様も首里の町で物乞い生活だ」
真南風が顔を強張らせながら立ち上がる。女官たちの視線が収束する。幸いなのは見定めるような張り詰めた緊張感はなく、浮ついた宴会の雰囲気だということだ。
「八重山にも踊りがあるのね」
「あの与那原親雲上のお墨付きよ」
「久しぶりに阿国さまの演奏を聴けるわ。私も踊っちゃおうかしら」
女官たちが口々に言った。極上の酒の肴に目が輝く。
阿国は三線の調弦をしながら、何を弾くか逡巡した。真南風はまだ踊りの基礎を学んでいない。一流の教育を受けている王妃が相手なら、技巧より情感で押した方が良いだろう。王妃の性格から好みを想像し、真南風の長所を鑑みれば、恋愛をテーマにした曲にすべきだ。阿国は皮の剥げた指先を舐め、演奏を始めた。
選曲は『
『白鳥ぬ生りや
かいだにぬ産でぃぐらや
夏ぬ水なをだぎ 飲み欲しゃやありどぅん
里が事忘ららん』
(白鳥のように美しく
高貴な生まれのあの男性は私の恋人です
夏の日に水を欲するくらい
昼も夜もあの人のことが忘れられません)
阿国が奏でる切ない音色と歌声が北殿を突き抜けて城内に響き渡る。例によって
――これは恋する乙女の
真南風はまず高貴な男性を表現してみた。鳥のような浮遊感を醸し出す。
「百姓として農作業に従事していただけのことはある。本格的な舞踊家としての身体作りはまだこれからだが、体幹の強さはすでに他の楽童子と遜色ない」
真南風は
これによって眉目秀麗な男性が
女官たちのため息がこぼれた。宴会気分で一緒に踊るべく立ち上がった者はすぐに空気を読んで腰を下ろした。ところどころ破れた
続いて主役である恋する乙女の表現だ。白鳥に例えるほどの美しさを持つ
――あの人は今何をしているのだろう。私が彼のことを考える回数と同じくらい、彼は私を想ってくれているだろうか。いや、きっと私の方が多いに違いない。
真南風は喉を動かせた。今は夏盛り。暑い。ひどく喉が乾いている。
それが不快であり、好ましくもある。水が欲しいと思う瞬間は、
「これは……まるで私のことだわ……」
真南風の踊りに圧倒された阿応理屋恵は、酒が溢れて指を濡らしていることにも気付かなかった。
真南風が扮する乙女が、自分自身と重なった。
阿応理屋恵は先代王の
理由は先代王が阿応理屋恵、月嶺と二人の女児をもうけた後、男児を産めずに
二十歳以上年の離れた青年王、尚寧を支えるため、四歳の阿応理屋恵は幼いながら努力した。儒教が支配する琉球において、女の最も重要な役割は後継ぎを産むことだ。それができない妻に価値はないに等しい。その最たる立場が王妃だ。
すでに
阿応理屋恵は今年で二十四になる。懐妊の兆しはいまだない。四十五なっても後継ぎが生まれない王に民は不信感を抱いているが、尚寧が阿応理屋恵を責めたことは一度もない。その懐の深さが苦しかった。そして苦しさに
――
真南風の踊りは誰にも明かすことのできない阿応理屋恵の
「……王妃さま!?」
演奏が終わり、真南風は涙を流す阿応理屋恵を見て声をあげた。踊りが気に障ったのだろうかと青ざめる。与那原親雲上は踊奉行の更迭を覚悟した。
「与那原親雲上、この者の名は?」
「真南風と申します」
「真南風。まだまだ荒削りな部分はあるけど、お見事だったわ。与那原親雲上と阿国も大義だったわね」
阿応理屋恵の言葉に、三人は安堵しながら再び膝をついた。見惚れていた女官たちも正気に戻り、
「真南風、何か褒美をあげたいのだけれど、望みはある?」
与那原親雲上が真南風に目配せする。女の楽童子を認めさせろという意図だ。真南風は頷き、その陳情をしようとしたが、踊り疲れと緊張が解けたためにお腹が鳴り、思考を食欲が支配した。
「あの……、サーターアンダギーを食べてみたいです。ここでなら食べられるとお聞きしたので」
気がつくと口がひとりでに動いていた。背後で阿国が吹き出す。与那原親雲上が呆れてため息をついた。
幾分か経ち、宮中料理人が調理したサーターアンダギーが配膳された。砂糖をふんだんに使った、王族をはじめとする一部の特権階級しか食べられない貴重なお菓子である。
一口食べて、
阿応理屋恵は、サーターアンダギーを愛おしそうに頬張る真南風を見つめた。この無邪気な子が先程の恋慕の舞で魅了した舞踊家であることが信じられなかった。ただの子どもにしか見えない。
同時に、与那原親雲上と阿国をわざわざ離島に派遣してまで楽童子の勧誘巡りをさせて正解だったと確信する。
その目的を話したら、真南風は重圧に押し潰されてしまうかもしれない。
それでも大和の軍事侵攻を控えた琉球が、琉球らしく生き残るためにはこの方法が一番だと阿応理屋恵は信じていた。
https://kakuyomu.jp/users/shinkq7/news/16818093079851227505
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