九
今年も、バレンタインがやってくる。
苦い思い出が二つもあるバレンタインだったが、僕は不思議とそのイベントが嫌いではなくなっていた。
青春格差を助長する構造であることには未だ否定的な意見を持っているが、イベント自体は好きだった。
「変化」のきっかけとなるイベント。
それは必ずしも別れだけを連れてくるわけではないということを、僕はなんとなく漠然と理解し始めていた。
放課後になったことを知らせるチャイムが鳴り、教室内は男子生徒の期待で埋め尽くされる。
僕は同級生の女の子二人からまずチョコレートを貰い、そして廊下を歩いているときに、知り合いの先輩からもまたチョコレートを貰った。
先輩から貰ったチョコレートは、ずっと甘ったるかった。
よく、チョコレートというものはあの甘さが美味しいんだ、と言って無数に食べまくる人がいるが、僕にはそれは無理だと思った。一つ食べただけで、口の中から喉の奥まで不快なほどの甘さが残った。噛むまでもなく溶けていったそれは、俗に「生チョコレート」というらしい。
同級生の女の子から貰ったチョコレートは、なんとなくもの足りなかった。
もちろん美味しくないというわけでは全くない。しかし、とりわけ美味しいというわけでもなく、具体的にどこが足りないとは言えないものの、何か大事なものが入ってない味がした。
二人分、二つ続けて食べてみたが、それでもまだ食べ続けられると思うくらいには、もの足りなかった。
僕は校舎を出て、校門の手前に置かれた青い自動販売機で、カフェオレを買って飲んだ。
ほどよい苦味が、甘い口の中をリセットする。
そして眺めるともなく淡い雪が降るのを眺めながら、僕は校門から足を一歩踏み出した。
そこに、いた。
茶髪で、ショートカットの、小柄で愛嬌があり、笑顔が素敵で、上目遣いがたまらない、あの後輩が。
一年ぶりの再会だった。一瞬、夢だとも思った。
呆気に取られている僕に気づいた後輩は、僕のもとへと小走りで近づいてくる。
そして、一年前と同じように僕の目を見据えて、
「お久しぶりです」
微笑みながらそう言った。
不思議と、僕はとても落ち着いていた。焦りも不安もない。二人の視線だけが、ただただ重なり合う。
今度は僕から、一ついじわるを仕掛けよう。
そう思った僕は、カフェオレを握る手に少し力を込めて、
「好きか?」
優しく、そう尋ねる。なんとなく甘い雪の香りがして、これこそが青春の香りなのだと思った。
弾ける笑顔で、後輩は言う。
「大好きですよ」
僕も、同じ言葉を返す。
「僕も大好きだ」
互いに気づかないふりをしている僕たちは、そんな状況がおかしくて愛おしくて、しばらく二人で笑い合った。
しばらくして、後輩が僕に話しかける。
「先輩、チョコは好きですか?」
安心感のある会話だった。相手がなんと答えるか、そして自分が何を話すか。全てが分かりきっていたはずなのに、この時間を終わらせたくなくて、僕はゆっくりと返事をする。
「もちろん。大好きだよ」
赤いマフラーに包まれた後輩の顔が、徐々に赤に染まっていくのが見えて、また愛らしさを感じる。
訊きたいこと、話したいこと、知りたいこと、見たいもの、したいこと、するべきこと、していくこと。
その全てを今すぐにでも語り合いたくて、関係を進めたくて、想いが溢れそうで、僕はあまりにも幸福すぎると思った。
もう心地よい関係は終わらせたくない。もう後悔はしたくない。きみだけは、失いたくない。
ボール型のチョコレートを後輩から受け取った僕は、感情の向くままに、後輩を強く抱きしめた。
降りしきる雪の冷たさも忘れてしまうくらい、後輩の体は温かかった。好きだ、と思った。
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