七話 那覇港の要塞

 真南風たちが乗る山原やんばる船が帆を畳み、海上で待機して随分経った。ようやく那覇に着いたのになぜか船着場に入れず、後ろにも次々と船が詰め寄るため、一行はその場で立ち往生を余儀なくされていた。


 時の浪費は商機の逸失だ。商人や海人たちはしきりに怒声をあげ、周囲は喧々囂々けんけんごうごうとなっている。


「なぜこんなに混んでるのかしら?」


 阿国は船首でつま先立ちしながら、めいいっぱい首を伸ばして船着場の方を見た。しかし周辺には何百隻もの船が密集しており、それらの帆柱が邪魔して港の状況はとても伺えない。


「どうやら厳重な検閲が行われているようです」


 船伝いに前方の様子見に行っていた水夫かこが戻ってきた。


「この私をこんなところで待たせるとは。責任者は覚悟しておれ」


 与那原親雲上は腕組みし、小刻みに貧乏ゆすりしている。


 彼らのそのやりとりのずっと前から、真南風は船上をぐるぐると練り歩いていた。八重山とは比べ物にならないほど大きな土地、視界に入りきらないおびただしい数の船、そして荒々しい商人の喧騒にあてられ、じっとしていられなかった。


 そんな真南風を落ち着かせるように、阿国がそっと肩を抱いた。


「陸に上がったら首里の高級料亭でサーターアンダギーを食べましょう。与那原親雲上の俸禄ほうろくでね」


「サーターアンダギーとは何ですか?」


「琉球のお菓子よ。カリッカリに揚げた衣と中のしっとりした食感が絶妙なの。初めて食べたときはあまりの甘さに頬が落ちるかと思ったわ。食後の渇いた口内に渋めのさんぴん茶を流し込むまでが通の楽しみ方よ」


 真南風は唾液を手首で拭う。お腹から催促するような唸り声がして、阿国に笑われてしまった。


 ご馳走が待っていると思うと気も和いでくる。真南風は今まであえて見ないようにしていた港の方に目を向けた。那覇湾口の左右には二つの城が屹立している。


 左が三重城みえグスク、そして一回り大きな右の城が屋良座森城やらざもりグスクだ。この双城をもって、琉球の入り口たる那覇を堅守している。


 特に屋良座森城は堅牢だ。高く積まれた石垣には、銃眼じゅうがんと呼ばれる計十六個の穴が等間隔に並んでいる。これは弓矢や石火矢いしびやで狙撃するための穴だ。城の中に御嶽おん拝所うがんじゅはなく、琉球では数少ないを目的とする城である。


「言っておくが、我々に食事をしている暇は無い。真っ先に報告しに行くところがある。貴様も知っているだろう」


「そういえばそうでした。あ、でもそこで頼めばサーターアンダギーくらいはすぐ用意してくれそうですね。普段から食べてるでしょうし」


「どこに行くんですか?」

 

 真南風の質問に阿国が答えようとした瞬間、周囲の怒声や叫び声が急激にトーンダウンし、ざわつきに変わった。四人が辺りを見回すと、船着場の方で一筋の狼煙が上っている。


「……確か、あの辺りは小琉球の商船がまとまって停泊していたはずだな」


 与那原親雲上が確認するように言い、水夫が肯首した。


 小琉球とは台湾のことである。明の立場から見た呼び名で、国交を結ぶ琉球を「大琉球」、この時点でまだ統一政府がない台湾を「小琉球」として区別していた。


 小琉球と八重山は同じ方向にある。つまり西だった。



 しばらくして真南風は、山原船がかすかに揺れていることに気付いた。前後左右からゴツ、ゴツと船同士がぶつかる硬い音がする。


「あの、何かがおかしいです」


 真南風が言った。三人は怪訝な顔をしたが、揺れはすぐに膨れ上がり、真南風の違和感は自明のものとなる。立っていることすら困難な荒波になった。


「どうしたの!? 一体何が起きてるの!?」


 阿国は三線を抱きかかえて身を低くする。朝から変わらず晴天で、風も穏やかだ。それなのに海上だけが時化のように荒れている。不自然な光景はまるで怪奇現象だ。海を知り尽くす水夫もただただ狼狽している。


 真南風と与那原親雲上は帆が畳まれた帆柱マストにしがみ付いた。中型船である山原船ですら波が船内に跳ね込むのだから、周辺の小さな船は阿鼻叫喚だ。密集しているため船を動かせないので、必死にざるで海水を掻き出している。


 間もなくして遠くから下腹部に響くような重低音が立て続けに聞こえた。その直後に、また前方で煙が上がる。


「あれ、何ですか……?」


 真南風は音がした方を指差した。屋良座森城の銃眼から、太い筒状のものがいくつも飛び出している。与那原親雲上が血相を変えて叫んだ。


「まさか石火矢で砲撃しているのか!?」


 石火矢とは火薬を用いて石の弾丸を飛ばす大筒の鉄砲だ。与那原親雲上の言う通り、城から何発もの轟音と石弾が放たれ、密集して停泊する小琉球の商船を撃ち抜いていく。穴だらけの船に向かって大量の火矢を放つ徹底ぶりだ。海上なのですぐ鎮火するだろうが、大きな火の手が上がる港は剣呑けんのんな雰囲気だ。


