エッチな揶揄い方

 水瀬、そして能登とのやり取りがあった翌日だ。

 色々と整理しなくてはならないこと、そしてこれから先どうなるんだろうという不安はあったが……流石俺はまだ高校生ということで、そんな悩みがあっても昨晩はぐっすりだった。

 朝に見た母さんの様子から今日はまだ逆転した世界……裏のままであることも分かっているので、昨日のことがそのまま引き継がれていると考えれば憂鬱なのも分かるだろ?


「……はぁ」


 水瀬が伊藤と別れた……けれど伊藤はそれを何とも思っておらず、むしろ清々したような様子だった。

 あれが表になった時どういう風になるのか気になって仕方ないのだが、それはまだお預けってことだ。


「能登は……まあ、そんなに変わらないのかな?」


 ……ああもう! 深く考えるのは止めだ。

 何が変わっても、どうなったとしても今まで通りに過ごすしかないしそもそも俺の境遇がどうにかなっちまってるんだからさ。


「おはよう好井君」

「……えっ」


 ……え?

 ギギギッと、まるで壊れた人形かのように振り向く――そこに居たのは今しがた考えていた女の子の一人、水瀬だった。


「……おはよう水瀬……いつから居たの?」

「歩いてたら好井君が居たの。それで追いかけてきたんだけど……もしかして迷惑だった?」

「あぁいやいや、そんなことはない!」


 そうだったのか……突然のことで驚いたのは確かだけど、俺は決して嫌だとかそんなことはなかった。

 それに不安そうな顔を見せられたら、勢いよく否定もしてしまうってもんだし。


「そう……良かったぁ」

「……………」

「……えへへっ♪」


 か、可愛い……じゃなくて!

 水瀬は可愛い笑みを浮かべるだけでなく、ぴょんとジャンプしながら俺の方へ距離を詰める。

 トンと、体が触れるだけでなく良い香りも漂ってきて……それは昨日のやり取りをフラッシュバックさせた。


「昨日のこと……夢じゃなかったんだね」

「夢じゃ……ないな」

「うん……私は昨日、帰ってからずっと好井君のことを考えてた。こんな男性が居るのかなって色々調べてみたけどやっぱり居なくて……まあ優しい人っていうのは居るんだけど、好井君みたいな人は居なかった」

「そ、そっか」

「……えい!」

「っ!?」


 急展開に気が抜けていた俺に水瀬が抱き着く。


「やっぱり振り払わない……あぁ……好井君♡」


 こ、これは……俺は一体どうすれば良いんだ!?


『いやいや、いくら貞操逆転の世界とはいえお前は女が嫌いじゃないんだろう? だったら抱いてしまえば良いんじゃね? というかお前からしたらある意味で最高の世界じゃないのか?』

『ダメですよ! いくら女性の方が性に開放的で、その中の異端者であるとしても状況が良く分からないままに好き勝手するのは! もっと色々と考えてから行動するべきです!』


 俺の中で天使と悪魔が喧嘩をしてやがる。

 確かに……確かに今の世界だと感覚が普通の俺からすれば、素晴らしい体験を色々とすることは可能だと思う。

 だがしかし! だからと言って普通の感覚があるからこそその道に進めないというか……つうかまだまだ分からないことが多いのに、そんなことが出来るわけないだろう!


「……水瀬」


 俺は己を律するように、水瀬の肩に手を置いて離れてもらう。

 水瀬はそんな俺に首を傾げるでもなく、酷いことを口にするでもなく、ただただ期待をその瞳に乗せて見つめてくるだけだ。


「なんで……こんなことを?」

「そんなの決まってるよ。私が好井君のことを気にしてるから……後はその……体がこの人を離しちゃダメだって求めてるの」

「なにそれ……」


 求めてるって……求めてるですって奥さん!

 流石に……流石にどんな状況であっても言われて嬉しくない言葉なわけがないのもあって、俺は分かりやすく顔を赤くしてしまい、水瀬はそんな俺を見てペロッと舌で唇を舐めた……のだが、すぐにハッとするように表情を変えた。


