十二話 五年以内

「那覇の富裕層の国外逃亡を防ぐこと、そして琉球の武力の確認……。確かに納得はできますが、それだけのためにあのようなことを……許せない」


 真南風の背後に立つ六郎から拳を握り込む音がした。強い怒りの念を感じる。


 一方、真南風と与那原親雲上と阿国はいまいち意図が汲み取れず、怒りの感情を抱くまでに至らない。三人で顔を見合わせる様を見て謝名親方が言った。


「まず大前提の説明をしよう。王府では、琉球が五年以内に大和から軍事侵攻を受けると予想しておる」


「なんですと!」


 与那原親雲上が声を荒らげた。阿国が膝の前に指をつき、前のめりで否定する。


「大和は二度の唐入とういりで疲弊しています! 太閤たいこう、豊臣秀吉が薨去こうきょし、大御所様(徳川家康)が幕府を開いてからは内政を安定させる政策に力を注いでいます! 今さら他国と戦争なんてするはずがありません」


 二度の唐入りとは、日本各地の武将が総力を結集し朝鮮を攻めた「文禄ぶんろく慶長けいちょうえき」のことである。

 戦国時代という一世紀半に渡る激動の内乱を制し、豊臣秀吉は晴れて大和の統一を果たした。誰もが夢見た天下泰平が訪れるかと思われた。

 しかし秀吉は大和を手中に収めただけでは飽き足らず、あろうことかアジアの超大国、明の征服を目指したのである。

 開戦直後の日本軍は破竹の勢いを見せた。多くの朝鮮兵を討ち取り、瞬く間に首都・漢城ソウルを占領したが、やがて明からの援軍と朝鮮軍の抵抗により押し返された。一度の休戦を挟みながら、およそ六年間続けられた外征がいせいは、五万人の死者を出して撤退する結果となった。


「太閤と違って、大御所様は戦より和平を優先する方針のはずです」


 大和の人間として弁明する阿国に、謝名親方が答える。


「家康公の目的は、唐入りで絶望的となった明との貿易を、琉球を通じて再開することにある。これは国内の厭戦えんせん感情を押し切ってでも進めるほど重要な事案なのだ」


 当時「唐一倍とういちばい」と表現されたように、明の商品は仕入れの倍の値段で取引された。その高品質な商材と大量の銀が噛み合ったことで生まれたのが一大交易バブルである。

 しかし明は他国との貿易を厳しく制限しているため、大和が明の商品を購入するには琉球や朝鮮を経由せざるをえなかった。徳川政権は明と直接貿易をするため、様々な外交ルートを模索した。その一つが琉球侵攻である。


 謝名親方の説明の間、与那原親雲上は身を震わせていた。


「大和の軍事侵攻なんて受けたら琉球はひとたまりもない! 一方的に虐殺されるぞ!」


「琉球と大和にそこまで差があるんですか?」


 青ざめる与那原親雲上に真南風が尋ねる。八重山生まれの彼女にとっては、毎年欠かさず島民から貢物を搾取し、自分たちの生活を脅かす琉球も充分に強大な存在だ。琉球、大和、明の三国の力関係についての前提知識が真南風にはない。


「呑気なことを。いいか、琉球の士族は百年前に王府に武器を没収され、帯刀はおろか屋敷で剣を保管することすら許されていない。戦争の経験者はすでに引退した年寄りばかりだ。今の琉球士族は剣術の稽古をする暇があるなら教養を身につけ、芸能を学ぶ。人殺しの技術を日夜研究している侍とかいう戦闘集団とは意識がまるで違う」


 与那原親雲上は一息でまくし立て、阿国の額に人差し指を突きつけた。


「この女は元巫女だから気を許してやったが、大和の侍は百年以上も同族で殺し合い続けた蛮族だ。噂によると倒した兵の鼻を集めるらしいではないか!」


「鼻を集める……? どうやって鼻を集めるんですか? 顔から取れないのに」


 真南風が首を傾げる。間髪入れず、阿国が与那原親雲上の背中を思いっきり平手打ちした。強い音が堂内に響いた。与那原親雲上は背中に手を回して呻き声をあげる。


「……この暴力性だ。これだから大和人は」


「真南風の前で変なこと言わないで下さい。教育に悪いわ」


「だ、大丈夫ですか?」


 真南風は与那原親雲上の心配をしたつもりだったが、阿国は「気を許してくれてるらしいから大丈夫よ」と微笑んだ。


 謝名親方が咳払いしたので、三人は慌てて背筋を伸ばす。謝名親方が仕切り直した。


「与那原親雲上の言う通り、大和に攻められたら琉球は瞬く間に制圧され、領地となり下がる。ここで聞得大君加那志の話に戻そう。あの方は大和に勝つつもりなのだ。最後の一人になるまで徹底抗戦してでもな」


