バニーガール降臨

「……ってあら、私は何をしているのかしら」

「……なんだろうね」


 家に帰ってすぐ、母さんに詰め寄られた。

 出掛けることは言っていたが、いきなり女の臭いがすると言って怖い顔をしたのである。

 逆転世界の母さんが俺を心配するあまり、日に日に束縛が強くなっていくのも感じる……ええい! どうしてこうなったんだと俺はこの世界を作り上げた神様に文句が言いたいくらいだ。


『あなたは私の大事な息子……何よりも、誰よりも大事な自慢の息子なのよ。あなたに何かあったら私は生きていけないわ』


 そう言って抱きしめられ……そして今、母さんは普段通りの母さんへ戻るという事態になっている。


(今回ばかりはグッジョブだぜ……)


 正直、あのままだと俺は母さんから逃げられなかった。

 ただ……結局また逆転したらあの母さんと話をしなければならないというわけで、伝えるべき言葉はしっかり用意しておかないと。


「……お風呂の用意してくるわね」


 何をしていたんだろうと首を傾げる母さん。

 母さんの姿が見えなくなって安心したのも束の間、母さんまで水瀬や能登みたいになったら嫌だけど……流石にないだろ母さんだぞ?


「……………」


 そう思いたいのに、あっちの母さんは……そうじゃないんだ。

 まあでも気持ちは分かる――ある意味、あっちの母さんにとって俺はあまりにも特別すぎる存在だ。

 母親である母さんを好いている……それだけで稀有なのが終わってる話だけど、心を許せる存在が俺しか居ない……そう思うとあっちの母さんを強く否定出来ない。

 むしろ安心させてあげたいってそう思うんだよな。


「……はぁ、だとしてもため息が出続けるぜ」


 その後、風呂も済ませて夕飯も済ませ……いつもの母さんと二人っきりの時間を過ごす。

 そうして部屋に戻った後、俺は今日のことを思い返した。


「って待てよ……冷静に考えたら今日ヤバくね?」


 色々とあって気にする暇がなかったけど、今日は二回も世界が切り替わったってことだ。

 カラオケで寝ている時に逆転し、そして母さんに詰め寄られている時に再び逆転した……ほんと、これがもしも今まで頻繁に起きていたのだとしたら、これを一切違和感なく過ごしていた自分自身が本当に怖い。


「えっと……SNSはっと」


 今日一日の動きをSNSで確認してみることに……。

 しかし、やはり異変と言えるような何かを見つけることは出来ず、目に入った全ての投稿がこの異変に対する言及はおろか、世界の動きすらそのままだった。


「……はぁ、もう良いや。今日は寝ようっと」


 そして俺は眠りに就いたのだが、史上稀に見るレベルではない最悪の悪夢を見ることになるのだった。


▼▽


 翌朝、鏡に映る俺の顔は酷いものだった。


「……誰だよこれ、あぁ俺か。ゾンビじゃなくて俺か」


 目の下の隈が凄い……一応八時間は寝たはずなのに、この顔はあまりにも酷すぎる。


「……ひでぇ夢だったな」


 そう、俺は物凄く嫌な夢を見た。

 というのも俺は今、貞操逆転が頻繁に起こるこの世界について大いに悩んでいる。

 そんな俺を嘲笑うかのように、一日に何十回……何百回と逆転現象が起こる世界を延々に過ごさせられた――登場人物たちはみんな俺の知らない人たちだったが、その人たちが二つの人格をこれでもかと入れ替えて俺に接してくるのだ。


