八話 神は雲中の白夜月
那覇の海に石弾の嵐が吹き荒れる少し前、
各地の商船が船着場を出入りする様は寄せては返す波のようだ。その景色を肴に、一介の番兵が高価な明製の青磁器を使って
今から半世紀ほど前、
今日も城壁の銃眼から一般人が手を振っている。この数十年で狙撃台は船を見送るための展望デッキとなっていた。
番兵として見張りにあたる彼らとて、普段は
「
そんな彼らにとって、
番兵は真っ先に空耳を疑ったが、白衣に身を包んだ三十三人の神女が一糸乱れず列をなす様を見て、それが事実だと認識した。一瞬で酔いが覚め、魚のように飛び跳ねて膝をついた。
神女の列が二つに割れる。そこから歩み出たのは派手な
「防衛を片手間に宴会とは良い身分じゃのう」
番兵は一人残らず跪き、額を地面に押し付けた。返事も出来ず身を震わせる。彼らは下々までとどろく月嶺の悪行を思い出している。数百人規模が過労で倒れるまで農作業を強制したり、海の知識の無い百姓を独断で
月嶺は赤の
「今をもってこの城の全権は
「お、恐れ入りますが、一体何をされるおつもりでしょうか……?」
下級士族である
「貴様には断る権利も教える道理もない。妾の言葉は神の声と心得よ」
月嶺は里主を一瞥し、にべもなく閉じた扇子で前方を指した。それを合図に神女たちが一斉に動き出す。統制のとれた無駄のない動きで城内の一般人を排除し、石火矢の装填と補填準備、宴会の片付け、塩を振る清めの儀式などを進める。銃眼から見下ろす港にも白の集団がなだれ込み、たちまち封鎖してしまった。
「お待ち下さいませ! なぜそれを!?」
里主は大量に積まれた石の弾丸と火薬を見て震え上がった。なぜ神女たちは兵具役しか知らない弾薬庫の場所を把握しているのだろうか。全員が白衣を片袖抜きにし、今から戦が始まるかのような様相だ。
「黙って妾に任せておけ」
月嶺が不敵に微笑む。血の気のない青白い肌は、まるで陽射しを透かした障子のように幻想的だ。里主が今まで見た女性の中で最も美しい。故郷で妻子が待っていなければ、この美貌がもたらす迫力に圧され、ただ引き下がっていただろう。
「この中には
里主は至極真っ当な意見をしたつもりだが、返ってきたのは嘲笑だ。
「脳天気なことを。戦など微塵も怖くはない。琉球が琉球でなくなる方がよほど恐ろしいわ」
里主は頭を抱えた。まるで話が通じない。しかし彼が食い下がる様を見て、震えるだけだった番兵も立ち上がった。普段から港で働いている意地があるため、余所者に好き勝手させるわけにはいかない。いくら相手が聞得大君であってもだ。
月嶺は番兵の戦意を湛える表情を見てため息をついた。力ずくで排除しても良いが時間が惜しい。神女の陣形は崩したくなかった。先程から港に停泊してる一団がやけに匂った。
「相わかった。その意気に免じて貴様の願いを叶えてやろう」
「私の願いが分かるのですか?」
「人間が願うことなどみな同じじゃ」
訝しげな里主に、月嶺は扇子を開いてみせた。鳳凰と蝶の絵が描かれた神具、「
その場にいた神女は
『一番願わば福禄寿
其ぬ他無蔵とぅ連りてぃ
無蔵とぅ我んとぅや元ゆりぬ
契りぬ深さあたん
百歳なるまでぃ肝一ち
変わるな元ぬ心』
(誰もが一番に願う子孫繁栄、俸禄、長寿
その全てを叶えるため
私と深く契り
連れ添って歩くがよい
百年経っても私たちは一つである
決してこの心を忘れてはならない)
神々しい歌声もさることながら、何より素晴らしいのは内容だ。琉球の守護神たる聞得大君が我が身に寄り添ってくれている。身に余る祝福を授かった里主は無意識に御拝していた。すぐさま番兵を下がらせた。
