ユガミ
「ふふっ、気持ち良い?」
「……うん」
なんで……なんでこんなことになったんだろうか。
俺は今、風呂に入っている……なのにどうして母さんの声が聞こえるというのか……答えは簡単で、母さんが背中を流してくれているからだ。
『背中、流してあげるわね……拒否、しないでちょうだい』
ここまで言われたら……というか、ジッと見つめてくる母さんがあまりに怖くて頷く他なかった。
鼻歌を口ずさみながら優しく背中を流してくれる母さん。
ぶっちゃけ、血の繋がりがある母さんにドキッとすることはないけど、母さんの見た目は結構若く見える。
(そういや、職場で食事に誘われたりとか……それこそ再婚はどうかって結構提案されるんだっけか)
今の生活を変えるつもりはなく、そして父さんを心から愛していた母さんだからこそ頷かなかったことも知っている。
……けど、こんな母さんも今の世界では煙たがられてるのかな……そう思うと心が痛い。
「母さん、職場では……その……大丈夫?」
「大丈夫よ。どんなに酷いことを言われても響かないもの――だって私には家に帰ればあなたが、蓮が居てくれるから」
そんなの酷いことを言われてるって自白したようなものですやん。
肩に置かれた手に俺は自分の手を重ねる……ビクッとしていた母さんはもうそんなことはなく、逆に俺の手に自身の手を優しく重ねた。
「私……幸せだわ。自分の息子がこんなに優しくて、こんなにも素敵に育ってくれたんだもの――あの人に似てるわ」
父さんに似てる……その言葉にはたくさんの想いが乗っているようにも感じた。
その後、母さんは満足した様子で出ていく……ことはなく、一緒に入ろうと裸になったので流石に俺の方から撤退した。
「……背中を流してもらう時点でおかしいけど、この歳で母親と一緒に入るのは色んな意味で嫌だよ」
誤解がないように言えば、嫌というのは羞恥心があるからだ。
親と一緒に風呂に入るのはもう卒業したし、何より今の母さんを相手すると本当に調子が狂ってしまう。
でも……どっちも母さんも楽しそうにしてくれるなら息子としては嬉しいものなので、仕事先で嫌なことがあっても俺が話をするだけでこうなら続けられる。
その後、本当に機嫌の良い母さんと共に夕飯を済ませた。
果たして明日はどっちだろうか……なんてことを考えつつ、夕飯の時に見ていた番組のことを思い返す。
「……………」
ただのバラエティ番組だった……でも、その番組に出ていた若手アイドルの扱い方が本当に酷かったんだ。
俺と同じ十七歳のアイドルで、グラビアの表紙も飾るほどの人気アイドルだったはずなのに……こっちの世界だと心が壊されてもおかしくないほどの扱いを受けていた。
「この世界……マジで終わってるわ」
スマホを手に取りSNSを起動する。
俺が見たのはそのアイドルのアカウントで……健気な呟きに集まる言葉には残酷な物が多い。
「……頑張ってください、応援していますよっと」
探せばいくつかは励ましの言葉が見つかるだろう。
それでも俺は書き込んだ――この罵声だらけの言葉の中に、このアイドルに対する励ましを。
「……これもまた、世界が変わった時に最適化されるんだから……本当に狂ってやがる」
誰でも良い……俺はこうなんだ。
みんなが変化しているんだ……俺だけが知っているんだと打ち明け、その悩みを信じて寄り添ってくれる人が欲しい。
でもこれって、どっちの世界でも悩みになるから……たぶん、誰に話してもなんだこいつで終わるんだろうなって……はぁ。
「……寝るか」
何だかんだ、考えすぎてもう0時になろうとしている。
布団に包まって寝るために目を閉じた時、カチッと頭の中で切り替わるような音がした。
▼▽
「おはよう母さん」
「あら、おはよう蓮……って随分眠たそうね?」
「いや……ちゃんと寝たつもりだけどね」
翌日、母さんはいつも通りだった。
昨日のことなんて何一つ覚えてなさそうな母さんの様子に、俺は安心すると同時にこれなんだよなとため息を吐く。
「ちょっと、なんで私の顔を見てため息を吐くの?」
「……いやぁ、何でもないよ」
「本当に……? もしかして熱があったりする?」
母さんはすぐに濡れていた手をタオルで拭き、傍に近付いて俺の額に手を当てた。
「熱は……ないわね」
「ないよ。だから本当に大丈夫だって」
「そう……?」
「どうしたの?」
「いえ……何かしらね。何でもないわ」
今度は母さんの方が首を傾げちゃったよ。
それでも母さんの変化は一瞬だったので、俺は何も気にせず用意してもらった朝食を平らげた。
「行ってきま~す」
「いってらっしゃい」
家を出てすぐ、俺は空に手を伸ばすようにしてリラックスする。
やっぱり俺だけがこの異様な今を気にしまくってるわけだけど、こうして普通の世界になったのならそれはそれで安心する。
元に戻った日常にこれでもかと安心感を抱きながら、学校に着いていつものように机へと突っ伏す。
「おはよう」
「……………」
「ちょっと、おはようって言って無視はどうなの?」
「……………」
「あははっ! ねえ亜美、アンタ嫌われてんじゃないの?」
「そりゃ好き勝手にぶつかったりしてるから当然じゃない?」
「……気が向いたから挨拶してあげたのに生意気こいつ」
近くでされる能登たちの会話……なんだなんだ?