 真南風はやっと納得した。城から放たれた殺意にはそれだけの覚悟と説得力があった。凶行の目的は富裕層の国外逃亡を防ぐこと、そして琉球の武力の確認。月嶺が大和と真正面からぶつかり、そのうえで勝利を目指しているなら、その意味が分かってくる。


「いずれ軍事侵攻の情報が出回れば富裕層は国外逃亡を企てるはずだ。しかし聞得大君加那志はそれを許さぬ。その資金力、頭数としても骨一本余さず琉球のために使うつもりだ。外国船の出入りを制限すれば彼らを管理できる。そして武力の確認については、もはや説明する必要はあるまい」


 真南風は二の腕をさすった。仏郎機フランキ砲と石火矢の火力を思い出して鳥肌が立つ。月嶺は那覇港近海での攻防が戦の軸になることを見据えて、かつて倭寇に猛威を振るった大砲がどれだけ使えるかの確認をしたのだ。


「謝名親方、質問よろしいでしょうか」


 六郎が言った。謝名親方が頷く。


「貿易は琉球経済の要です。制限すると確かに管理はしやすくなりますが、経済的に疲弊するのでは? 兵站は勝敗を左右します。しかし琉球の農業には期待できません」


「その対策はすでに用意されておった。これを知った瞬間、私は震えたものだ。神を自称するだけのことはある」


 謝名親方が手を叩いた。間を置いて、小姓の少年が茶室に入ってきた。三人の前にざるを置く。紫色をした、見たことのないものがいくつか積んである。


「美味しそうな匂いがします」


 真南風は唾を飲み込んだ。六郎が驚いたように言う。


「これは食べ物なのですか? よくわかりましたね」


「え……、いや別に、いつもお腹が空いてるわけじゃないんです……!」


 言い訳しながら赤面した顔を両手で隠す真南風に、与那原親雲上がため息をつく。


「これだから田舎者は。こんな得体の知れないものが食べられるわけないだろう」


「与那原親雲上。真南風の言う通り、それは食べ物だ。甘藷かんじょという。食べてみなさい」


 甘藷とはサツマイモのことである。薩摩から広まったとしてその名が付いたが、実際は琉球が先に大陸から取り入れ、栽培方法を確立し、薩摩に伝えたという歴史がある。


 与那原親雲上は甘藷かんじょを渋々手に取った。二つに割ると皮の素朴な見た目からは想像つかない、黄金色に輝く身が現れた。湯気と共に匂いが茶室に充満する。


「美味しそう……!」


 真南風が目を輝かせる。謝名親方が一つ差し出したので、真南風は目にも止まらぬ速さで受け取ると同時に礼を済ませ、齧り付いた。


「あまい! 信じられない!」


 ほくほくの食感が口内に広がるのに、すぐにしっとりとろけるような舌触りに変わる。やさしい甘みについ口角が上がってしまう。あっという間に平らげ、お腹には確かな満足感が残った。


「これが聞得大君加那志が用意した秘策だ」


 謝名親方が言った。六郎が甘藷かんじょを頬張りながら首を傾げる。


「どういうことですか?」


「この甘藷は大陸の植物の根で、福州ふくしゅうの砂地でも育ったらしい。つまり台風の影響を受けない地中で育ち、水不足の地でも栽培できると言うことだ。琉球の土壌にとって革命的と言っていいだろう」


「確かにすごいことですが、それと聞得大君加那志に一体何の関係が?」


「まだ分からぬか? この甘藷の苗を大陸から持ち帰ったのは、彼女が進貢船の総監職に指名した百姓だ」


 六郎の顔色が変わる。甘藷を食べていた手を止めた。


「まさか、聞得大君加那志の指示でこれを見つけたと? 各地で百姓が倒れるまで開墾させたのもこれを育てるために」


「その通り。どういう力なのか見当も付かんが、事実なのだから認めるしかあるまい」


 琉球に初めて甘藷の苗を持ち帰った青年を「野國總管のぐにそうかん」という。琉球農業を救った功労者とされ、二〇〇五年には「野國總管甘藷かんじょ伝来四百年祭」という祭も開催された。


 しかしその人物像には謎が多い。この名も本名ではなく、野國とは野国村の出身者、總管とは船を総括的に管理する役職名を指している。

 さらに野国村には海が無いため、野國總管とて航海の知識は皆無だったはずである。なぜそんな村の一百姓だった青年が、国から任命される進貢船の総監職に就けたのか。そして言葉の通じない異国で苗を入手し、見知らぬ植物の育て方を学べたのか。今でもその理由は明らかになっていない。


「この甘藷があれば琉球の食糧自給率は一挙に改善される。一部の海商ばかりが儲ける貿易を止めてもお釣りが来るというわけだ。さらに神女主導で開墾した土地で栽培し、港を管理することで情報を封鎖できれば、こちらの兵站事情を大和に伏せることができる。聞得大君加那志は来るべき戦争に向けて、兵站の増強と共に情報戦を仕掛けておるのだ。私が尋ねても答えなかったのはそれが理由だろう」


