第四話 決着と結末
土蜘蛛ーー古来日本における妖怪の一種。もとは、上古の時代、ヤマト王権に従わなかった土豪らを指す名称であったが、後に巨大な蜘蛛の妖怪と見なされるようになった。
有名なもので言えば、酒呑童子討伐で知られる源頼光が土蜘蛛を退治した話が挙げられる。その一説に、このような記述がある。
「土蜘蛛が率いる妖や、謎の美女による誘惑に翻弄されたものの、なんとか土蜘蛛を討伐した頼光。刎ねた首からは1990個もの死人の首が現れ、脇腹から子蜘蛛かが出てきた。脇腹を切り開いて見ると、20個ほどの小さな骸骨があった。」
異形の蜘蛛との戦いが幕を開けた。蜘蛛に攻撃の隙を与えまいと、即座にルゥが蜘蛛の顔面まで移動する。そのまま渾身の蹴りが蜘蛛の顔面に炸裂した。
巨大な蜘蛛は顔面への攻撃に多少たじろいたものの、すぐさま反撃してきた。尖った八つの足の一つをルゥに目掛けて上から振り下ろす。ルゥはバックステップでなんとか躱す。
ルゥはまた、地面を力強く蹴って一直線に蜘蛛の顔面まで近づこうとする。しかし、蜘蛛はそれを許さず、横から薙ぎ払うように足で攻撃。
ルゥは一度勢いを殺して着地し、薙ぎ払われた足が体に触れる寸前に高く飛び上がる。そして、蜘蛛の脳天に向かって落下エネルギーを利用した蹴りを繰り出した。
「キィィィィィィ!」
効いているみたいだ。
ルゥが戦っている間に、私は蜘蛛の側方へ回りこむことに成功した。そのまま蜘蛛に向かってアサルトライフルを連射する。しかしまるで手応えがない。一応、弾痕からじんわりと出血はしているみたいだ。撃つに越したことはないが、決定打にはならなさそうだ。
一方で、ルゥの方は着実に打撃で蜘蛛にダメージを与えていた。実際、蜘蛛の方もルゥを鬱陶しく感じているみたいで、私の方には目もくれずにルゥを集中攻撃している。
「ルゥ!思う存分殴りまくっていいよ!」
「…!(わずかに頷く)」
対人では、その直線的な攻撃を見切られてしまうことが如実な欠点であったルゥだが、複雑な思考回路を持たない動物に対しては、ほぼ最高と言えるポテンシャルが発揮できる。
加えて、あの巨体だ。ルゥの攻撃が避けられる心配もない。対して蜘蛛の方は、小柄なルゥに大振りな攻撃を当てられずにいる。
予想通り、ルゥの攻撃は着実に命中していき、蜘蛛はそのダメージとルゥの素早さで足による攻撃の狙いがさらに曖昧になってきた。
しかし、さすがに相手もずっとやられっぱなしではない様子。
「キィィィィィィ!!!」
突然、蜘蛛が甲高い鳴き声をあげた。とても耳に障る音で、私たちは思わず両手で耳を塞いでしまう。
その後、蜘蛛は口を大きく開けて天井を見上げた。すると、口からなんと子供の蜘蛛がワラワラと出てくる。
「ぎゃー!気持ち悪い!!」
「…。(本当に嫌そうな顔)」
子蜘蛛はルゥの足元にまとわりつくように一斉に向かってきた。
子蜘蛛を出し切ったのか、蜘蛛はルゥの方を向いて、すかさず足でルゥを突き刺そうとする。
ルゥは今まで通り躱そうとするが、子蜘蛛が邪魔で若干動きが鈍る。避けることは成功したものの、頬から鮮血が滴り落ちた。
先程とは打って変わって、ルゥは子蜘蛛によって機動力をごっそり削ぎ落とされ、当たればほぼ即死級の尖った足による攻撃をギリギリで躱し続けている。
このままでは防戦一方だ。なんとか状況を打破しないと。
私は銃を撃ちながら考える。
「今の私にできることは…。」
土蜘蛛は私に注目してない。ルゥは避けることで手一杯。私の持っている武器は、アサルトライフル、愛用のリボルバー、閃光弾、そして、ジークさんから受け取った改造ピストル。
