十一話 身勝手な女たち
「琉球の武力の確認……。確かに必要かもしれませんが、そのためだけにあのようなことを……許せない」
真南風の背後に立つ六郎から拳を握り込む音がした。強い怒りの念を感じる。
一方、真南風と与那原親雲上と阿国はいまいち意図が汲み取れず、怒りの感情を抱くまでに至らない。三人で顔を見合わせる様を見て謝名親方が言った。
「まず大前提の説明をしよう。王府の上層部では、琉球が五年以内に大和から軍事侵攻を受けると予想しておる」
「なんですと!」
与那原親雲上が声を荒らげた。阿国が膝の前に指をつき、前のめりで否定する。
「大和は二度の
二度の唐入りとは、日本各地の武将が総力を結集し朝鮮を攻めた「
戦国時代という一世紀半に渡る激動の内乱を制し、豊臣秀吉は晴れて大和の統一を果たした。誰もが夢見た天下泰平が訪れるかと思われた。
しかし秀吉は大和を手中に収めただけでは飽き足らず、あろうことかアジアの超大国、明の征服を目指したのである。
開戦直後の日本軍は破竹の勢いを見せた。多くの朝鮮兵を討ち取り、瞬く間に首都・
「太閤と違って、家康公は戦より和平を優先する方針のはずです」
大和の人間として弁明する阿国に、謝名親方が答える。
「家康公の目的は、唐入りで絶望的となった明との貿易を、琉球を通じて再開させることにある。これは国内の
当時「
しかし明は他国との貿易を厳しく制限する海禁政策をとっていたため、大和が明の商品を購入するには琉球や朝鮮を経由せざるをえなかった。徳川政権は明と直接貿易をするため、様々な外交ルートを模索した。その一つが琉球侵攻である。
謝名親方の説明の間、与那原親雲上は身を震わせていた。
「大和の軍事侵攻なんて受けたら琉球はひとたまりもない! 一方的に虐殺されるぞ!」
「琉球と大和にそこまで差があるんですか?」
青ざめる与那原親雲上に、真南風は素朴な疑問をぶつけた。八重山生まれの彼女にとっては、毎年欠かさず貢物を搾取し、島民の生活を脅かす琉球も充分に強大な存在だ。琉球、大和、明の三国の力関係についての前提知識が真南風にはなかった。
「呑気なことを。いいか、琉球の
与那原親雲上は一息でまくし立て、阿国の額に人差し指を突きつけた。
「この女は元巫女だからかろうじて気を許せるが、大和の侍は百年以上も同族で殺し合い続けた蛮族だ。琉球
「鼻を集める……? どうやって鼻を集めるんですか?」
真南風が首を傾げる。間髪入れず、阿国が与那原親雲上の背中を思いっきり平手打ちした。強い音が堂内に響いた。与那原親雲上は背中に手を回して呻き声をあげる。
「……この暴力性だ。これだから大和人は」
「真南風の前で変なこと言わないで下さい。教育に悪いわ」
「だ、大丈夫ですか?」
謝名親方が咳払いしたので、三人は慌てて背筋を伸ばす。謝名親方が仕切り直した。
「与那原親雲上の言う通り、大和に攻め込まれたら琉球は瞬く間に制圧され、植民地となり下がるだろう。ここで聞得大君加那志の話に戻そう。あのお方は攻めてくる大和に打ち勝つつもりなのだ。最後の一人になるまで徹底抗戦してでもな」
真南風はやっと納得した。城から放たれた殺意にはそれだけの覚悟と説得力があった。
港を地獄絵図にした目的は武力の確認。月嶺が大和と真正面からぶつかり、そのうえで勝利を目指しているなら、確かに必要なことだ。
真南風は二の腕をさすった。
「謝名親方、質問よろしいでしょうか」
六郎が言った。謝名親方が頷く。
「那覇港の貿易は琉球経済の要です。単なる試し撃ちなら別の場所でやれば良かったのでは? 聞得大君加那志が勝利を目指すというなら、あの行為は目的に反しています。あそこまでしてしまってはしばらく那覇には商船が訪れず、経済的に疲弊するでしょう。
「その対策はすでに用意されておった。これを知った瞬間、私は震えたものだ。神を自称するだけのことはある」
謝名親方が手を叩いた。間を置いて、
「美味しそうな匂いがします」
真南風は唾を飲み込んだ。六郎が驚いたように言う。
「これは食べ物なのですか? よくわかりましたね」
「え……、いや別に、いつもお腹が空いてるわけじゃないんです……!」
言い訳しながら赤面した顔を両手で隠す真南風に、与那原親雲上がため息をつく。
「貧しい田舎者は何でも口にしようとするからな。こんな得体の知れないものが食べられるわけないだろう」
「与那原親雲上、真南風の言う通りそれは食べ物だ。
甘藷とはサツマイモのことである。
謝名親方に勧められた以上、断るわけにはいかない。与那原親雲上は
「美味しそう……!」
真南風も目を輝かせる。謝名親方が一つ差し出したので、真南風は目にも止まらぬ速さで受け取ると同時に礼を済ませ、齧り付いた。
「あまい! 信じられない!」
ほくほくの食感が口内に広がり、すぐにしっとりとろけるような舌触りに変わる。やさしい甘みについ口角が上がってしまう。あっという間に平らげ、お腹には確かな満足感が残った。
「これが聞得大君加那志が用意した秘策だ」
謝名親方が言った。六郎も
「どういうことですか?」
「この甘藷は大陸で入手した植物の根で、
「それは……確かにすごいことですが、それと聞得大君加那志に一体何の関係が?」
「まだ分からぬか? この甘藷の苗を大陸から持ち帰ったのは、彼女が
六郎の顔色が変わる。甘藷を食べていた手を止めた。