「……………」


 思い出すだけでしんどい……しかもそれが夢だと気付けないのと、思考がリアルに出来たから俺はマジで夢ではなく現実だと思い込んだ。

 俺を性の対象として近付く女性たち……けれど次の瞬間には、触れている俺を見て気持ち悪そうにして離れていく……それの繰り返しを延々見せられるなんてどういう悪夢だよ。


「もしもあんな風に現実もなったら……終わりだよもう」


 渇いた喉を潤したくてリビングに向かうと母さんは居なかった。

 そういや今日は朝から近所の奥様方とヨガの教室だったか……昼も帰ってこないって言ってたし、そうなるとどっかに食いに行こうかな。

 ジュースを飲んでスッキリした後、部屋に戻ってパジャマのまま適当にこれからどうしようか考える。


「……不思議だな。あの夢のことを考えたら引き籠っていた方が良いはずなのに、逆にジッとしてらんねえわ」


 ま、あの夢は確かにリアルだったけど流石にオーバーすぎる。

 すぐに着替えを終えて俺は外に出た……もしかしたら、俺は一人で居たくなかったのかもしれない。

 このどうしようもなく暗い気持ちで過ごすことに耐えられず、誰かと話だけでもしたかったのかもしれない。


「……………」


 そんな俺の願いが通じたのか、俺はとあるクラスメイトに出会った。


「っ……」

「ちょ、ちょっと誰!?」


 ただ……少し考え事のしすぎで前を見ていなかった。

 出会ったというよりはぶつかったという方が正しく、俺はどうやら立ち止まっていた彼女に……能登の背中にぶつかってしまった。


「ごめん……他所見してた」

「余所見ってアンタ……ちょっと、なんて顔してるの?」

「うん?」


 怪訝そうな顔をしつつも、一瞬で心配してくれる表情へと能登は切り替わり俺の手を引く。

 彼女に連れられて向かった場所は近くに設置されているベンチで、目の前を多くの人が横切っていくが休憩スペースであることに変わりはなく、それを気にしなければ良い空間だ。


「朝っぱらから出会ったクラスメイトがそんな幽鬼みたいな顔してたらおっかないっての……何かあったの?」

「君は幽鬼なんて見たことがあるのか?」

「あるわけないでしょ。例えよ例え」

「……………」


 何かあった……あったならあったさ。

 精神的にキツイ夢を見た……ただそれを口にしてどうなるのか、その内容を事細かに喋ったところで夢くらいで何をと言われるのが関の山だ。


「それで、何があったの? クラスメイトだから話してみたら?」

「……………」


 なんつうか……やっぱり最近の能登は優しい。

 というより水瀬と同じように変わったというか……あっちの世界でのやり取りが引き継がれているわけでもないのに、どうして能登はこんなにも優しくしてくれるんだろうか。


(水瀬とのやり取りも何だかんだ楽しくて……癒されて……そして能登が心配してくれるのも嬉しくて……そうだなぁ、反応を見てみるか)


 別に全てを話すわけじゃない……ただ思い切って口にしてみた。


「夢を……クッソしんどい夢を見た」

「夢……?」

「うん」


 能登の表情を見ることが出来なかった。

 たぶんそんなことで浮かない顔をしているのかと、そんなことで心配を掛けるなって言われると思っていたのに、能登は俺が想像していたのとは正反対の反応を見せた。


「そう……それは嫌な出来事だったわね」

「……えっと」

「おいで、よしよししてあげる」

「お、おい!?」


 突然、俺は能登に抱き寄せられた。

 彼女の言葉通り、まるで小さな子供をあやすかのように背中を優しく擦られ、頭も撫でられ……耳元で彼女は囁く。


「ごめん……あたしもなんでこうしてるのか分からない。けど、好井の顔を見たら何かしてあげたいって思った。あたしで安心させてあげられるなら何かしてあげたいって」

「……能登」

「なんでだろ……ほんとによく分かんないけど、これで少しは落ち着いてくれる?」


 そんなの、落ち着くより驚きと緊張の方が高まっちまうっての。

 けど……こうされるのは本当に安心する……周りの音が全部搔き消えてしまったかのように、それこそ本当に大丈夫だって包まれるように。


「夢の内容は聞かないわ。そんな様子になるってことは、それだけ話したくはない内容だろうしね」

「いや別にそんなことは――」

「う~ん……ねえ、今から時間とかある?」

「え?」

「あ、あたしが……あたしがもっと元気出してあげる!」


 どういうことでしょうか……?

 妙にやる気を出した能登に手を引かれ、まるで昨日の水瀬にされるように歩き続け……着いた先は結構な豪邸だった。


「ここ、あたしの家なの」

「……え!?」


 こ、この立派なお家が!? じゃなくて、どうしてそうなるの!?

 そうして流れるように家に招かれ、能登の自室に招かれ……もう何が何だかよく分からないこの状況で、少し姿を消していた能登が戻ってくる。


「じゃ、じゃ~ん!!」

「……………」


 頭にウサギの耳をくっ付け、黒のバニースーツを着て……だ。


「……??」


 ごめん、一言だけ言わせてほしい。

 もしかして俺はいつの間にか気絶して夢を見ていたりする……?

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