閃いた。いや、しかし通じるか?あの巨体に、威力の下がったこの銃で。
考えていても仕方がないか。ものは試しだ。
「ルゥ!試したいことがある!もうちょっと耐えてて!」
「…!(コクリ)」
私はアサルトライフルから改造ピストルに持ち替える。そして、蜘蛛の後方に回り込む。完全に蜘蛛の後ろを取った私はそのまま、蜘蛛目掛けて走り寄り、ジャンプして蜘蛛の背中に飛び乗った。
改造ピストルをテーザーガンモードにして、蜘蛛に向けて構える。
「痺れろぉぉ!!」
「キィィィィ!!!」
私は蜘蛛の背中の関節に向け、テーザーガンをゼロ距離で放つ。わずかな時間、ルゥへの攻撃が止む。充分だ。
すかさずルゥは足元の子蜘蛛を足を、駒のように使って薙ぎ払い、露出した床を蹴って巨大な蜘蛛へ一気に近づく。拳を握り締め、ルゥは蜘蛛の下顎に強烈なアッパーを見舞った。あまりの威力に蜘蛛は腹を見せるように後ろにのけぞる。
私は蜘蛛の下敷きになる前に背中から飛び降り、また蜘蛛の側方に位置取った。
「キィィィィィィ!!!!」
そのままのけぞるようにズシィンと倒れる土蜘蛛。あの巨体だ、起き上がるのは容易ではないだろう。
すかさずルゥが高く飛び上がる。そしてまた蜘蛛の腹に向けて渾身の落下蹴りを繰り出した。私も、アサルトライフルで追撃。
しかし突如、蜘蛛の身体中からものすごい勢いで煙が噴射された。ルゥは咄嗟に蜘蛛から距離をとる。私もなるべく煙を吸わないように口を袖で覆う。
噴き出された煙で蜘蛛の姿は隠れてしまう。
私たちは警戒を強め、じっと煙の中を見つめた。
徐々に煙が晴れていく。目を凝らすと、煙の中央に女性が立っている。
その姿は、まさに理想の大和撫子と言えるような美しく整った体型で、上品な長い黒髪が黒を基調とした着物姿に、非常によく似合っていた。
ただ一つ、気になることがあるとすれば、顔面が蜘蛛の顔面であることだ。その奇妙な姿に、私に不快感を感じ、思わず顔をしかめた。
この女が、土蜘蛛が変化したものだというのは言うまでもない。
「くるよ!ルゥ!」
「…!(構える)」
刹那、蜘蛛女が突進してくる。狙いは…
「えぇ!?まさかの私ぃ!?」
「……。」
女蜘蛛は無言で私の首目掛けて蹴りを見舞ってきた。なんとかしゃがんで避けたが、当たってたら即死だっただろう。冷や汗が出る。
しかし安心したのも束の間、女蜘蛛はいつのまにかしゃがみこみ、そのまま私にローキックをかましてきた。私は脇腹にモロにくらってしまう。
「かはっ…!」
軽く吹っ飛び、2、3回横転した。耐えきれず嗚咽する。肋骨が2、3本やられたかもしれない。
もちろん、蜘蛛女はこのチャンスを見逃さなかった。痛みで起き上がれない私に踵落としの追撃を仕掛ける。
だが、ルゥが私への攻撃を阻止するように、寝込んだ私の前に立ち塞がる。ルゥは蜘蛛女の踵落としを左手で抑え、そしてそのまま右手で思い切り蜘蛛女の腹を殴る。
蜘蛛女は思わずよろける。ルゥはそのまま、すかさず蜘蛛女の脇腹に蹴りを見舞う。蜘蛛女は吹っ飛びつつも、体制を整え着地した。
私はルゥに守られながら、なんとか立ち上がる。痛みはアドレナリンが作用してだいぶ平気になったけど、数十分経てばまた激痛が襲うだろう。早めに決着をつけたいところだが…。
「考えろ…今の私にできること…!」
息を荒げながら考える。ルゥは私を守りながら戦ってくれてる。しかしこちらの消耗が激しい。女蜘蛛はルゥと互角に渡り合っている。このままだとジリ貧だろう。
