三話 踊奉行と楽士

 思う存分踊って気が晴れたからか、翌日の畑仕事はいつもより捗った。日が最も高いところまで昇り、真南風がそろそろ小休止を挟もうかとあぜに腰を下ろしたそのとき、事件が起きた。


 普段は朝から晩まで新川あらかわ村の灯台で古酒クースーをあおっている物見の男が、顔を真っ赤にして畑に駆け込んできた。息も絶え絶えで、ただならぬ雰囲気だ。村人が何だ何だと集まってくる。


「どうしたんですか?」


 真南風が尋ねると、彼は震えながら答えた。


「王府の山原やんばる船が来た……!」


 村人たちは騒然とした。琉球王府の船がわざわざ八重山に来る理由といえば、年貢の取り立てか、罪人の流刑るけいしかない。小さなサバニではなく中型船にあたる山原船に乗ってきたということは、まず間違いなく前者だ。


嘘つくなユクサー、早すぎる。収穫は半年も先だぞ」

「備蓄を渡すしかない」

「じゃあ俺たちの食糧はどうするんだ」

「他の村にも知らせないと」


 本来なら年貢の取り立ては、年に一回、米の収穫後である秋に行われる。しかし王府の都合で一年に数回来ることもあった。そんな年は僅かな備蓄や実りかけの作物すら搾り取られ、多くの子供や老人、そして体の弱い者が冬を越せずに死ぬ。


 琉球王府の船は明の造船技術によって作られている。船体を黒塗りにし、船首に魔除けの目玉が描かれているのが特徴だ。この不気味な見た目も相まって、八重山を含めた南西諸島の民にとって、王府の船といえば生活を脅かす災いの象徴だった。


 村人は蜘蛛の子を散らすように走った。すぐに山原船に乗って来た役人が蔵元くらもとと合流し、くまなく家や田畑を巡回するだろう。米粒ひとつ見逃さず徴発するに違いない。

 そんなことは分かっているが、島民は生きるために、家族のために、少しでも収穫物を隠さなければならない。


「真南風! 早く来なさい!」


 どこからともなく現れた伯母が、真南風の首根っこを掴む。


「お、伯母さん、苦しいです」


 そのまま引き摺られ、家の庭にあるガジュマルの木に登らされた。


「物音ひとつ立てるんじゃないよ!」


 年貢の取り立ての際、伯母はいつも真南風に身を隠すよう強要する。少しでももたついたら棒叩きだ。


 年貢は「頭懸ずかけ」といって、頭数ごとに割り当てられる仕組みになっているので、家族は少ない方が得だ。伯母は蔵元の愛人という立場を利用して、島の戸籍から真南風の名を消している。そうして夫妻の二人分だけを納めているのだ。


 真南風は存在しないことにされているのだが、それに憤りを覚える段階はとうに過ぎた。寝食を与えてくれるだけでありがたい。村には身寄りがなく、物乞いをしながらかろうじて生きている人が山ほどいる。


 真南風はガジュマルの枝の上で、葉をむしって体にまぶした。ダンゴムシのように身を丸め、息を潜めて隠れた。


 そのうち島中から悲鳴が聞こえてくる。それが一日中続くはずだ。

 王府の役人はどれだけ年貢を集められるかによって進退が決まる。より非情に搾り取れる者こそが優秀とされるのだ。


「玉ねえ、今回は大丈夫かな……」


 半年前の取り立てを思い出す。玉皿が織った御用布ごようふの出来に気を良くした役人が、急遽追加で織るよう指示した。玉皿は産まれて一ヶ月の息子が泣く横で、夜通し機織きおりをする羽目になった。乳をあげようとすると見張りの役人に六尺棒で叩かれ、「王に献上する御用布を織っているのに子供に構うとは何事だ」と叱られた。

