浸食警報発令

「……………」

「どうした? そんな難しい顔をして」

「おう……奏人か」


 教室に着いて大人しく席に座っていると、奏人がそう言って肩をポンと叩いてきた。

 そりゃ難しい顔にもなりますとも。

 朝のやり取り……水瀬とのやり取りには正直、何がどうしてそうなったんだと俺に思わせたほどだから。


『取り敢えず仲良くしてよ……良いよね? 好井君、優しいし嫌だなんて言わないよね?』


 有無を言わさない言い方だが、不安に揺れていた瞳がズルかった。

 如何に水瀬がとてつもないレベルの美少女とはいえ……何も知らなければ俺はただ怖がって離れたはず……嬉しいと思うかどうかさえ分からない気もするが、たぶん嬉しがるかもしれん。

 とまあそれもあるのだが一番はあっちの世界のことがあるから……おっぱい触っちゃったし。


「ま、色々あったんだ」

「そうか。もしやべえくらいに悩んでるなら教えろよ。可能な限り力になるから」

「サンキュー」


 ありがてえ……涙が出るほどありがてえよ。

 こっちもあっちも奏人の人柄には助けられる……ただ、このことに関してはおいそれと喋れることではない。

 何度も思っていることだけど、本当にそうだからなぁ。


『何言ってんだ?』


 って言われるのが容易に想像出来る。


「なあおい、つうか聞いたかよ。水瀬が伊藤と別れたって話」

「え? あ、あぁ……」

「驚きだよなぁ。あんなにラブラブっつうか、お似合いだったのによ」

「……………」

「あまりに予想外だからみんなビックリしてんだ」


 なるほど……そういう風に広がっているのか。

 まあ俺も教室に入った段階で水瀬が伊藤と別れたこと、それがある程度は広まりを見せていることは把握した。


「なんでなのかな……?」

「さあ」


 俺は何も知らないと言わんばかりに首を振る。

 水瀬はおそらくそのことを質問攻めされているようで、周りを友人に囲まれており大変そうだ。

 そして反対に伊藤はというと……あっちも普通だ。

 伊藤も友人に囲まれているが笑顔で対応しており……もしかしたら突然ではあったけど円満に別れたとでも言っているのか?


(正直……いくらあっちの世界とはいえ、彼氏持ちの女の子に対しやっちゃいけないことをしてしまった自覚はあったし、伊藤に悪いとは少し思った……クズだったけど)


 あっちもこっちも伊藤は別に彼女を作っていた……なら何も気を遣う必要はないんだって思うことにしよう。

 ……それよりも、これから水瀬とどう接しようか。


「……………」

「なあおい、本当に大丈夫かよ。こんなにお前が難しい顔をしてることなんて滅多にないぞ?」

「……なあ奏人」

「お、話してくれるのか!?」

「女子に言い寄られてしまった場合……どうすれば良いと思う?」

「……そんなの女と縁がない俺に言われても困るぞ」


 うっす了解した。

 奏人がトイレに行くと言って離れて行き、俺は改めて考えに没頭する。

 ……だって水瀬があんな風にこっちで反応したということは、もしかしたら能登もそうじゃないのかと思うからだ。

 流石に考えすぎか……?

 そう思っていた俺だが、そこでちょうど能登がいつもの友人と一緒に登校してきた。


「おっはよ~」

「おっは~」


 クラスの誇る美少女ギャルの登場に男子たちは一斉に目を向けた。

 彼女たち……特に能登は多くの視線を集めながらも、堂々と大きな胸を張って歩いている。

 そんな時、彼女とバッチリ視線が絡み合った。


「っ……」


 ついつい視線を逸らす。

 これもまた水瀬とさっき会った時に感じたことだけど、能登の体にも思いっきり触ったことを思い出したせいだ。

 頼むから水瀬みたいにならないでくれって気持ちと、男だからこそワンチャンあるのかなっていう汚く……そして卑怯なことを考える俺。


「……はぁ」

「ちょっと、何ため息吐いてんの?」

「え?」


 突然、頭の上から声が聞こえた。

 俺は驚いた瞬時に顔を上げたのだが……その瞬間、とてつもなく柔らかな物に顔が埋まった……なんだこれ。


「人の胸に顔を突っ込むだなんて大胆だね好井」

「……ふぁ!?」


 サッと、俺は距離を取った。

 いつの間にか俺の正面に立ち、机に手を置くようにして身を乗り出す姿勢に能登がなっていた……ということは確かに、俺がさっき感じた弾力は彼女の胸だったらしい。


「ご、ごめん……」


 今のはラッキースケベ……というか俺は悪くないよな……?

 でもこういうことは先に謝っておいた方が良い……少なくとも、あっちの世界と違ってこっちであんなのをやらかしたら大変なんだから。

 ……しかし、能登は決して怒ったりはしなかった。

 むしろ彼女は何故俺がここまで謝るのか分かっていないような……?