兎にも角にも、一旦体制を整えたい。
「これなら…!」
私は思いつく。
「ルゥ!私の後ろに!」
「…!(小さく頷く)」
ルゥはすぐに私の後ろに移動し、目を閉じた。
「いいこだよ!ルゥ!」
私はジークさん特製の閃光弾を投げつける。刹那、目を焼くような閃光が当たりを包み込んだ。私もなるべく光を見ないようにはしたものの、少し視界がぼやける。とんでもない威力だ。
「キィィィィィィ!!!」
女蜘蛛は閃光をモロにくらってしまったみたいだ。手で目をおさえて悶えている。
現状、私の影に隠れ、光を避けたルゥのみが自由に動ける。
「ルゥ!あれ撃って!」
「…!(ショットガンを構える)」
ルゥは悶え苦しむ女蜘蛛へと接近して、銃を構える。そして、轟音。ルゥが放ったジークさん特製のショットガンが、蜘蛛女の腹に直撃した。
いくら反動が強いショットガンも、ルゥの体幹なら問題ない。
私はショットガンが肉を貫く音で勝ちを確信した。
視界が明瞭になってきた。蜘蛛女の腹には半径3センチほどの風穴が広がっている。大量の血が滴り落ち、床に赤い水溜りができている。
常人なら、即死だろう。
常人なら。
「キィィィィィィ!」
「嘘!なんで動けるの!?」
「…!?(信じられないような目)」
目を疑った。蜘蛛女は動じずに、すぐ近くにいたルゥに目がけて蹴りを繰り出してきた。
咄嗟にルゥは避けるが、そのままルゥと女蜘蛛の格闘戦が再度始まる。
私は狼狽した。何故あれほどの外傷で動けるのか?上半身と下半身はほとんど繋がっていない。背骨だって砕け散っているはずだ。動けるはずがないのだ。それに目が焼けるほどの閃光弾をモロに喰らったはず。なのに、もう女蜘蛛の攻撃は確実にルゥを捉えている。
パニックになる。完全な予想外。度を超えている。どうすればいい?どうすれば?
目が回る。どうすればいい?そもそも勝てるのか?不死身かもしれない。心臓を貫けばいいのか?頭を打ち抜けばいいのか?わからない。どうすればいい?どうすれば…
刹那、バコンとものすごい音が鳴り、ハッと我に帰る。ルゥの蹴りと女蜘蛛の蹴りがぶつかり合った音だ。もはや人間の出していい音ではない。
その後、ルゥも女蜘蛛も一旦距離を取る。両者満身創痍、いや、巨大蜘蛛線での消耗も踏まえるとルゥの方が不利か。ルゥは息を切らしながらも、女蜘蛛になんとか対抗していた。
そして私はそんなルゥを見て、ある出来事を思い出した。
「そうか…あれは生き物じゃない。妖怪なんだ。」
ルゥは人間じゃない。いや、人間なんだけど、あの身体能力は凡人とか天才とかの域を超えていた。だから、私はルゥはルゥってことにして無理矢理納得したんだった。
だったら、あの蜘蛛も、『生き物でない』と仮定すれば全ての辻褄が合う。あの風穴で動けるのにも、閃光弾を食らってもすぐ目が見えているのにも、無理矢理にでも理由がつく。
しかし、妖怪と仮定したまではいいとして、結局、根本にある問題は解決していない。あの蜘蛛をどうやって倒せばいいのか。倒そうにも、むやみに近づくこともできない。そもそも妖怪は死ぬことはないのか?だとしたら詰みだ。勝ち目のないゲームってことになる。
突如、ルゥと戦っていた女蜘蛛が大袈裟に後ろに下がった。
あまりにも不自然な距離の取り方に、私は疑問を抱く。そして私は一つの仮説を立てる。そして、ルゥに近づいて尋ねる。
「ルゥ、あいつが距離を取る前、どこを狙って攻撃した?」
「…。(自分の首を指差す)」
「なるほど…。じゃあ、勝てるかもしれない。」