 与那原親雲上と阿国は舌を巻いた。気が触れたような那覇港での惨劇も、大和という強敵を打倒するための下準備だったのだ。月嶺の脳内では着々と勝利に向けた方程式が組み上がっている。


「本気で勝とうとしているのか……」


「いくら何でもありえないわ。準備の段階でかなりの犠牲者を出してるし、いざ開戦したらどんなことをさせられるか分かったもんじゃないわ」


「その通りだ。万が一大和の軍を撃退できたとしても、そのとき琉球が国として存続できる状態である保証はない。だから私が政治家としてすべきなのは、まず戦争回避の道を探ること。次に、開戦した場合は被害を最小限にし、なるべく有利な条件で講和を結び、速やかに国民の日常を取り戻すことだ。そのためにある程度の抵抗は必要だが、燃え尽きてしまっては困るのだ」


 謝名親方は困ったように腕を組んだ。与那原親雲上がため息をつく。


「そもそも、武力をもって他国を制圧するなんて野蛮だ。大和は何を考えてるんだ?」


「私のせいじゃありませんよ」


 睨み返す阿国の横で、真南風が強張った顔でおずおずと手を挙げた。その表情に謝名親方の頬が緩む。


「いちいち許可を取らずともよい。好きなだけ食べなさい」


 謝名親方が甘藷を勧めてくれたので、真南風はたちまち笑顔になり、二個目に手を付ける。ひと齧りした後「……そうじゃなくて」と正気に戻り、言った。


「その、武力で制圧したのは、琉球も同じですよね」


 その言葉に茶室は静まり返る。真南風の咀嚼音だけが聞こえた。


 最初に意味を飲み込んだのは謝名親方だ。大口を開け、腹を叩いて笑う。


「確かにその通りだ。八重山の人間からしたら与那原親雲上の言い分は納得いかぬだろう」


「むう……」


 与那原親雲上が腕を組んで唸った。


 八重山はかつて琉球から三千もの兵を投入され、武力制圧された。他の離島も同様だ。そうして琉球は広大な海域を支配下に置き、栄華を極めた。これから大和にされようとしているのは、過去に琉球が行ったことである。


「真南風、お主はどうするべきだと思う。こちらの事情に関わらず、問答無用で暴力をもって攻めてくる人間に対して、お主は何ができる?」


 真南風は二個目の甘藷を完食した。指先を舐めたあと、背筋を伸ばし、揺れていた視線を謝名親方に合わせた。


「分かりません。私には、踊ることしかできません」


 与那原親雲上と阿国は同時に頷く。彼らも同じだった。今まで芸能の世界に身を置いてきた。それぞれ八重山、琉球、大和と出世の異なる三人だが、戦が迫っていてもやることは変わらない。謝名親方はしばらく無表情で顎髭をさすり、孟子の一節をそらんじた。


「『千万人といえども我往かん』か。聞得大君加那志といい、この娘といい、琉球の女は自分勝手極まりない。いつも割りを食うのは我々男だ」


 謝名親方は、那覇の海に石弾が降り注ぐ中、帆柱で踊った真南風を思い出した。確かにあの瞬間、真南風は踊りで戦を止めた。攻撃する側も逃げ惑う人々もただただ真南風に目を惹きつけられた。


「……与那原親雲上、いや踊奉行よ。早く行きなさい。が待っておられるだろう。六郎、護衛として送り届けなさい」


 彼らがこれから会う人もまた、自分勝手な琉球の女性の一人だ。月嶺とは違う意味で何をしでかすか分からない。謝名親方はため息をつき、茶室を後にした。


 真南風は見当違いな返答をしてしまったかと不安げに阿国を見上げる。彼女は微笑みで返した。


「あなたは正しいわ。さすが離島初の楽童子!」


「ま、まだなれるか分からないじゃないですか。それにあの聞得大君さまにお許しを得ないといけないなんて、とうてい無理なんじゃ……」


「これから会う方の裁量次第では、それも叶うかもしれんぞ」


 与那原親雲上が立ち上がる。彼は港で「真っ先に行くところがある」と言っていた。これからそこに行くようだ。


「誰に会うんですか?」


「聞いて驚くな。あの聞得大君加那志の姉君だ」


「えっ?」


 真南風は忠告もむなしく驚きの声を漏らした。阿国が付け加える。


「琉球王妃、阿応理屋恵あおりやえさまよ。私たちの八重山での勧誘は、王妃さまの指示だったの」


「お、王妃さま!?」


 真南風の叫び声は、波上宮の赤瓦に雨が打ち付ける音に紛れた。崖際に立つやしろは海から突き上げる潮風をまともに受け、カタカタと揺れていた。



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琉球神舞 国仲シンジ @shinkq7

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