第三話 潜入、会敵
2035年2月9日午後6時45分。
とある部屋で、高級そうな椅子に男が座っていた。
部屋にはモニターで埋め尽くされた壁があり、まるで監視ルームのような装いをしていた。
「さて、どうなるかな。」
その中で、男はモニターの中の一つを頬杖をつき、リラックスした姿勢で見ている。まるで映画鑑賞かのように、椅子の近くには小さなテーブルとワインの入ったグラスが置かれていた。
男が見ているモニターには、白衣を着た人間が、ボロボロの布を着た人間たち約20人ほどを一つの檻にまとめ、何か薬を投与している姿が見られた。
やがて、檻の中に変化が現れる。檻中の1人が変形していく。手や足の区別もわからなくなるほどその形は歪み、一つの肉塊になった。次第に他の人々もそうなっていき、檻には肉塊が20個ほど残った。そして驚くことに、そうしてできた20個ほどの肉塊が、まるでまだ自我があるかのように自然と一ヶ所にまとまっていく。
そうしてまとまった肉塊は、誰しもが見たことのある姿に変形していった。蜘蛛だ。巨大な蜘蛛が造られた。20人が入ってもスペースが余っていた檻がきつそうなほどの大きさ以外にも、頭から髪が生えており、人間らしさが残っているのが、なお一層その蜘蛛から不気味さを醸し出していた。
「ほぉ、ついに成功か。まぁわかっていたことではあるが、やはり感慨深いものだ。」
男は口角を上げ、不敵に笑み、立ち上がった。そして、部屋にあるスピーカーに話しかける。
「各構成員に伝令、今日午後7時に、地下3階の戦闘データ集積場に集まるように。繰り返す。午後7時に、地下3階戦闘データ集積場に集合。以上だ。では、よろしく頼む。」
男はそう言い放ち、スピーカーを切った。そして部屋を出る。
歩きながら浮かべる彼の笑みは、この世のものとは思えない不気味な何かを孕んでいた。
2035年2月9日午後6時57分。
私とルゥは寒空の下、前回犯罪集団のリーダーを仕留めた林を駆けていた。
今回の目標、それは昼間に襲撃してきたスーツの男が所属している組織、スパイダーとやらから『桜』を奪取すること。
『桜』、これは間違いなく私たちの目的達成に必要不可欠なパーツであり、未だ謎の多い物体だ。
一層気合を入れてこの作戦に取り掛かる必要があるだろう。
「ルゥ、調子はどう?」
「…!(ガッツポーズ)」
「あはは、それじゃ勝った後じゃん!」
ルゥはたまに天然でこういうボケをしてくる。本人は全く意図してないみたいだけど。とりあえず、いつもどおりみたいだ。
しばらくすると、目の前には、木々が鬱蒼とした林には似合わない、近代的な研究所のような建物が見えてきた。尋問した時の情報から考えても、ここがスパイダーとやらのアジトだろう。
私は一度立ち止まって、装備を改めて確認した。今、私は腰にジークさんから買ってきた多機能ピストル、閃光弾、元々持っていたリボルバー、銃弾用ポーチをつけ、背中にアサルトライフルと私のとっておきの武器を背負っている。
なるべく、このとっておきを使う羽目にならないといいんだけど。
確認終了。深呼吸をした。あとは侵入するだけだ。
「よし、じゃあ、いこっか。」
「…(コクリ)」
私たちは研究所の敷地内へと力強く踏み出した。
同日午後7時6分。
警備員の目を掻い潜り、外の通気口から潜入に成功した私たちは、現在警戒をしながら地下一階の廊下を進んでいた。
コツコツと廊下に響く音が気持ち悪く感じる。知らぬ間に頬に汗が滴り落ちてきた。私の胸の内で激しく弾む心臓で、敵に気づかれてしまいそうだ。
あの時、スーツの男から尋問して入手した情報によれば、桜は地下のどこかに保管されている、というが…
「まぁ、多分ないだろうな…。」
おそらくだが、潜入はバレている。これほど大きな研究施設から、全く人の気配がしないのだ。大方、あの時の男たちに盗聴器か何か仕込まれていて、「襲撃してくること」はわかっていたのだろう。それで人々を非難させた、といったところだろうか。
しかし、「潜入のタイミング」まではわからないはず。林の中のどこからか監視されていたのか?それとも…?