きっとアイツは首が弱点なのだ。あの大袈裟なバックステップは命の危機を回避するために咄嗟にでた反応だろう。であれば、一つ案が浮かぶ。
しかしこれは大博打、相手に一瞬でも悟られたら負け確定。でも、これを成功させれば勝てる。現状を打破するため、私はこの無謀な賭けに乗ることにした。
「ルゥ、アレ貸して。」
「…。(コクリ)」
ルゥは私にアレを渡して、そのまま女蜘蛛に飛びかかっていった。
この作戦の要は私。気張らないと。
私はもう一つの閃光弾のピンを引く。
「ルゥ!伏せて!」
「…!(目を閉じて伏せる)」
「キィ!?」
また、辺りを焦がすような光が一帯を照らす。
先ほどと全く一緒の光景が広がる。光が落ち着くと、ルゥがまた、女蜘蛛の懐に潜り込み、銃を構える動作をした。
しかし、女蜘蛛は賢しくも、着物の袖で目を塞いで失明を防いでいた。同じ手は通用しなかったみたいだ。目を開き、近くで構えているルゥに気づくと、そのまま強烈な蹴りをルゥの横っ腹に叩き込んだ。
「キィ!」
「っ…!(顔をしかめる)」
ルゥはガードはしたものの、衝撃で大分吹っ飛び、壁に激突した。受け身は一応取れたみたいだが、流石にすぐには立てなさそうだ。
すぐさま、女蜘蛛は追撃のため、吹っ飛ばされたルゥへと近づいていく。
閃光弾はもうない。ルゥの体力も尽きかけ。
ゲームオーバー…
「おりゃぁぁあ!!」
ーーードシン!
「キィィ!?」
「やった成功!やっぱり、私は運がいい!」
私は、女蜘蛛の頭上から降り立ち、女蜘蛛をうつ伏せにした。
閃光弾を投げてすぐ、私はワイヤーモードにした改造ピストルを2階の吹き抜けになった通路の手すりに向けて撃ち、目を瞑って2階へ移動した。そしてそこから飛び降りて、女蜘蛛の上に降り立ったのだ。
だけど、いくら目をつぶったとはいえ、ジークさん特製の閃光弾は威力が凄まじく、若干視界はぼやけていた。だから、女蜘蛛のいる場所に着地できるかどうかは確実でなかった。故に博打。ぼんやりとした視界で、私は女蜘蛛のボヤけた輪郭だけを頼りに飛び降りたのだ。
視界が戻ってきた。改めて見ると、結構いい感じに女蜘蛛を押さえつけている。
「この勝負、あたしたちの勝ちだね!」
「キィィィィィィ!!!!!」
全力で女蜘蛛は抵抗してくる。だがもう遅い。私はルゥから借りた特製ショットガンを女蜘蛛の首に構え、
「さよなら!」
その引き金を引いた。
ショットガンを撃った反動で、私は後ろに2、3回ほど転がった。まさかこんなに反動がすごいとは。改めてルゥの身体能力には驚かされる。
ルゥは本当に囮として頑張ってくれた。加えて、アドリブで銃を構える振りをし、完璧に女蜘蛛の注意を惹いたのだ。拍手喝采を浴びせたい。
私は女蜘蛛に近寄り、状態を確認する。
刹那、女蜘蛛の体の方の首から、体積以上の白衣や靴、アクセサリーなどが飛び出してきた。
「うわっ!?」
「…!?(驚き)」
ジャラジャラわらわらと者が飛び出してくる中、一つ、カードのようなものが私の目の前にまで飛び出してきた。拾い上げて見てみると、どうやらここの研究員の身分証明用のカードらしい。
「これって…。」
「それはうちの構成員のものでございますね。」
「…!?」
蜘蛛に夢中になって忘れてた。オリバーが、いつの間にか女蜘蛛の死体に近づき、それを眺めていた。
「ふむ、やはり200人ではこれくらいなのでしょうかね?」
「…どういうこと?」
「土蜘蛛の伝説によれば、土蜘蛛は1990人の人を殺し、食したようです。私もそれに倣ってみることにしたのですが、流石に2000人弱の人は用意出来ず…仕方なく、私の組織の全員、200人ほどで代用したんですよ。
