十二話 王妃の負い目

 波上宮なみのうえぐうを発った真南風、与那原親雲上、阿国、六郎の四人が首里城に着いた頃には空が晴れていた。五月さつき晴れというには暑すぎる陽射しが容赦なく降り注ぐ。


 真南風は首を伸ばして、城壁の上から顔を覗かせる首里城を遠望した。派手な朱色を纏った荘厳華麗な城は、水滴に陽光を反射させ煌びやかに佇んでいた。異質な存在感はまるで異世界の建造物だ。


 久慶門きゅうけいもんの前で阿国が言った。


「真南風、私たち二人はここから入るのよ」


 なぜか与那原親雲上と六郎と別れるようだ。真南風が首を傾げると、阿国が説明した。


「首里城は男女で入口が分かれているの。女性は久慶門こっちで、男性用は向こうにある歓会門かんかいもんという別の門よ」


 首里城は正殿せいでんに辿り着くまでにいくつもの門をくぐらなければならないが、その最初の門が久慶門と歓会門である。特徴的なのは、潜る門がことだ。男女別であれば王位から低位の役職の者まで、国籍を問わずそれぞれの門から入ることになっている。


「それだけ性別が大事なんですね……」


 真南風が悲しげに呟いた。それは女ながら楽童子がくどうじになることのハードルの高さを意味する。


「琉球は男女の役割が厳格に分けられています。みんの影響を多分に受けているため儒教思想が根強いのです」


 六郎が補足した。与那原親雲上が感心したように頷く。


「その通り。孔子の『礼記らいき』にも男主外女主内と書いてある。男は外で働き、女は子を産み家庭を守るのが第一の仕事だというふうにな。貴様、よく学んでいるじゃないか」


踊奉行おどりぶぎょうの与那原親雲上にお褒め頂くなんて光栄です」


 六郎が頭を下げる。久しぶりに敬われた与那原親雲上は上機嫌だ。


「さすがは謝名親方の子弟、礼節が身に付いている。生まれはどこだ?」


「佐敷間切の小さな村の百姓です」


「生まれさえ良ければ王宮に勤めることもできたろうに。どうしてもと言うなら私の小姓にしてやってもよいぞ」


「恐れ入りますが、私にはやるべきことがありますので。謹んでお断りいたします」


「そうか、残念だ」


「性別で役割を決めるなんて馬鹿馬鹿しいわ。真南風、早く行きましょ」


 二人の会話に割り込み、阿国が真南風の手を引いた。それを見て六郎が訝しげに呟く。


「真南風さまが入るのは向こうの歓会門ではないのですか?」


 与那原親雲上が鼻で嗤う。真南風がよりいっそう落ち込んだ。


「やっぱり、私は男に見えますよね……」


 察した六郎が慌てて首を振った。


「あ……失礼しました。楽童子として勧誘されたと聞いていたので、つい」


 六郎が勘違いした原因として、真南風が八重山での装いそのままに帯を巻いていたのもある。琉球では帯を巻くのは男性だけだった。痩せこけて薄い体も見分けを困難にしていた。


 六郎が深く謝罪した後、二手に分かれてそれぞれが門を潜った。すると門番が「王妃さまは北殿で祝宴をしております」と呆れ気味に教えてくれた。


 四人が合流して北殿に到着すると、警備兵が厳重に配置された建物の中で女性たちが集まって飲み会をしている最中だった。


 誰が王妃かは真南風にも一目瞭然だった。鳳凰柄の豪奢な紅型びんがたで着飾っているのもあるが、月嶺の姉というだけあって浮世離れした美貌を持っていたからだ。


「王妃様。与那原親雲上以下二名、ただいま八重山より戻って参りました」


「与那原親雲上、帰りを心待ちにしていたのよ。ささ、喉が渇いたでしょう。かけつけにお飲みなさい」


 膝をつく四人に、王妃の阿応理屋恵あおりやえは上気した顔で指示した。


 間近で見た真南風は、彼女のあまりの美しさに息を飲んだ。日本刀のような研ぎ澄まされた美貌で他を寄せ付けない月嶺に対して、阿応理屋恵はまるで一つの蕾から無数の花弁が溢れるように咲く牡丹ぼたんだ。その天真爛漫な笑顔に、誰もが蝶のように吸い寄せられてしまう。


 女官がすかさず酒の注がれた盃を渡す。困惑する四人に、阿応理屋恵が言った。


「本日はまことにめでたい日だわ。女官の懐妊かいにんに加えて琉球を救う救世主の到着よ。こんな日に飲まないなんてありえないわ」


 阿応理屋恵と女官たちは浮かれた調子で盃をぶつけ、酒をあおった。どうやら女官の一人が身籠みごもったお祝いをしているようだ。途中参加で宴会ノリについていけない四人も王妃の命令なので渋々口をつける。

