四話 悲しい恋の歌

「真南風、あんた踊りはできる? ううん、そんな暇なかったよね。あれだけ忙しく働かされてたし、教えてくれる親もいないんだから。はーもう! 浜遊びに来てたら教えてあげたのに」


 玉皿が真南風の赤毛をせっせと整えるが、何度手櫛てぐしをしても髪は元の形に戻ってしまう。


「私は……」


「いいよ、仕方ないさ。出来なくても一生懸命やるしかない。こんな機会は二度と無いからさ! 踊りはできるできないじゃない、大事なのは心のありようだよ!」


「あの、玉ねえ。もし楽童子になったらどうなるの?」


「さっきお役人様が言ったさ。贅沢な暮らしができるんだよ」


「贅沢な暮らしって?」


「毎日お腹いっぱい食べられるってことさ!」


「お腹いっぱい……!」


 真南風は唐突な出来事に面食らっていたが、徐々に冷静さを取り戻してきた。もしここで上手く踊れたら今の生活から解放される。人前で踊ったことはないので自身の実力の程は分からないが、踊りが好きな気持ちだけは誰にも負けない。玉皿の言う通り、これは絶好の機会だ。人生が変わるかもしれない、という漠然とした期待に胸が高鳴る。


「次の者で最後にする」


 立て続けに五人を落第させた後、与那原よなばる親雲上ペーチンが投げやりに言った。楽士が慌てて止める。


「それはいけません。くまなく素質を見極めなきゃ。これが誰の命令か忘れたんですか?」


「これ以上拙い踊りを見続けたら私の目が腐ってしまう。琉球の芸能を司る踊奉行が審美眼を失ったら、それはもはや国難だ」


「じゃあ私は報告しますよ。与那原親雲上は雑な仕事をしてましたってね」


「ちっ、生意気な。この私に何たる口のきき方だ。では残りの子供は全員出てこい。まとめて審査してやる」


 順番待ちをしていたおよそ十人ほどの子供が出てきた。向こう十年の年貢免除がかかっているため、村人や家族の声援に熱がこもる。


 しかし与那原親雲上は「鼻が丸すぎるから失格、目が濁っているから失格、足が短いから失格」と一人ずつ指差して回った。踊りを見るまでもなく、容姿審査で落第となった。


「ほら真南風も早く出ないと」


「玉ねえ、きっと私も見た目で落ちちゃう」


「真南風なら大丈夫!」


 玉皿が不安で怯える真南風の背中を押した。真南風はよろけながら円の中に入る。


 すると与那原親雲上は真南風を一目見て、間髪入れず「小汚い! 失格!」と告げた。


 真南風は目の前が真っ暗になった。まだ踊る心構えさえできていないのに、もう機会が潰えてしまった。怒った玉皿が異議を唱えようと一歩踏み出した瞬間、楽士が立ち上がった。


「与那原親雲上、よく見てください。この子は身なりこそ汚いけれど、中性的な整った顔立ちをしてますよ。赤毛も個性的で素敵です」


 楽士は真南風の肩に乗っていた木の葉を手で払った。与那原親雲上は不満げながら、顎で「円の中に入れ」と指示した。


 結局他の子は全員落第となり、円に残るのは真南風のみとなっていた。新川村の住人は一縷の望みをかけ、真南風に声援を送る。


「貴様が最後か。名は何だ?」


「ま、真南風まはえと申します」


 与那原親雲上の問いに目を伏せながら答えると、膝をついて三線の調弦をしている楽士の顔がぱっと綻んだ。


「縁起の良い名ね。確か琉球では南西から吹く風という意味で、幸せを運んでくると言われているのよ」


 真南風は初めて自分の名の意味を知った。ほんの少しだけ両親の気配が感じられて、体の芯が温かくなる。


「得意な演目はあるか? せっかくだから要望に応えてやる」


「あの、申し訳ありません。私は踊りの演目を何ひとつ知りません」


「型や振り付けなんて気にしないで。気楽に、曲を感じたままに踊ればいいの」


 真南風の返事に怪訝な顔をした与那原親雲上だが、楽士の言葉に頷く。


「一理ある。舞踊の天稟てんぴんがあるかどうかは動き出しの一瞬で分かる。振付を見るまでもなくな」


 彼は一笑に付したあと、嘲るような視線から審査に臨む厳しい目つきにがらりと切り替わった。散々愚痴をこぼしていたが、踊りに対しては真摯なのが伝わる。評価に差別や忖度が入る余地は無さそうだ。


 彼の「やれ」という合図で、楽士が演奏を始めた。


 あれほど周囲が騒々しかったのに、彼女が弾く三線の音はなぜかはっきりと聴き取れる。辺りは水を打ったかのようにしんと静まり返った。


 改めて演奏を聴くと、楽士の腕はかなりのものだ。一つ一つの音の粒が島の隅々まで響いている気がするのに、決して主張しない。あくまで踊りのための伴奏として脇役に徹している。