なんて酷い。そんな多くの人を犠牲にしたなんて。同時に、さっきのコーヒーの湯気、「ついさっき完成した」と言うオリバーの証言から、容易に犯行のタイミングも予想できた。
私はなんとも言えないこれを、オリバーに銃口を向けることで発散しようとした。
「まさか、そんな最低なことしてたなんてね。まぁでも、あんたの頼みの綱は無くなったよ?大人しくその『枝』、渡してくれない?」
「いやしかし、想像ではもうちょっと耐えると思ってたんですけどねぇ。伝承はやはり誇張していたんでしょうかね?」
「ちょっと?話聞いて…る…?」
刹那、目の前の女蜘蛛の死体が消えた。否、オリバーに吸収された。
目の前の光景にゾッとした。体に悪寒が走る。思わず後ずさる。
「何したの!?」
「いやはや、本当に助かりましたよ。何せ、私じゃ土蜘蛛なんて化け物、倒せませんからね。」
「…どういう意味?ちゃんと説明して。」
「えぇ、土蜘蛛討伐のお礼にお教えしましょう。私はこの『枝』を手に入れたと同時に、ある能力も授かったのです。」
オリバーは『桜の枝』を揺らし、注目を促す。
「その能力ってのは…?」
「『妖怪の力を行使する』能力です。」
私は目を見開く。『桜の枝』にそんな効果があるなんてしらなかった。初耳だ。
「しかし、一つだけ不便なのが、『妖怪の死体を吸収しないと行使できない』という点でして。」
「例えば、カッパの能力を使いたいならカッパを殺して、吸収しなければならないんですよ。」
「じゃあつまり…。」
「そう。今の私は、土蜘蛛の能力が行使できるようになった、というわけです。」
土蜘蛛の力…さっきの戦闘から推測すると、子蜘蛛を出す能力?それとも、蜘蛛女になる能力?どちらにせよ、それほど欲しいとは思えないが…。
「そんなに子蜘蛛を出す能力とかが欲しかったの?」
「いやまさか。私が欲しかったのは、そんな気持ち悪い能力ではありませんとも。」
「『妖怪を統治する』能力です。」
「!!?」
今までの記憶が繋がる。ダメだ、こいつはここで倒さないと。私はオリバーの眉間目掛けて射撃する。避けられる。
「危ないですねぇ。当たったらどうするんです?」
「…地下一階のあの容器に入ってたあの子達を使うつもり?」
「おや?もう既に見られていたんですか。だったら話が早い。」
男の声色が変わる。
「その通り!妖怪と化した彼らを操り!世界中を蹂躙し!従えて!世界の頂点に君臨すること!これこそが私の野望!それを実行するためのピースが!今!ようやく揃ったのです!」
私は戦慄する。彼はイカれている。
こんなことを聞かされたからには、何がなんでもここでこいつを止めなきゃいけない。彼を世界に放ってはいけない。
「ルゥ!」「…!(殴りかかる)」
ルゥの拳がいくら直線的で読みやすいとはいえ、その速さに慣れるには時間が必要だ。初見で避けることはほぼ不可能なはず。
しかし、オリバーは涼しそうな顔でルウの拳を躱した。
その後も、ルゥはニ撃、三撃と何度も繰り返すが、掠りもしない。おかしい。
「なんで…!?なんでルゥの攻撃が当たらないの…!?」
「件。」
「は…?」
「妖怪、件。人の顔に牛の体を持つ妖怪です。生誕とともに一つの予言、その対処法を伝え即死する妖怪、らしいですね。」
話の流れから察するに…
「つまり、アンタは、その件とやらの力で、ルゥの攻撃を見切っているってこと…?」
「その通りでございます。あぁいや、若干違いますかね。『見切っている』のではなく、『わかっている』のですよ。」