計ったように、船着場で検閲にあたっている神女から狼煙が上がった。港を見下ろすと小琉球の商団と思しき船の甲板で、船員が積荷を守るように刀を振り回しているではないか。
「やれ。塵ひとつ残すな」
月嶺が汚物を見るような目で言った。その言葉を合図に、神女の石火矢が火を吹いた。鉄壁の城砦が数十年ぶりに本来の用途を真っ当する。砲撃と港から放った大量の火矢によって、一団は直ちに駆逐された。
火矢は跡形もなく積荷を燃やした。木箱と共に、中身の大量の植物が火に包まれた。煙が立ち上ると、里主はその異質な匂いにピンと来た。
「まさか……、あれは
里主は最初こそ呆気にとられたが、やがて興奮のあまり
これは里主にとって大きな手柄となる。聞得大君に協力して巨大麻薬カルテルを壊滅させたのだ。王府から報奨金が出てもおかしくない。噂の魔女がもたらしたのは厄災ではなく果報だった。
「さすが聞得大君加那志でございます。ご慧眼に脱帽致します」
あれほど抵抗していた里主は揉み手で賛辞した。考えてみれば仮にも聞得大君のすることだ。全ての行動は琉球のために決まっている。抵抗などせず身を委ねてしまえば良いのだ。下々の噂など当てにならない。
里主はそう自戒しながら月嶺の顔色を窺った。しかし彼女の港を見下ろす視線の冷ややかさは一向に変わらない。
「風向に変化はないのう。やはりあれじゃなかったか」
「はあ、それは一体どういう……?」
「この場にいるはずじゃ。天候に影響を及ぼすほどの
月嶺はしばらく辺りを見渡し、抑揚のない声で言った。
「手前から順に沈めてゆけ」
その号令のもと、神女たちは一斉に石の弾丸をばら撒いた。火薬の爆ぜる音が途切れることなく轟き、港を悲鳴と混乱が支配する。
大量の船が同時に反転を試みたせいで大きな波が立ち、結果的に落ち着いて舵を取れば逃げられたはずの船も波に足をとられ、たちまち石火矢の餌食となった。
里主は月嶺の足元にへたり込んだ。目の前に広がる地獄絵図に腰が抜けたのだ。その拍子に赤の
「聞得大君加那志、おやめ下さい……! こんなことをしたら私の首が飛びます!」
「案ずるな。貴様ごときの首でどうにかなる程度で止めるつもりはない。ふはは」
月嶺が
「これでは商人が那覇を利用しなくなります! 琉球の経済に大打撃だ!」
「ちょうど良い。そもそも那覇は出入りが多すぎるのじゃ。
月嶺の瞳が陽光を妖しく反射させる。蟻の行列を踏み潰すかのごとく次々と船を沈めていく。
里主はこれが夢であることを願った。彼女の言い分は確かに正論だが、どう考えてもやり方が間違っている。
「有り得ない。これが人間の所業か……!」
「人間の所業? ふはは、面妖なことを」
月嶺が
「妾は神じゃ」
硝煙が向かい風に押されて城内を漂う。白らむ景色はさながら雲の中だ。里主は月嶺を見上げて直感する。この人の形をした悪魔はさらなる厄災をもたらすだろう。地獄にいるはずの存在が地上にいる違和感は、まるで昼の空に浮かぶ
「……聞得大君加那志」
間もなくして、一人の神女が銃撃を止めた。
「どうした?」
「南西に
眉一つ動かさず船を撃ち抜いていた他の神女たちもみな手を止めている。月嶺は胸騒ぎがした。
「見せろ」
神女が銃眼から石火矢を抜き、位置を譲る。月嶺が水平線を覗いた瞬間、つい言葉が漏れた。
「――なんじゃあれは?」
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