「今のはあたしがこうしたらこうなるかなって思ってやっただけよ? だからその通りになっちゃって逆に面白かったというか、好井は何も謝る必要ないでしょ」

「でも……胸に顔を突っ込んだんだぞ?」

「……確かにおかしいか……う~ん、ごめんそうだよね。相手が好井だから全然嫌じゃなかったというか」


 これは……この反応はまるで水瀬を彷彿とさせるものだった。

 胸に顔を突っ込んで嫌じゃなかった……いやいや、そんなことがあるわけが……あぁもう分かんねえよマジで!

 ちなみに今のやり取りがそこそこ見られていることは分かっている。

 胸に顔を突っ込んだ時点でおそらく俺が罵倒されることを期待していた一部の男子たちだが、能登の反応に目を丸くしているのも見えた。


(なんだか冷静に分析出来てやがる……ま、まあ確かにブラの上から触るのとは違うもんな! 違う……ってそれもちがあああう!)


 情緒が……俺の情緒が迷子になっちゃう。


「ちょっと、ほんとに何かあったの?」

「……仲良すぎじゃない思った以上に」

「そう? 普通じゃない? だってあたしと好井だよ?」

「……そう?」

「……ふ~ん?」


 能登の友人二人は何が何だか分からない様子だが、能登自身がそう言っているので納得はしたらしい。

 まだ朝礼が始まるまで時間はあるということで、能登は自分の椅子を俺の隣にくっ付けるようにして座った。


「えっと……?」

「朝礼まで暇だし、何か話でもどう?」

「……おう」


 これ……もしかして何らかの形であっちの世界から引き継がれてる?

 色々と考えたいところだが、そこで心臓がキュッとなるような視線を俺は感じた……水瀬だ。

 友人と話しているはずの水瀬がジッとこちらを見ている……外で見た仄暗い瞳がやはり怖い。


「どうしたの?」

「いや……何でもない」


 一旦水瀬のことは置いておこう。

 これは……もしかしたら何か分かるかもしれないと思い、俺はこの際に色々と能登に聞いてみようと考えた。


「なあ能登……昨日は何してた?」

「昨日? 昨日は普通に学校だったでしょ?」

「そう……だよな。俺と会った?」

「会ったじゃん。というか同じクラスだし」

「そう……だよな」


 ダメだ……俺が何かを言う度に能登が呆れたような視線を向けてくる。

 だが決して俺の問いかけを面倒だと思っているような様子はなく、それどころかすぐに優しい視線を投げかけてくるんだ。


「いきなりこんな問いかけをしておかしいと思わないのか……?」

「う~ん……確かに少し思うけど、好井の場合はその問いかけに意味がないと思えないんだよね。他の男子と違って信頼出来るというか……とにかくあたしは好井のことを悪くは思わないよ」

「……………」

「あ、顔赤くしてやんの♪」


 そんなの誰だってこうなるだろうがよ!

 なあ能登……そんな雰囲気出されたら俺、勘違いしちまうぞ!? これは行けると思って行っちまうど!?

 けどあまりにもいきなりすぎるから怪しくはないにしても怖いのよ!


「ねえ好井」

「なに……っ!?」

「もし何か悩みとかあったら相談してほしい。あたし、アンタの力になってあげるから……ね?」

「お、おう……」


 水瀬も浮かべていた不気味な瞳……能登からもそれを向けられ、俺はある意味生きた心地がしないほどドキッとしてしまった。


▼▽


 放課後になり、俺は改めて色々と考えていた。

 結局、あの後……正確には学校に居た間は水瀬や能登と結構な回数喋った気がする。

 特に昼休みに関しては奏人たちと昼食を済ませた後、授業が始まるまで水瀬と能登が傍に居たんだ……あの二人、凄く気が合っていたというか物凄く仲が良かった。


「……こんなに一気に変わるのか? いや……まだ分からん」


 取り敢えず……まだまだ調べなければならないことがあるようだ。


「何してんすか? せ~んぱい♪」

「っ!?」


 考え事をしていた俺だったが、突然目隠しをされてしまう。

 ビックリして思いっきり肩を揺らしてしまったものの、知った声だったからすぐに落ち着きを取り戻す。


「……有芽ちゃん?」


 そう答えた瞬間、目の覆っていた手が外された。

 振り向くとにししと笑みを浮かべる背の高い女の子が居た――彼女は村上有芽、奏人の妹だ。



【あとがき】


正直なことを言えば、完全に逆転させた物……そもそも全部に渡って貞操逆転世界の方が絶対書きやすいのは分かってるんですけど。

別に趣味というわけではないですが、一旦書きたいと思ったものを貫かせていただければと思います。

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