「件の予言は言い換えれば『未来予知』。流石に数十年も先のことは見えるようにはなりませんでしたが、数十秒先のことなら簡単に『視える』ようになりました。」
「件は生誕した後すぐに死んでくれるので、吸収も楽でしたよ。」
この会話中も、ルゥの攻撃は休むことなく繰り出されている。しかし、そのどれもが、オリバーに当たることはなかった。
未来予知だなんて、そんなのアリなのか?ルゥとはすこぶる相性が悪い。天敵と言っていいほどの能力だ。
しかし、ある疑問が残る。
「ちょっと待って、件だって、空想上の生き物のはず。どうやって吸収したの?」
「実はですね、この『桜の枝』の皮を削いで、DNAを調べたところ、無数の妖怪の遺伝子がごちゃ混ぜになっていたのです。それらを抽出。あとは…まぁ、言う必要はないですね。」
「この…外道…!」
「はは、外道、いいですね、私は外道!しっくりきますよ!」
今思えば、依頼で殺した少女も、ガラス容器の中の人が着ていた服と同じだった。彼女はなんらかの理由でここできて、危うく妖怪にされかけたところを、なんとか脱出したのだろう。
「さて、茶番はおしまいにしましょうか。」
オリバーはそう唱えると、その長い足でルゥの腹部を蹴り飛ばした。ルゥはものすごい勢いで壁に激突。吐血しながら、その場に崩れ落ちた。
「ルゥ!!!」
「おや、意外とすぐ気絶してしまいましたね。鬼の力は少しやり過ぎだったかもしれません。」
私は急いでルゥに駆け寄る。
戦場で、敵に背を向ける。それがどれだけ愚かなことか。
「ガラ空きですよ!」
「ぐぁっ!!」
私は背中を蹴り飛ばされる。一秒もたたずに壁に激突し、ルゥの近くに、彼女と同じように床にずり落ちる。
不幸中の幸いか、私は激突の仕方がよく、受け身をとれた。しかし、体の節々が痛い。意識も朦朧としてる。
なんとか起きあがろうとするが、足に力が入らない。せめてもの思いで、ルゥの元へ這い寄り、ルゥの容体を確認した。
ルゥは、気絶しているだけのようだ。ほんの少しだけ安心した。
だが、大事なことが終わってない。
オリバーは私たちの元へ歩み寄り、懐から銃を取り出して私たちに向ける。
「さてと。改めて御礼を申し上げますよ。おかげで楽に野望が果たせそうです。」
「くっ…!」
出血で朦朧とした意識で考える。私にできることはなんだ?
銃?いやだめだ、さっきも避けられた。閃光弾?いや、そもそも使い切った。ショットガン?いや、土蜘蛛の首を飛ばしたときの衝撃で既に銃口が焼けてダメになってる。使えない。
脳内のありとあらゆる手札を捜した。しかし、有効打となりそうなものが一つも見当たらない。それもそうだ。未来予知に勝てるものがあるわけがない。
万事休すーーー
「しかし、このまま殺すというのも味気ないですかねぇ。こうしましょう。お二人様の、どちらか片方を差し出せば、もう片方は命を保証してあげましょう。」
「え…?」
「信用できませんか?そんな無粋なことは致しませんとも。約束はしっかり守ると、約束しますよ。」
それは、私にとってとても、とても甘美な囁きだった。
私が犠牲になれば、ルゥが生きられる。
なんで魅力的な誘いなんだろう。私の誓いも、ルゥの命も守られる。これ以上ない提案だ。
私はオリバーの方へゆっくりと手を伸ばす。
思えば、私はルゥに何かしてあげられていたか?いや、いつも助けられてばっかりだ。日常ではドジでルゥに迷惑をかけるし、戦闘ではルゥに囮役ばかりさせる。いつだって私はルゥの負担だった。
なら、最期くらい、ルゥの役に立ってもいいよね…?
