表の水瀬に詰められ逃げられず

「……おっぱい」


 朝、目覚めての一声がこれだ。

 昨日……俺は二人に触ってほしいと言われ、水瀬と能登の胸を触ってしまった……触るを通り越して軽く揉んだような気もするが、改めてあんなことをしても逆に喜ばれるという逆転世界の仕組みを思い知った気分だ。


「くっそ……忘れられねえぞこれ……というかクセになりそうな感覚なのがヤバいかも」


 あの膨らみ……高校生離れしたあの肉体に触れるだけでも奇跡に近いのに、あの胸に触れるなんてマジでどんな良いことをしたらあんなことになるんだよ……いまだに分からん。


「……おっと」


 早朝且つエッチなことを想像したことで、朝の生理現象がとんでもないことになっていた……ふぅ、落ち着かないと。


「落ち着いたら落ち着いたで思い出す物もあるな」


 それは昨日、帰った時の母さんが凄かった。

 おかえりと言ってくれた声音と表情は優しかったのに、少し俺に近付いた瞬間に切り替わった表情はあまりにも怖かった。


『臭うわね……これは』


 あれはもうほんとに怖かった……けど、俺だから仕方ないと言って笑みを浮かべてくれたけどそれさえも怖かったんだ。

 ただ、幸いにも今日になって母さんはいつも通りだった。


「おはよう蓮」

「……おはよう」


 そう……つまり元の世界に戻っているというわけだ。

 このことに安心したのも束の間、であれば俺には確かめないといけないことがたくさんある。

 まず、水瀬と伊藤の関係はどうなったのか……そして水瀬と能登はあんな風になったことで何かしら俺とあるのか、後はそうだな……以前に切り替わったのは水瀬の胸を掴んだ時……あ、それを考えたら一気に怖くなったかもしれん。


(結局、水瀬の胸を掴んだ瞬間だったから……うぅ、学校行きたくねえ)


 しかし、それでもやはり確かめないといけない。

 だがそれは早々に確かめられることとなる――何故なら家を出てある程度歩いたところで、一人で歩く水瀬を見つけたからだ。


「一人……?」


 別れたから……一人なんだよな?

 でもそれってこっちでも引き継がれていることなのか……? どこからどこまで引き継がれリセットされるのか、それを完全に把握していないので全然分からん。


「……それで、どうしよ?」


 どう確かめる……ただ話しかければ良い?

 どうしようかと悩んでいたその時、水瀬がスッとこちらに振り返ったではないか。

 彼女の視線に見つめられ、ドクンと心臓が跳ねる。

 水瀬は特に恥ずかしそうな素振りも、或いは軽蔑の眼差しを向けることもなく普通に手を振ってきた。


「えっと……」


 手を振り、クスッと微笑む彼女は俺を待っているようにも見え……俺は困惑しながらも彼女に近付いた。


「おはよう好井君」

「……おっす水瀬」

「……もしかして昨日のこと気にしてる? あれは事故だし、むしろ好井君は私を助けようとしてくれたんだもん、だから本当に気にしないで」

「あ、はい」


 なんだよちゃんと引き継がれてんじゃねえか!

 ただ俺がその後に胸を揉んだことや、能登と一緒に触らせようとしたことは覚えてないっぽい……?


(あ~……ごっちゃになりそうで嫌になるぜ)


 けど、胸を触ってしまってそう言ってくれるとか水瀬は女神か?

 逆転世界での印象が強すぎるのもあるけど、この温度感は風邪を引くどころの騒ぎじゃねえぞ……はぁ、まだ一日が始まったばかりなのに疲れがドッと出てきた。


「……ところでさ」

「なに?」

「伊藤は……?」

「別れたの」

「……そうなんだ」


 あれ……あっさりと答えられちまった。

 けどこっちでの別れた理由ってどんな風になったんだろうか……あっちだと俺という存在が異質すぎて伊藤に拘る必要がなくなったことは分かってる……でもこっちはラブラブだったもんな?