加えて疑問に思うのが、なぜ迎え撃たないのか。当たり前だが、侵入がわかっているなら、外に見張りを置いておくべきだし、人を複数人地下に配置して、迎撃した方がいいに決まっている。不可解だ。
考え事をしていると、袖を引っ張られた。振り返るとルゥがある部屋の中を見つめている。
「どうしたの?ルゥ?」
「…。」
私はルゥの感情が分からなかった。最近は結構通じ合えてると思ってたけど…。
私もルゥが見ている部屋が気になり、頭だけ覗かせて部屋の内部を見てみた。
…見ない方が良かったかもしれない。
アニメや漫画で見るような、よくわからない液体が入ったガラスの容器の中に人が浮かんでいたのだ。それが何十個も。
いや、違う。よく見れば、人の腰から下が鱗でまとわれた魚のヒレのようになっているもの、肌は緑色に変色し、頭に皿のようなものが付いているもの、手足が鳥のようなものになっていて、背中から羽が生えているものなど、異形のものが混じっていた。
人魚、河童、ハーピィ…ほかにも、神話や昔話の伝承でしか見られないはずの空想上の生き物が目の前にはいた。ただ、決定的に違うのは、伝承のような神秘的なものではなく、明らかに無理に接着されていたり、顔がアシンメトリーであったりと、酷くグロテスクなところだ。
「っ……。」
「…?(心配な表情)」
「ありがと、大丈夫、落ち着いた。」
目の前の光景が脳に嗚咽を指示させた。何とか我慢した。ルゥにはああ言ったが、頭の中はその景色でいっぱいだ。トラウマ確定だな。これは。ちなみにルゥはケロッとしている。
しかし、こんなところで立ち止まってるわけにはいかない。それに、収穫はあった。敵の持っている『桜』の中身に予想がついた。
私は両手で頬を叩いて自分を律したのち、異形の部屋から無理やり目を逸らして、何とか震える足を前に出した。
同日午後7時16分。
地下2階を探索していたが、本当におかしい。誰にも会わない。
潜入したばかりの時の緊張は若干落ち着いたが、代わりに胸に気持ち悪さが残るようになった。
さらにこのあと、その感情にさらに拍車をかけることになる。
移動中、ガラス越しに部屋が見えた。どうやら研究室のようだが…何かがおかしい。
部屋に埃はなく、机にノートが開いて置かれてある。ノートパソコンの電源はつきっぱなしで、マグカップのコーヒーから湯気が立っている。
湯気が立っている。そう、つまり淹れたばかりということだ。
詰まるところ、ついさっきまでこの部屋に人がいたということ。コーヒーから湯気が出続ける時間は、せいぜい持って20分、いや15分だろう。
つまり15分前までは確実にここに人がいたのだ。
それなのに、この静けさ。嵐どころじゃない災害が、この後待ち受けている気がした。
一瞬で人が消えたのだ。正直、進むのが怖くなった。足が震える。鼓動がうるさい。確実にこの先に何かある。怖い。怖い。逃げようか。もっとちゃんと準備して、射撃ももっと真面目に訓練して、出直した方が…
刹那、手に温もりを感じた。振り返る。ルゥが、私の手を握って見上げていた。まるで大丈夫、安心して、とでも言いたげな顔で。
あぁ、やっぱり私は弱い。一度した決意を曲げようとしてしまった。
私は、ルゥの頭を撫でたのち、ゆっくりとガラスでできてない廊下の壁に近づいて、思いっきり頭突きした。痛くて座り込む。おでこがヒリヒリ痛む。でも、心のしこりは取れた。ルゥが、私のおでこを撫でてくれた。
「ありがとう。もう、ホントーに大丈夫。」
「…。(コクリ)」
私はルゥと手を繋いだまま、先に進んだ。ほんのちょっとだけ、歩く歩幅を大きくした。
同日午後7時27分
研究施設の地下は3階で構成されていた。一応、それらしきところを隈なくを探したが、『桜』は見つからなかった。
やはり、誰かが持っている、あるいは持っていった可能性が高いだろう。でも、何となく私は前者だと思った。
地下3階行きのエレベーターから到着のベルが鳴る。出待ちを警戒したが、やはりというか何というか、特に敵は見当たらず、慎重に進むことにした。
地下3階は他の階と比べ、異質だった。他の階は清潔感のある白い床や壁、ガラス越しの部屋などいかにも研究施設みたいな作りだったが、地下3階は床も壁も錆びた鉄筋でできており、かろうじて緑の薄暗い照明がついているぐらいの明るさしかなかった。
警戒を解かずに進み続けると、何やら大きな円形の扉が、中に入れと言わんばかりに口を大きく開いて待っていた。きっと、ここに入らなければ『桜』は手に入らないのだろう。予感がした。
私は何回か深呼吸した。ルゥも私を真似して深呼吸していた。私たちは目を合わせて、小さく頷いたあと、不気味な口の中に飛び込んだ。
刹那、後ろの口が閉じる。そして、突然部屋に白色光が照らされる。思わず目を細める。
そこは、大きめな体育館くらいの広さで、私がちっぽけに見えた。2階には吹き抜けの手すり付き通路がある。
1番特徴的なのが、床だ。ど真ん中が円形でパックリと切り抜かれている。何の意味があるのだろうか…。
「いやはや、まさかこんな可憐な二人組がいらっしゃってくれるとは思っていませんでしたよ。」