 初めてサキを飲んだ真南風はあまりの苦さに顔をしかめた。すると隣の六郎が代わりに飲んでくれた。「先程の非礼を詫びさせて下さい」と付け加えた。


「それで、生まれるのはいつ?」


 阿応理屋恵が隣に端座する女官に尋ねる。王妃といち女官が同じ高さに座る異様な光景だ。そもそも阿応理屋恵の振る舞いが、王妃というには厳かさが足りてなかった。


「医者によると来年の冊封式さっぽうしきの前には、とのことです」


「生まれ年が冊封の年だなんて何ておめでたい子なの。立派な後継あとつぎになるに違いないわ」


「王妃さまにそう言って頂けるなんて恐縮です」


「それで、身籠った日に心当たりはある? 何か特別なことでもしたの?」


「いえ、特に何も……いつも通りだったかと」


「その日の食事は? 体調は? 祈願した神女ノロは誰? どんなふうに誘って、いざが始まったらどういう手順で進めたの? 私も同じようにすれば妊娠できるのかしら?」


「ええと……」


 阿応理屋恵の質問攻めに女官はたじたじだ。到着早々酒を飲まされたあげく放置された真南風たちは何を見せられているのだろう、と呆気にとられている。命懸けでたどり着いたのにあんまりな仕打ちだ。


 与那原親雲上が阿国と目配せし合った後、咳払いをして切り出した。


「王妃さま。報告しておりました八重山で見つけたこの者ですが、間違いなく天賦の才を持っています。踊奉行の名において保証致します」


 女官に夢中だった阿応理屋恵が真南風に目を向ける。


其方そなたがそこまで言うとは珍しい。余程のものなのね。ではその才能に乾杯ね」


 女官がすかさず与那原親雲上の盃にお酌をする。この調子だと話が終わるまでに何杯飲まされるのだろうか。


「しかし一点、問題がありまして……」


「そうだ、せっかくだし酔う前に踊ってもらおうかしら。立派に女の勤めを果たした彼女のために、盛大に宴を彩らなくちゃ」


 阿応理屋恵が思いついたように手を叩いた。女官集団から歓声が沸く。うち一人が阿国に三線を手渡した。


「え……今からですか?」


 動揺する真南風の肩を与那原親雲上が掴む。


「王妃様の命令なら仕方ない。いいか、心して踊れ。これは好機だが危機でもある。王妃様を魅了する踊りができれば良く取り計らってくれるはずだ。逆に、不甲斐ない踊りをすれば私の目は節穴だったと立場を追われるかもしれん。そうなれば必然的に貴様も首里の町で物乞い生活だ」


 真南風が顔を強張らせながら立ち上がる。女官たちの視線が収束する。幸いなのは見定めるような張り詰めた緊張感はなく、浮ついた宴会の雰囲気だということだ。


「八重山にも踊りがあるのね」

「あの与那原親雲上のお墨付きよ」

「久しぶりに阿国さまの演奏を聴けるわ。私も踊っちゃおうかしら」


 女官たちが口々に言った。極上の酒の肴に目が輝く。


 阿国は三線の調弦をしながら、何を弾くか逡巡した。真南風はまだ踊りの基礎を学んでいない。一流の教育を受けている王妃が相手なら、技巧より情感で押した方が良いだろう。王妃の性格から好みを想像し、真南風の長所を鑑みれば、恋愛をテーマにした曲にすべきだ。阿国は皮の剥げた指先を舐め、演奏を始めた。


 選曲は『白鳥シラトゥヤー節』だ。


『白鳥ぬ生りや 

 かいだにぬ産でぃぐらや

 夏ぬ水なをだぎ 飲み欲しゃやありどぅん

 里が事忘ららん』


(白鳥のように美しく

 高貴な生まれのあの男性は私の恋人です

 夏の日に水を欲するくらい

 昼も夜もあの人のことが忘れられません)


 阿国が奏でる切ない音色と歌声が北殿を突き抜けて城内に響き渡る。例によって白鳥シラトゥヤー節を知らない真南風は、阿国の音から曲想を構築した。


 ――これは恋する乙女の相聞歌そうもんかだ。恋人同士なのに、どこか二人の想いが釣り合っていない危うげな印象がある。


 真南風はまず高貴な男性を表現してみた。鳥のような浮遊感を醸し出す。かなめとなるのは重心のコントロールだ。与那原親雲上が感心したように頷いた。


「百姓として農作業に従事していただけのことはある。本格的な舞踊家としての身体作りはまだこれからだが、体幹の強さはすでに他の楽童子と遜色ない」


 真南風は大腰筋だいようきんに力を込め、膝を落とさず高い位置に重心を置くことで、両足で立っているのではなく腰から足がぶら下がっているような無重力感を生み出した。それを可能にしたのは、鍬を振り続けた日々がもたらした強靭な足腰だ。

 これによって眉目秀麗な男性が水面みなもで優雅に佇む様を演出する。


 女官たちのため息がこぼれた。宴会気分で一緒に踊るべく立ち上がった者はすぐに空気を読んで腰を下ろした。ところどころ破れたかすりを着る貧相な田舎の子どもが、精悍な美男子に変化した。