 玉皿の家からは一晩中、織り機を踏む音と子供の泣き声が聞こえた。真南風は自分のことのように辛くて、ガジュマルの木の上で声を押し殺して泣いた。


 夫が海で亡くなって塞ぎがちだった玉皿は、良くも悪くもその日から強く生きるようになった。


 いつも取り立ての翌朝は地獄絵図だ。途方に暮れる島民たちの啜り泣く声を聞きながら、溢れ返るほど積荷を載せた王府の船を見送るのだ。


 きっと今回もそうなるだろうと思っていた真南風だが、いつまで経っても悲鳴は聞こえてこない。代わりに妙なざわつきだけがある。


「真南風、真南風。降りてきなさい」


 下から声が聞こえた。息子を背負った玉皿だった。


「どうしたの、玉ねえ」


「どうやら取り立てじゃないみたい。ついてきて」


 真南風は足音を立てず木から飛び降り、おそるおそる玉皿について行った。すると村の広場に円を囲むように人だかりができていた。


 その中から三線の演奏が聴こえてくる。さらに近づくと、円の中央で十歳ほどの男の子が踊っているのが見えた。正面には険しい表情で彼を見つめる、頭に黄の八巻ハチマキを載せた役人が立っている。さらに横には正座して三線を弾く楽士がくしの女性もいた。


「これは、何?」


 真南風が尋ねた。玉皿が顔を近づけて耳打ちする。


「私もよく分からないけれど、王府のお役人様と楽士様が、島の子供の踊りを見てるみたい」


 八重山ではこんなこと今まで一度もなかった。困惑していると、役人が「やめ!」と力強い声で言った。楽士の女性が演奏を止める。


「話にならん。頭からつま先まで全てが未熟、品もない。ちゃんと曲を聴いているのか?」


「も、申し訳ありません」


 威丈高な役人に、男の子は慌てて端座たんざした。


「そもそもこんな未開の島に、まともに踊れる者などいるはずがない。それにただ踊れたらいいわけじゃない。楽童子がくどうじ見目麗みめうるわしくなければならないのだ。なぜどいつもこいつも泥だらけなのだ」


 役人がため息をつく。楽士の女性が呆れた顔で嗜めた。


与那原よなばる親雲上ペーチン、離島の隅々までくまなく探せって命令なんだから仕方ないでしょう。八重山で最後なんだから頑張ってください。私は好きですよ。型にとらわれない原初の踊りって感じで」


「馬鹿を言うな。こんなの舞踊と呼べない。まるで猿の戯れだ」


 役人の与那原親雲上という名を聞いて、村人はまさか、とヒソヒソ話を始める。彼はいまだ跪いて震えている男の子を六尺棒で軽くつついた。


「何をしている。さっさと去らんか!」


「は、はい」


 男の子は俯きながら、逃げるように輪から出ていった。役人は首の骨を鳴らし、人だかりを一通り見回して言った。


「いいか、もう一度言う。我が名は与那原よなばる親雲上ペーチン朝智ちょうちと申す! 琉球王府の踊奉行おどりぶぎょうである!」


 その場にいた村人が一斉にざわついた。

 親雲上ペーチンとは王府の官位で、王族を除けば上から二番目に当たる上級士族だ。本来ならこんな辺境の島に来るような階級ではない。


 その上、踊奉行といえば国家式典の準備・演出を執り仕切る部署の長官である。歌と踊りの実力はもちろん、あらゆる教養に秀でていなければならない。世襲や人脈でのし上がれる政治家より、遥かに熾烈な王宮での争いに勝ち抜いてきた実力社会の住人だ。


此度こたびはこの私自ら楽童子がくどうじを勧誘するため、遠路はるばる来てやった。もし選ばれたらその村の年貢は向こう十年間を免除とする。楽童子になれば、首里の街で貴様らが想像もできないくらい贅沢な暮らしができるぞ。家族にも一生遊んで暮らせる銀子ぎんすをやる。いいか、人生を賭けるつもりで踊れ」


 与那原親雲上の言葉に島民たちはおおいに沸き上がった。


 楽童子とは、王宮お抱えの踊り手集団だ。洗練された美貌と魅惑的な舞踊で人々を虜にする彼らは、特に外交において非常に重要な存在となるため、一人一人が国からの手厚い援助を受けている。


 噂を聞いた島中の人が押し寄せている。いつのまにか真南風の後ろにも人の層があり、円が分厚くなっていた。



https://kakuyomu.jp/users/shinkq7/news/16818093073561396745

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