「…!(戦闘体制)」
「…あんたは誰?」
私たちの正面にある、2階の吹き抜けの通路に向かうための階段から、いつの間にか若い男性がこちらに向かって降りてきていた。即座に私たちは構える。
「お初にお目にかかります。私、スパイダーを率いております、オリバー・ホワイトと申します。」
男性は高級そうなスーツに身を包み、私たちに笑顔を向けて自己紹介をした。もちろん、目は笑っていない。
「まぁまぁ、そんな物騒なものはしまってくださいな。私はただ、お話がしたいだけですから。」
「あっそ。でも、お話ってことはこっちから質問してもいいんだよね。」
「えぇもちろん。なんなりと。」
「じゃあ一つ。『桜』を見せてみてよ。」
男はその不気味な笑顔をぴくりとも動かさず、スーツの内ポケットをまさぐった。そして、片手ぐらいの長さの『桜の枝』を取り出した。『桜の枝』には、ところどころに花や蕾がある。まるでちっちゃな桜の木だ。
「こちらですかね?」
「ありがとう。じゃあ二つ目。それ、私たちに渡してもらえない?」
「いやはや困りました。これは大事なものですので、お譲りするわけには…。」
「じゃあ交渉決裂。話すことはもうない。」
「そうおっしゃらないでくださいな。どうか私の話も聞いてくれませんか?聞いていただければ、『これ』、お譲りしてもよろしいかと考えております。」
私は少し逡巡する。しばらく考えて、奴の提案に乗ることにした。もしかしたら、他の『桜の枝』についても情報が得られるかもしれない。
「いいよ、話してみて。」
「ありがとうございます。そうですねぇ、ではまず、『これ』についてお話ししましょうか。」
男は『桜の枝』を軽く振ってみせた。
「いやはや、初めてこれを手にした時は驚きました。何せ、急に知らない情報が頭に流れ込んでくるのですからね。」
「カッパ、カラカサオバケ、ガシャドクロ、ニンギョ、カマイタチ…私の知らない伝承が次々と頭に浮かんでくるんです。」
「もともと、私は各国の伝承を研究しておりました。世界の隅々まで探したと自負しておりましたが、まさか私の知らない伝承があるとは。」
なるほど、やはり地下一階での予想通り、その『桜の枝』はさしずめ『妖怪の枝』と言ったところか。そして、その興味の暴走が、地下一階で見たあのグロテスクな化け物たちを生み出したのか。
「そして同時に知りました。」
「アルカスが本当は『桜』という名前の木だということをね。」
アルカス。全世界に普遍的に存在する、一年中花を咲かせる木。しかし私は知っている。あれは狂った桜の木。あんなのは桜じゃない。
「いやしかし、私は改めてあの木が好きになりましたよ。もともと、あの鮮やかに咲き乱れる姿が気に入ってました。一年中花を咲かせるあの木は、まるで自身が1番美しいと、他の花に自慢しているみたいで、大好きでした。」
違う。桜はそんなものじゃない。もっと謙虚でおとなしいものだ。あれはちがう。
私は頭に血が昇る。顔が火照る。
「あの木の下ではコスモスも、蒲公英も、他のどんな植物も敵わない。この世が弱肉強食であることを指し示しているみたいじゃないですか?」
「黙れ!桜はそんなのじゃない!お前が、桜を、あの木の何を知ってるんだ!」
思わず叫んでしまう。彼の言葉のトーンは、いちいち私の神経を逆撫でしてきて、もう我慢の限界だった。
私は彼の話を遮ってアサルトライフルの撃鉄を引く。放った銃弾は心臓付近に着弾するが、効いていない。襲撃してきた奴らと同じスーツのようだ。
「おや失礼、確かに長話が過ぎました。イライラさせてしまい申し訳ありません。」
「では最後に一つだけ。あなたたち、私と組みませんか?そうすれば、『これ』もお譲りします。処分した部下から聞いた話によると、お二人とも、すごいコンビネーションらしいじゃないですか。ぜひ、我が組織に入って…」
「絶ッッッッッッ対にない!!」
「…。(激しく首を横に振る)
「おや、振られてしまいましたか。」
男はやれやれと言うように手のひらを挙げた。
そして突然、彼の顔から不気味な笑みが消えた。
「なら、血に塗れた汚らしい邪魔なネズミは駆除しないといけませんね。」
瞬間、真ん中の巨大な穴から何かが飛び出してくる。最初は大きな黒い塊かと思ったが、着地したそれを見て、認識を改めた。
「これこそが、『桜の枝』から得た知識の中で最も興味深かったもの!ついさっきようやく完成しましたよ…。」
「蹂躙しなさい!『土蜘蛛』!」
その黒く、3メートルを優に超えるほど巨大な蜘蛛は、顔についた不恰好な髪をなびかせながら呻き声のような雄叫びをあげ、私たちを威嚇した。
完全に想定外だ。まさか化け物と戦うことになるとは。『桜の枝』の内容が分かった時点で何か作戦を立てておくべきだった。私のミスだ。
「ルゥ、ごめん、ちょっと辛いかもだけど、頑張れる?」
「…。(コクリ)」
「よし、じゃあ、あいつさっさと倒しちゃおっか!!」
決戦開始のゴングが鳴り響いた。
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