手を伸ばす。そうすれば、ルゥが助かる。何も悩むことはない。私は、微笑んだ。
「あの、だったら、わた…」
『生きて帰ってこいよ。』
「!!」
刹那、あの人の声が脳を反芻した。そうだ。ジークさん。あの時の、弱々しさを微かに感じるあの声を思い出す。そうだ、私は、彼に何ひとつ返せてない。
伸ばした手を止める。そのまま下に降ろす。
それだけじゃない。よく考えれば、私が死ぬと、ルゥはどうやって生きていくんだ?お得意さんとの交渉もできない。最初は贔屓にしてくれるかもしれないけど、きっといつか愛想を尽かされる。
だめなんだ。ルゥは1人じゃ生きていけない。誰かがいてあげないと。
私は拳を握りしめる。悔しさで涙が出る。
やっぱり、私はまだまだだ。ルゥのことを考えてるようで、結局、自分の『ルゥを守りたい』って気持ちを満たして満足してるだけだった。
考えるんだ。ルゥを幸せにする方法。ルウが笑顔になる方法。
力が湧いてくる。私はなんとか這いつくばった状態から、フラフラしながら立ち上がる。
「おや?まだ立ち上がれましたか。」
オリバーは動じてない。それはそうだ。未来予知なんてチートを携えて、負けるはずはないのだ。
オリバーは慢心してる。つけ込むならそこしかない。考えろ。考えろ。
ルゥが、幸せに生きるためには…
あった。一つだけ。
私は、両手を真上にあげる。
「あー、はいはい。あたしの負け。」
「どうしたんですか?いきなり?」
私は降参のポーズを取った。
「そのまんま。わたしのま、け。」
「それはあなたが犠牲になるという解釈でよろしいですか?」
「違う。」
「では、そちらのお嬢さんが…」
「それも、違う。」
私はもう喋るのも辛い。さっきの吹っ飛ばされた衝撃もきてるし、アドレナリンが切れて肋骨が折れた痛みも感じてきた。
でも、お陰で逆にクールダウンできた。
今しかない。
「私たちは生きてここから帰らせてもらうよ。」
「はははっ!面白い冗談ですね。」
冗談じゃない。私たちは生きて帰る。
「悪いけど、冗談じゃない。私たちは弱いからさ。2人じゃないと勝てないんだ。」
「勝つ?この状況から?どうやって?」
「あーいや、要は、2人じゃないと、生きてけないって、こと。今回は、素直に、負け、だよ。」
息も絶え絶えになりながら、話す。単語をつぶやくと言った方が適切かもしれない。
「だから、今回は。」
「このとっておきで、満足して。」
私は、力を振り絞り、背中の黒い布で包まれた武器から布を剥ぎ取った。そして剥ぎ取ったその布をオリバーに投げつける。
「なっ!?」
何故かオリバーは布を避けなかった。すかさず腹部に蹴りを狙う。これはバックステップで避けられた。
だが、ちょうどいい間合いだ。
私はそれを腰に当て、深く呼吸する。
イメージする。それは、雪が降る中に一輪だけ咲いた季節外れの桜の景色。
それは、春に見る満開の桜とは違う。どこか孤独で、けれど力強い芯を持った、桜の別の一面。
長い冬が明けるのをただ淡々と耐え忍び、そして春に刹那の美しさを披露する。
そんな景色を、身体全体に見せつける。
腰のそれと、私が一体になっていく感覚がした。息を吐く。吸う。また吐く。
「何をするんですか、全く…」
オリバーが黒い布を取り去った。
古来より決まっていることがある。どんな栄華を極めたものも、最後は決まって崩落するのだ。
その慢心によって。
「桜花流奥義、肆の太刀」
「雪花」
沈黙が辺りを飲み込む。
私は、一秒もたたずにオリバーの背後へと移動し、屈み込んでいた。
刀についた血を払い、静かに、納刀する。
キン。
刀をしまう音と共に、オリバーの右腕と握っていた銃がボトリと落ちる。首を狙ったつもりだったが、やはりダメか。無意識に自分で狙いをずらしたみたいだ。
私は彼の横を通り過ぎ、ルゥの元に向かう。
右腕を切り落とされたオリバーは、微動だにしない。突然の出来事で、脳が現状を処理できてないようだ。
私は気絶したルゥを抱いて、来た時に使ったエレベーターに向かう。刀は腰につけたままにした。
オリバーの悲鳴が聞こえたのは、エレベーターが閉まる直前だった。
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