「まさか、聞得大君加那志がこれを
「その通り。どういう力なのか見当も付かんが、結果を出した事実があるのだから認めるしかあるまい」
琉球に初めて
しかしその人物像には謎が多い。この名も本名ではなく、野國とは野国村の者であることを意味し、總管とは船を総括的に管理する役職名を指している。
さらに野国村には海が無いため、野國總管本人とて航海の知識は皆無だったはずである。なぜそんな村のいち百姓だった青年が、国から任命される進貢船の総監職に就けたのか。
そしてどうやって言葉の通じない異国で苗を入手し、見知らぬ植物の育て方を学べたのか。今でもその理由は明らかになっていない。
「この甘藷があれば琉球の食糧自給率は一挙に改善される。一部の海商ばかりが儲ける貿易を止めてもお釣りが来るというわけだ。さらに神女主導で開墾した土地で栽培し、港を管理することで情報を封鎖できれば、こちらの兵站事情を伏せることができる。大和から見れば、貿易を止めた琉球は備蓄のない貧しい国だ。聞得大君加那志は
与那原親雲上と阿国は舌を巻いた。気が触れたような那覇港での惨劇も、大和という強敵を打倒するための下準備だった。月嶺の脳内では着々と勝利に向けた方程式が組み上がっているのだ。
「本気で勝とうとしているのか……」
「いくら何でもありえないわ。準備の段階でこれだけの犠牲者を出して、いざ開戦したらどんなことをさせられるか分かったもんじゃないわ」
訝しげな与那原親雲上と阿国に、謝名親方が頷く。
「その通りだ。万が一大和の軍を撃退できたとしても、そのとき琉球が国として存続できる状態になければ意味がない。だから私が政治家としてすべきなのは、まず戦争回避の道を探ること。そして少しでも有利な条件で講和を結ぶことだ。ある程度の抵抗は必要だが、燃え尽きてしまっては困るのだ」
「そもそも、
「私のせいじゃありませんよ」
与那原親雲上と阿国が睨み合う横で、真南風が強張った顔でおずおずと手を挙げた。その表情に謝名親方の頬が緩む。
「いちいち許可を取らずともよい。好きなだけ食べなさい」
謝名親方が甘藷を勧めてくれたので、真南風はたちまち笑顔になり、二個目に手を付ける。ひと齧りした後「……そうじゃなくて」と正気に戻った。
「力で制圧したのは、琉球も同じですよね」
真南風の言葉に茶室は静まり返る。彼女の咀嚼音だけが聞こえた。
最初に意味を飲み込んだのは謝名親方だ。大口を開けて豪快に笑った。
「はは、確かにその通りだ。八重山の人間からしたら与那原親雲上の言い分は納得いかぬだろう」
「むう……」
与那原親雲上が唸る。
「琉球も過去に周辺の離島を武力制圧した。そのくせ自国がされるのには不満をたれる。これでは単なる我が儘に過ぎぬ。これこそ因果応報だ」
八重山はかつて琉球から三千もの兵を投入され、主権を奪われた。他の琉球列島の島々も同様だ。そうして琉球は広大な海域を支配下に置き、栄華を極めた。これから大和にされようとしているのは、過去に琉球が離島に行ったこと。太古より
「真南風。お主は現在の琉球と同じ状況にあった八重山の人間だ。だからこそお主に問いたい。お主はどうするべきだと思う? こちらの事情に関わらず、暴力をかざして攻めてくる敵がいる。そうして侵略された地で生まれたお主は、過去の八重山にどうして欲しかった?」
謝名親方は白が混じり始めた髭をさすった。この危機を乗り越えるため、学のない離島の少女の意見ですら欲しかった。
真南風は二個目の甘藷を完食した。指先を舐めたあと、背筋を伸ばし、揺れていた視線を謝名親方に合わせた。
「分かりません。私には、踊ることしかできません」
与那原親雲上と阿国が同時に頷く。彼らも同じだった。今まで芸能の世界に身を置いてきた。それぞれ八重山、琉球、大和と出生の異なる三人だが、戦が迫っていてもやることは変わらない。
むしろ、芸能しか取り柄のない三人の
「『千万人と
謝名親方は那覇の海に石弾が降り注ぐ中、帆柱で踊った真南風を思い出す。あの瞬間、真南風は踊りで戦を止めた。攻撃する側も逃げ惑う人々も、ただただ真南風に目を惹きつけられた。
「……与那原親雲上、いや踊奉行よ。早く行きなさい。
彼らがこれから会う者もまた、自分勝手な女性の一人だ。月嶺とは違う意味で何をしでかすか分からない。謝名親方はため息をつき、茶室を後にした。
真南風は見当違いな返答をしてしまったかと不安げに阿国を見上げる。彼女は微笑みで肯定を示した。
「あなたは正しいわ。さすが離島初の楽童子!」
「ま、まだなれるか分からないじゃないですか。それにあの聞得大君さまにお許しを得ないといけないなんて、とうてい無理なんじゃ……」
「これから会う方の裁量次第では、それも叶うかもしれんぞ」
与那原親雲上が立ち上がる。彼は港で「真っ先に行くところがある」と言っていた。これからそこに向かうようだ。
「誰に会うんですか?」
「聞いて驚くな。あの聞得大君加那志の姉君だ」
「えっ?」
忠告されたにも関わらず、真南風は驚きの声を漏らした。阿国が付け加える。
「琉球王妃、
「お、王妃さま!?」
月嶺が予言した通り、外は雨が降り始めた。真南風の叫び声は、波上宮の赤瓦に雫が打ち付ける音に紛れた。崖際に立つ
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