「ご、ごめんなさい……私、あまりにもテンション上がりすぎちゃって自分のことしか考えてなかったよ」

「あ、はい」

「……こんなことじゃダメ。自分の気持ちを優先して好井君の迷惑を考えないのはダメだもんね!」

「お、おう」


 グッと握り拳を作り、水瀬は気合を入れていた。

 ……くそっ、何をしても絵になる可愛さじゃねえかよ……この世界が漫画かアニメの世界なら間違いなく水瀬はヒロインクラス間違いなしだ。

 なんてそんなアホなことを考えてしまうくらい、現状に俺も慌てているわけで。


「取り敢えず途中まで一緒に行くか?」

「良いの!?」

「……うん」

「やった!」


 ……そんなに嬉しいのか。

 俺には彼女に対する悪意なんてない……でも、悪意を持って近付いた男が少しでも優しさを見せたら、この世界の女性って簡単にコロッと行ってしまうのだとしたらマジで気を付けた方が良いぞ。

 それから奇妙なことに、水瀬と一緒に登校することになった。

 俺としてはやっぱり水瀬という女の子は縁がないほどに美人……更に今のおかしな世界だからこそ会話は弾まないと思っていたのだが、人当たりの良い水瀬のおかげで言葉は黙り込むようなことはなかった。


「うん、やっぱり好井君だからかな。私は……こんな風に男の子と喋れるような性格じゃないはずなんだけど、不思議なくらい喋れるの」


 いや、元の世界の水瀬はこうだったぞ……なんて言えるわけもない。


「……なあ水瀬、俺の方こそ聞いても良いか?」

「良いよ。好井君にならなんだって教えてあげる」

「……伊藤のことなんだけどさ」

「うん」

「実は……」


 能登が傍に居たことは伏せ、伊藤が言っていたことを伝えた。

 伊藤が言っていたように水瀬から別れを切り出したことも教えてもらったのだが、その後に続いたのは元の世界で聞いたある話を俺に思い出させてくれた。


「伊藤君は……私以外の女の子が居るから。他校の人だと思うけど」

「……………」


 奏人が言っていた話……俺はそれを思い出したんだ。

 以前街中で伊藤が水瀬ではない別の女性と歩いていた話……けどこれはどこまでリンクしているんだ?

 こっちも浮気であっちも浮気……なのかな?

 まだ完全に状況を把握出来ていないので滅多なことは言えないが、少なくともこの世界の伊藤は水瀬に対して金銭の要求だけでなく軽い暴力も振るっていたらしい……つまりクズってことだ。


「良く付き合ってたな?」

「……男の子と付き合えるってそれだけでステータスみたいな部分があるからね。それに、いつかは優しくしてくれるんじゃないかって夢を見ていた部分もあるよ」

「ふ~ん……」


 いや、流石に軽めとはいえ暴力振るわれた時点で別れることをおススメするけど……でもそうか――これもまたこの世界の歪みであり、何もおかしくはない形ってわけだ。


(しっかし……こうなってくると元の伊藤がどうなのかって凄く気になってくるぞ。元の世界だと二人の仲は良さそうだし……あぁくそ、とにもかくにもどこかで早く元に戻ってくれ!)


 そうこうしてると、再び水瀬から熱い視線を感じる。

 結局……こういう視線を向けられても思うことは、この世界だからこそ俺みたいな人間に水瀬は勘違いをしているんだ。


「……水瀬」

「なに?」

「俺は……確かに他の男に比べたら違うかもしれん。けどこれはただおかしいだけで、水瀬の勘違いみたいなもんだ。だから――」

「だからって気にしない理由にはならないよね? 私、本当にあなたのことが気になってるんだから」


 真っ直ぐすぎる……あまりにも真っ直ぐすぎる!

 だがそれでも……そう言葉を続けようとして水瀬に視線を向けた時、彼女は胸元に指を当て……谷間を見せ付けていた。


「っ!? な、何してんの!?」

「ふふっ♪ やっぱり照れてくれるんだぁ♪」


 改めて、俺は思った。

 昨日も今日も、この水瀬の仕草は嬉しそうな反面……どこか未知の生物に対する好奇心のようなものも感じさせる。

 いやいや、俺が未知の生物かよって言いたくなるけど……どこまで行ってもこの世界の男に俺みたいな奴は稀有なんだ……それこそ、居ないんじゃないかってくらいに。


『女に興奮なんてしない』

『女なんて必要じゃない』

『女に襲われるから怖い』


 決して全部が全部というわけじゃないけど、目立つその声を知っているだけに俺はやっぱり……異質な存在だ。


(でも……あっちの水瀬の喋り方に近付いたのもそうだけど、もしかして普段の水瀬ってこんな風にエッチな揶揄いをしてるのか……? はっ、伊藤の奴うらやまけしからん奴だな)


 ちょっとだけ……本当にちょっとだけ、今の状況を考えて伊藤にざまあみろと思った俺は最低だぜ……。

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