 一団を完全に駆逐し終え、音が止まった。阿国が耳を塞いでいた手を放す。


「終わった……のかしら?」


 安心したのは束の間だった。


 屋良座森城はまるで気が触れたかのように石火矢を連射し始めた。大量の石弾が投下され、手前から順に船を沈めていく。波もいっそう激しさを増し、阿国は近くにあった与那原親雲上の足にしがみついた。


「何なに!? 何が起こってるの!?」


「分からんがとにかく正気じゃない! まるで倭寇わこうの大軍を相手取ったような攻撃だ。一体誰の指示だ!?」


 砲身は徐々に角度を上げ、真南風一行が乗る山原船をも射程範囲に捉え始めた。


「与那原親雲上、何とかしてください! このままじゃ私たちも沈められちゃいますよお! お偉い方なんでしょ!?」


 阿国が与那原親雲上の足をバシバシと平手打ちする。


「落ち着け、何か狙いがあるに決まってる。士族や外国人も出入りする港だぞ。それに私の黄の八巻ハチマキが目に入らないわけがあるまい!」


 そう威勢よく言った直後、二隻前に停泊している小さな楷船かいせんが石の弾丸で貫かれ、浸水した。瞬く間に泡となった。


 慌てた与那原親雲上は黄の八巻を脱ぎ、高く掲げる。城内の狙撃手に見えるように大きく振った。


「おーい、待たれよ! この船には踊奉行の与那原親雲上朝智が乗っているぞ! 万が一私が倒れたら琉球王国の芸能において甚大な損失だ! 直ちに銃撃をやめよ!」


 その姿が見えていないのか、訴えも虚しく、ついに目の前の丸木船まで沈められてしまった。次はいよいよこの山原船だ。


「くそったれ! 責任者は我が向姓しょうせい門中もんちゅうが総力を上げて族誅ぞくちゅうにしてやるからな!」


 与那原親雲上は恨み文句を叫びながら八巻を床に叩きつけた。


「三線を弾きながら逝けるなら、私はまだ贅沢な方ね……。南無阿弥陀仏〜南無阿弥陀仏〜」


 阿国は自暴自棄だ。仰向けで寝転がり、念仏の弾き語りをしている。水夫の姿はない。とっくの昔に逃げ出していたようだ。


 すでに死後へと思いを馳せる二人の横で、真南風は呆然と立ち尽くしていた。楽童子になることも叶わず、故郷から遠く離れた海で理由も分からず死んでいくなんて。サーターアンダギーも食べられない。初恋もまだだ。


 身分、死に場所、食べ物、恋愛。無数の未練が脳裏を駆け抜ける。しかしこの瞬間、最も強く心を支配したのはだった。


「もう一度、人前で踊りたかった」


 真南風は迫り来る死を前にして、初めて自分の命の在り方に気付いた。


「……そうだ、私は踊りたいんだ。私の踊りをみんなに観てほしいんだ」


 いつだって真南風の側には踊りがあった。踊りが彼女を慰め、支え、生かしてくれた。今、目の前にあるのは単純な二項対立だ。生きて踊るか、死んで踊れなくなるか。どちらを選択すべきかは明白だ。


 体にまとわりついていた靄が晴れた真南風はすぐに行動に移った。


 船の傾きに合わせて左右に転がる八巻を拾って口に咥えると、帆柱に抱きつく与那原親雲上の肩を踏み台にし、そのまま帆柱を駆け登った。


「貴様! 私を踏むとは何事だ!」


 与那原親雲上が真南風を取っ捕まえようとするが、その腕は空を切る。真南風は彼の怒鳴り声を聞きながら、まるで木登りのようだと思った。八重山で年貢の取り立てのたびにガジュマルに登らされた。未来に希望を見出せず、諦観に暮れていた日々の記憶が脳裏をよぎる。


「もう、あのときとは違う……!」


 帆柱は先端に向かうにつれて振り幅が増す。遠心力と冷や汗で手を放してしまいそうになる。体の傾きはもはや真横に近い。振り落とされないよう必死にしがみつき、垂直に近づくタイミングを狙ってじりじりと上に進む。


「私には何もないと思っていた。けれどそうじゃなかった」


 境遇に嘆き、ただただ耐え忍ぶだけだった真南風は、八重山で天川あまかー節を踊って気付くことができた。



「私は、踊れる――!」



 寝転がって天を仰ぐ阿国の視界に、帆柱をよじ登る真南風の姿が入った。


「木登りか……最期にしたいことは人それぞれね……」


 悟りの境地にいる阿国は穏やかな気持ちで微笑んだが、真南風が口に八巻を咥えていることに気付いた。同時に彼女がやろうとしていることを理解する。阿国は機敏に上体を起こして正座した。しかし揺れが激しくて安定しない。


「与那原親雲上、ぼけっとしてないで私を押さえてください!」


「何だその口の聞き方は……もはや怒る気力もない……」


 なぜか真南風に踏みつけられ、阿国に理不尽に罵倒された与那原親雲上は怒りを通り越して呆れている。言われるがまま阿国の両肩を掴んだ。


「真南風、思いっきり踊りなさい。私の渾身の演奏をしてあげる!」


 阿国の言葉で与那原親雲上も理解した。真南風は帆柱の頂上で踊ることで注目を集め、狙撃手に黄色の八巻を見せて親雲上ペーチンの官位が乗っている船だと知らせようとしているのだ。


 効果の程はたかが知れているが、何もしなければ死ぬまでだ。二人は真南風の踊りに命を預けた。




https://kakuyomu.jp/users/shinkq7/news/16818093073851308589


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