「あんなに仲良かったのに……どうして?」

「伊藤君さ……私の他に付き合ってる人が居たんだよ」

「……………」


 ……ってこっちの伊藤もそうだったのかよ!?


「困ってる人を見たら放っておけないんだって。だから私と付き合っている中、他校のその子とも付き合ってたみたい」

「それは……」

「凄いよねぇ、私ったら全然気付けなかったんだもん。どうしてそれに気付けたのか……? よく分かってないけど、とにかくそういうことがあったんだよ」

「そうか……災難だったな?」

「災難……う~ん、そうでもないかな?」

「え?」


 そうでもないと言った水瀬の表情は晴れやかで、どういうことなんだと俺は気になる。

 気になるかなと言われたので頷くと、水瀬は立ち止まり俺をジッと見上げたまま言葉を続けた。


「自分でも良く分かってないんだけど……ただどうでも良かったの。伊藤君と付き合ってた時は楽しかった……それは確かなのに、私は何故か二股のことを知った時これ幸いだと思った――伊藤君と別れる口実が出来たって嬉しかった」

「えっと……それはなんで?」

「言ったでしょ? 自分でも分からない……でもこれで良いんだって思ったんだよ。これが正しい形……私が望んだ形なんだってなったから」


 ……水瀬が何を言いたいのか、イマイチよく分からない。

 まあ彼女自身が何を言いたいのか分からないって言ってたのもあるけどこんな風に言えるのか?

 彼女にとって浮気された事実は……悲しくないのか?


「悲しいんじゃないかって思ってる?」

「……まあな。傍目から見ててもあんなに仲良かっただろ? それなのにあまりに水瀬がスッキリした顔してるから」


 こんなことを俺が言えた立場ではないが、おそらく俺以外の誰もがこう思うはずだ。


「本当に大丈夫なんだけどなぁ……あ、なら一つ言わせてほしい」

「なんだ?」

「私……なんでこんなにあなたのことが気になるんだろうって、今ずっとそう思ってる」

「……うん?」


 今、水瀬はなんて言った?

 彼女から伝えられた言葉がにわかには信じられず、ついジッと水瀬の顔を見つめてしまった。

 俺が気になる……そう言ったのか?


「自分でも分からないの――どうして私はこんなに今、あなたを見てドキドキしているのか……どうしてこんなにも、気持ちが抑えきれないのか分からない」

「あ、あの……?」


 一歩、水瀬がこちらに踏み出す……俺は一歩退く。

 再び水瀬一歩踏み出す……俺は再び一歩退き、背中を壁にぶつけた。


「ねえ好井君……一昨日、あなたの手が私の胸に触れた時……たぶんあそこから私はあなたのことが気になってる。気になって仕方ない……私たちはそんなに話したこともないし一緒に遊んだことさえない……けれど私の心があなたしか見えていない」

「っ……水瀬さん?」


 仄暗く染まった瞳が怖い……けれど、それさえも水瀬の魅力に思えてならないのは俺がどうしようもなく、彼女のことを美人だと……あっちの水瀬とのやり取りに嬉しさを感じているからだろうか。

 困惑よりもあのエッチな誘惑に心が揺れ動く……どこまでも俺は一人の男ってことなんだと自覚した。


「でもこの感覚はおかしいって分かってるよ? だっていきなりすぎるから……だから確かめたい――ねえ好井君、良かったらこれからあなたとの時間を増やしたいの」

「えっと……つまり?」

「これからはただのクラスメイトじゃなく、親しい友達になろ? 一緒にお出掛けしたり、一緒にお弁当を食べたりしよ?」


 圧が……とてつもない圧を感じる!?

 結局、そこまで言われて断れるわけもなかった……もちろんドキッとしたし嬉しくもあったけど、どう考えても普通ではないからこそどうすれば良いのか分からなかったのもある。


「……えへへっ♪」


 けど……やっぱり水瀬は可愛い……可愛すぎた。

 こうして、俺はこっちでも水瀬と親しくなることに……ただ俺はこの急展開のせいで忘れていたのだ。

 もう一人、水瀬と同じようにあっちで仲良くなりすぎた相手が居ることを。

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