騒がしくされるのはごめんだけど、こういうクラスでも目立つ連中に目を付けられたら平穏な日常はオサラバだぜ?
というか派手な連中でも美少女揃いだし、無視をされるなんてよっぽど興味ないか迷惑に思ってるかだろうけど……誰だ?
「……?」
「……無視、してんじゃないっての」
騒ぎの発端を確かめるべく、顔を上げたらこれでもかと俺を見つめる能登と目が合う。
……おや? もしかして彼女が声を掛けていたのって俺?
能登だけでなく他の女子二人もこっちを見ているので、どうやら挨拶をされていたのは俺らしい。
「……ごめん、まさか俺が声を掛けられるとは思わなくてさ」
「はぁ? 挨拶くらい普通でしょ、舐めてんの?」
「……………」
あぁ……この強い口調が好きってわけじゃないけど、元の世界だって安心するのがもう重症かもしれない。
「ほんとに声を掛けられるとは思わなくてさ」
「……それってあたしがアンタに声を掛けづらいとかじゃなくて、アンタみたいなのが声を掛けられるわけがないってこと?」
「そう」
「……言ってて悲しくならない?」
「……ちょっとなるかも」
何それと、能登は呆れたような目線に変わった。
これさ……もしも君は昨日、男性警官にストーカーの罪で連れて行かれそうになったんだって、そう言ったらどうなるんだろうか。
「アンタたち、そんなに話したことなかったよね?」
「にしては気が合ってない?」
「気が合ってる……? これが?」
まあ今まで碌に会話をしたことはなかったもんな……けどこの程度で気が合ってるは言い過ぎだ。
(やっぱり……少し安心するなこっちだと)
ちなみに、こうして能登と話しているのを快く思わないような男子が居たのも確かで、これもまた元の世界ならではだった。
▼▽
「美味しい……本当に美味しいよ流歌」
「うん。ありがとう真治君」
蓮がこの世界の異質さに気付いたとはいえ、世界は何事もなく進む。
彼の悩みなんて些細なものだと言わんばかりに、クラス内でも有名な美男美女の二人――水瀬と伊藤は楽しそうに昼食を食べていた。
「……………」
だが、水瀬は少しばかりの違和感を抱いている。
彼にお弁当を食べてもらっているのは嬉しいことなのに……どこか物足りないと感じてしまっているのだ。
美味しいと言ってもらえること、笑顔で見つめられること……そのどれもが嬉しくて幸せなはずなのに、何故こうも満足出来ないのだろうか。
『彼は優しい……傷付いた私に声を掛けてくれた……あんなに優しい人を私は知らない……私の運命の人』
自分の声で、自分ではないような声が脳裏に響く。
不思議なことに不気味ではなく、むしろその心地良い声に身を委ねたくなるほどで……水瀬はしばらく伊藤の顔を眺めながら、この不思議な感覚のことを考えるのだった。
「流歌……ちょっと目が怖かったけど?」
「え? どうして?」
「いや……」
「変な真治君」
【あとがき】
貞操逆転って……やっぱりエッチなのが見所だと思うんですよ。
エッチにヤンデレに、濃厚に濃密に、ずっぽりどっぷりハマれる内容を提供できればと思います。
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