 曲は『天川あまかー節』だ。真南風は深呼吸し、目を瞑った。


 思ったより落ち着いている自分に驚いた。一度失格になったのに再びチャンスを得たこと、そして名前の意味を知れたおかげで、妙な高揚感がある。


 閉じた瞼の裏に夜の景色を思い浮かべた。いつも通り、頭上の月が観客だ。


 真南風は腰を落とし、右腕を顔の高さまで上げた。


https://kakuyomu.jp/users/shinkq7/news/16818093073661903650


「むむっ」


 与那原親雲上は自ら宣言した通り、動き出した瞬間に悟った。楽士も歌いながら気付く。真南風から漂う、芸能の気配に。


『天川の池に 遊ぶ鴛鴦おしどり

 思ひ羽の契り 与所や知らぬ』


(天川の池で遊ぶおしどりの思い羽は愛の契りだ。私たちも同じように愛し合っていることを、誰も知らない)


 思い羽とは、おしどりのオスが持つ鮮やかな橙色の翼のことである。

 おしどりは常に夫婦一つがいで寄り添っているため、古くから仲睦まじさの象徴とされている。この曲はおしどりの雌雄を、愛し合う男女に見立てた歌なのだ。


 三線音楽の始祖、赤犬子あかいんこが詠んだ名曲として琉球では広く知られているが、八重山で育った真南風にとっては初めて聴く歌だった。


 だから懸命に、楽士が歌に込める情感と歌詞、そして三線の音色から、曲の本質を真南風なりに予想した。


 ――これは悲しい恋の歌だ。お互いの想いが通じ合っているのに、誰にも明かすことができない。きっと、誰かに知られたら仲を引き裂かれてしまうのだ。


 真南風は切なげに微笑みながら手首を返し、正面に押し出した。


 同時に上体を捻りながら傾け、不安定な体勢をとる。軽く押されただけでも倒れてしまいそうな危うさを醸し出す。


「なんて悲哀に満ちた笑みだ。恋が叶った喜びと、気持ちを隠さなければならない苦悩が同居したような表情だ。上半身を使って心境を可視化したのも悪くない」


 与那原親雲上が思わず声を漏らした。続けて楽士も呟く。


「『与所や知らぬ誰も知らない』の歌詞を『誰にも知られてはいけない』と解釈したのね。面白い着想だわ」


 島民たちも、二人ほど深く理解していないものの、真南風を取り巻く空気が変わったということは感じ取れる。

 彼らの目には、いつも伯母に虐待されていた可哀想な少女が、まるで恋愛の機微きびに通じる経験豊富な大人の女性に映った。


 真南風は目の前で愛する男性が佇む様を想像した。彼の横顔から鎖骨にかけてゆっくりと、憂いを込めた指先でなぞる。

 爪の先まで意識を集中させると、軌道が残像となり、男性の姿が具現化された。


 強い光が影を濃くするように、幸せな恋ほど辛い別れの予感が付きまとう。


 おそらく、この曲の作者もそういう気持ちで詠んだに違いない。


 真南風がそう思うのは恋に憧れているからだ。幸福感だけではないはず。きっと同じくらい苦しい。


 それでも止められないから、恋は美しいのだ。


 楽士が最後の一音を弾いた。曲に没入するあまり忘我の境地にいた真南風は、終わったことに気付いてはっと顔を上げる。三線の余韻が消えると、完全な静寂が訪れた。


 真南風は辺りを見渡した。誰もが沈黙している。突き刺すような視線に囲まれている。


 初めて人前で踊った。顔が沸騰しそうなほど熱い。今さら腰が抜けそうだ。ストレス発散のための独学舞踊が、踊奉行のお眼鏡にかなうなんてやはり無謀だったのだ。そう落胆した、その瞬間だった。


 ひと足早く正気に戻った玉皿が拍手をした。

 すると玉皿の前後左右にいた数人も手を叩き始めた。

 連鎖的に、その周りの数十人が続き、やがて取り囲む全員の拍手が津波のように押し寄せた。


 飛び交う指笛と歓声に包まれながら、真南風は自分の鼓動が驚くほど速いことに気付いた。


「あの……」


 真南風が与那原親雲上の表情を伺う。彼は腕を組みながら、独り言のように呟いた。


「技術は無いに等しい。振付や解釈も、本来の天川節とは異なる。……しかし一欠片ほどの素質は、認めてやってもよい」


 本意を汲み取れず困惑していると、楽士が「合格ってことよ」と教えてくれた。


 その瞬間の島民たちの狂喜乱舞と言ったらなかった。真南風のおかげで新川村は十年間の年貢が免除された。いつの間に酒を準備したのか、即座に宴会の幕が上がった。楽士が軽快に三線を奏でる。子供も大人も、他の村の者たちも輪になって踊り始めた。真南風は胴上げされ、痩せた体が何度も宙を舞った。


「おめでとう真南風! あんたは村の救世主さ!」


 胴上げから降ろされた後、玉皿が抱きついて言った。背中の子も楽しい雰囲気に共鳴してじたばたと手足を振っている。


「玉ねえ、ありがとう。すごく緊張した……!」


「真南風がこんなに踊れるなんて知らなかったよ。本当におめでとう。これからは楽童子として首里で暮らすことになるんだね。寂しくなるさ」


 玉皿の言葉に、じわじわと実感が込み上げる。今後は踊りで身を立てる生活が待っている。その世界の知識がないので上手く想像できないが、今日のような興奮を何度も体験できるのかと思うと楽しみでたまらない。


 大騒ぎする島を見渡した。誰もが笑顔だ。きっと真南風は、この瞬間の気持ちを一生忘れないだろう。

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