五話『真南風乙節』 - 詠み人知らず
体を
八重山はどの時代も歌と踊りを中心に回る島だった。一年で最も重要とされた、
ところが信仰を禁じられ、年貢の取り立てが厳しくなり、誰もが朝も夜も働くようになると、島に満ちていた
きっと昨晩の祝宴をきっかけとして、少しずつ以前の八重山を取り戻していくだろう。島民の血に深く刻み込まれた芸能への愛を目覚めさせるには充分な夜だった。
要するに、真南風の踊りは百年にも及ぶ暗い時代を打ち壊し、島の歴史を変えたのだ。
それだけの力を持っている以上、
火喰いの神は再び船内を見下ろした。はて、と首を傾げる。阿国が演奏をしているのに、真南風が踊り出さないことが不思議だった。なぜか彼女は膝をつき、何度も船底に頭を打ち付けている。
少し考えて、これは新しい踊りなのだと解釈した。火喰いの神は船に降り、真南風の隣で土下座の動きを真似してみた。
その直後、
彼は王府の要職を乗せるために手配された熟練水夫だ。海では些細な見逃しが大惨事に直結するため、常に意識を張り巡らせている。
この船に乗っているのは真南風、与那原親雲上、阿国、そして自身を含めた計四人。それなのに、なぜか船内にもう一人いるような気配を感じた。
しかし何度見回してみても間違いなく四人だけなので、気のせいだと判断した。
◇
伯母の背後には彼女が人知れず
真南風が夜な夜な一人で踊っていることは知っていた。その姿を見るたびに胸が締め付けられた。
「私を恨んでいるだろうね。ふん、別に許してほしいなんて思ってないよ」
伯母が船に向かって言った。今まで何度も後悔したが、彼女には
――伯母は十二年前の夜を思い出していた。
嵐の晩、駆け落ちして八重山を出た妹が訪ねてきた。傷だらけの体で、赤子の真南風を抱いていた。二人ともひどく衰弱していたので中に入るよう促したが、
暴風が吹き荒れる闇夜に消えて行った妹は翌朝、蔵元の役人に捕まって処刑された。
伯母はぐずる真南風を抱きながら、長崎浜に晒された妹の生首を見つめた。脳内には彼女が最後に告げた衝撃の事実が
「真南風、お前はオヤケアカハチの
湿った風が山林の隙間を駆け回り、海へと抜けていく。伯母の呟きは周囲の広葉樹のざわめきに紛れて消えた。
琉球王府の宗教弾圧に背き、八重山で反乱軍を率いたアカハチは、国家反逆罪で一族郎党皆後しにされた。どの文献にもそう記録されている。
しかし実際は、アカハチの妻である
時は流れて真南風が生まれたが、すぐに両親と生き別れになった。真南風は遠縁だった妹の手に渡り、ついに伯母を頼った――というのが事の経緯だ。
逃げ切れないと判断した伯母は蔵元に交渉し、妹と共に真南風も処刑したと報告させた。その後も八重山上布を賄賂として納め続けることで島の戸籍から抹消してもらっている。私腹を肥やすことに余念がない役人のせいで、伯母はこの山小屋で真南風以上に働き詰めの毎日を過ごした。
時には役人の慰みものにされることもあった。妹を処刑した男に抱かれるのは耐えがたい苦痛で、火箸で腹わたをぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような心地だった。
しかし、そんな地獄のような日々も終わりだ。与那原親雲上が真南風の身元を預かったからだ。
蔵元が王府に真南風の出生を明かせば、与那原親雲上の顔に泥を塗ることになる。
真南風は十二年もの間、戸籍に名がなかった。もう王府に追われることはないだろう。
真南風は知らない。
自分の本当の名が真南風乙だということを。
「八重山の百姓が楽童子だなんて前代未聞の快挙だ。ここでの暮らしは忘れて、お前は踊りのことだけを考えな。もう二度と帰ってきてはいけないよ。もし帰ってきたらまた殴ってやるからね……」
伯母は目を閉じて祈った。真南風の未来が希望に満ちていることを心から願う。すでに船は水平線の彼方に消えていた。親子のように連れ立って飛ぶクロサギの鳴き声がした。
伯母が真南風に厳しく当たったのは、怖かったからだ。子供が生まれなかった伯母にとって、普通に育てるとどうしても我が子のように思えてしまう。
しかし真南風は蔵元の気が変わればいつ処刑されてもおかしくない身だ。我が子が殺されるのを見ているしかないなんて、とても耐えられるとは思えなかった。身内の死刑は妹だけで充分だ。
だから必要以上に真南風を責め、愛着が湧かないように努めた。それなのに全て無駄だったようだ。
こんな気持ちで見送るなら、もっと優しくすれば良かった。何度も抱きしめてやれば良かった。一緒に歌って踊れば良かった。とめどなく流れる涙を拭いながら、そう思った。
伯母は真南風に何も与えてやれなかったので、せめてもの償いで歌を残した。
『真南風乙ぬ 美童ぬ なまりや
五つぃしや 父とぅぬけ うだそうぬ
七つぃんや 母とぅぬけ うだそうぬ
ならたんが くり一人立つぃまけ
なら伯父 掟伯母 なしゃ行き
伯父付くぃ 伯母付くぃ うだそうぬ
父ぬおーたか こーぬある笠ん かびみだ
母ぬ おーたか 袖ぬある着物 ぬきみだ
つぃくでぃ ふつぃ すぃかまふつぃでぬ 思いぬ
降らぬ雨 すがん風ぬ すぐだら』
(真南風乙という名のかわいらしい子ども
五歳で父を亡くし
七歳で母を亡くした
一人では生きていけないので
伯父と伯母のところに厄介になった
父がいたら縁のある笠を被ってみたかっただろうに
母がいたら袖のある着物を着てみたかっただろうに
畑で働いていると虐められたことを思い出す
涙は雨のように降り、思い出は風のように吹き荒れ
過ぎさってゆく)
真南風が八重山で過ごした日々を詠んだこの『
なお、歌の作者の記録はない。詠み人知らずである。
『真南風乙節』 - 詠み人知らず
https://kakuyomu.jp/users/shinkq7/news/16818093079013123297
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