 続いて主役である恋する乙女の表現だ。白鳥に例えるほどの美しさを持ついとしの男性と対等でいられるように、ぴんと背筋を伸ばす。真南風は遠くにいる空想上の恋人を想った。


 ――あの人は今何をしているのだろう。私が彼のことを考える回数と同じくらい、彼は私を想ってくれているだろうか。いや、きっと私の方が多いに違いない。


 真南風は喉を動かせた。今は夏盛り。暑い。ひどく喉が乾いている。


 それが不快であり、好ましくもある。水が欲しいと思う瞬間は、いとしい人の前で喉が張り付いて上手く言葉を紡げない、そんなひとときに似ているから。


「これは……まるで私のことだわ……」


 真南風の踊りに圧倒された阿応理屋恵は、酒が溢れて指を濡らしていることにも気付かなかった。

 真南風が扮する乙女が、自分自身と重なった。


 阿応理屋恵は先代王の御子みこだ。二十年前、四歳にして早くも姫から王妃となった。

 理由は先代王が阿応理屋恵、月嶺と二人の女児をもうけた後、男児を産めずに崩御ほうぎょしたからだ。王家存続のため分家筋ぶんけすじにあたる浦添尚家しょうけ尚寧しょうねいを阿応理屋恵の婿として迎え入れたのである。


 二十歳以上年の離れた青年王、尚寧を支えるため、四歳の阿応理屋恵は幼いながら努力した。儒教が支配する琉球において、女の最も重要な役割は後継ぎを産むことだ。それができない妻に価値はないに等しい。その最たる立場が王妃だ。


 すでにとぎに入っている年上の側室を尻目に、阿応理屋恵は王妃として最高の待遇を受け、王族教育を施された。正妃でありながら伽に入れない自分の幼さに劣等感を抱いて育った。


 阿応理屋恵は今年で二十四になる。懐妊の兆しはいまだない。四十五なっても後継ぎが生まれない王に民は不信感を抱いているが、尚寧が阿応理屋恵を責めたことは一度もない。その懐の深さが苦しかった。そして苦しさにさいなまれるたび、この人の子を産みたいと願うのだ。いつ咲いたかも分からない初恋の花はこうしてはぐくまれた。


 ――首里天しゅりてん加那志がなしはもしかしたらもう私に期待していないのかもしれない。私が昼も夜も彼を想っている間、彼は王として国政に追われている。婚姻の契りを結んではいるものの、肩書きだけで役目も果たせない王妃に何の価値があるというのだろう。


 真南風の踊りは誰にも明かすことのできない阿応理屋恵の窮迫感きゅうはくかんを代わりに吐き出してくれた。


「……王妃さま!?」


 演奏が終わり、真南風は涙を流す阿応理屋恵を見て声をあげた。踊りが気に障ったのだろうかと青ざめる。与那原親雲上は踊奉行の更迭を覚悟した。


「与那原親雲上、この者の名は?」


「真南風と申します」


「真南風。まだまだ荒削りな部分はあるけど、お見事だったわ。与那原親雲上と阿国も大義だったわね」


 阿応理屋恵の言葉に、三人は安堵しながら再び膝をついた。見惚れていた女官たちも正気に戻り、各々おのおの目を擦る。高貴な美青年、恋焦がれるうら若き乙女、そして元の小汚い子どもへと立て続けに変化した様は、まるでキジムナーにかされた気分だ。阿応理屋恵の涙もあって歓声をあげるタイミングを失い、酔いも覚めてしまった。慌てて王妃の化粧を直す。


「真南風、何か褒美をあげたいのだけれど、望みはある?」


 与那原親雲上が真南風に目配せする。女の楽童子を認めさせろという意図だ。真南風は頷き、その陳情をしようとしたが、踊り疲れと緊張が解けたためにお腹が鳴り、思考を食欲が支配した。


「あの……、サーターアンダギーを食べてみたいです。ここでなら食べられるとお聞きしたので」


 気がつくと口がひとりでに動いていた。背後で阿国が吹き出す。与那原親雲上が呆れてため息をついた。


 幾分か経ち、宮中料理人が調理したサーターアンダギーが配膳された。砂糖をふんだんに使った、王族をはじめとする一部の特権階級しか食べられない貴重なお菓子である。

 一口食べて、甘藷さつまいもとは比べものにならない糖度に真南風は言葉を失った。


 阿応理屋恵は、サーターアンダギーを愛おしそうに頬張る真南風を見つめた。この無邪気な子が先程の恋慕の舞で魅了した舞踊家であることが信じられなかった。ただの子どもにしか見えない。

 同時に、与那原親雲上と阿国をわざわざ離島に派遣してまで楽童子の勧誘巡りをさせて正解だったと確信する。


 その目的を話したら、真南風は重圧に押し潰されてしまうかもしれない。

 それでも大和の軍事侵攻を控えた琉球が、琉球らしく生き残るためにはこの方法が一番だと阿応理屋恵は信じていた。



https://kakuyomu.jp/users/shinkq7/news/16818093079851227505



 


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