嫌がらせ

 その時、店の方から怒鳴る声とドタンバタンという大きな音が聞こえてきた。急いで向かうと、店は酷い有様だった。店の前に生ごみが散乱し、半分閉めてあった表戸がバキバキに壊れている。生ごみが酷い臭いをさせている。

「これは、どうしたんだ」

 そこで箒を持って立ち尽くしている姉を、清三郎が問い詰める。

「あの人たちが急に……」

 あの人たちと言われた二人は、清三郎の姿を見ると「お前が遅れるからだ」と吐き捨てて走り去っていった。

 雪平なら十分追いつける。私はそう思って高をくくっていた。けれど、雪平は追いかける気配がない。

「ねぇ、追いかけないと」

「あぁ、すぐ行くさ。それにしても酷いなぁ」

「そんな事よりも早く行かないと、見失っちゃう」

「そうだな。そろそろ行くか」

 そう言うと、雪平はやっと走りだした。何を考えているのかと思ったが、この人の行動に意味がなかった事が無いので、私は納得いかないまでも雪平を追っていく。

 男たちは河岸沿いの松の林に入っていった。私たちは十分に距離を取って、見つからないように後を付けている。

 どうやら雪平は、絶対に奴らに見つからないようにするために遅れて出発したらしい。

 奴らは膝に手をついて息を整える。私はそこへ飛び出していこうとしたが、雪平に止められる。

「ちょっと待って」

「でも、逃げられちゃう」

「誰かいる」

 雪平の言う通り、腰に刀を差した中年の武士が二人に接触した。

 雪平は声を聞くために少し距離を詰める。

「守備はどうだ?」

「へい。ちゃんと嫌がらせしてきやしたぜ。連中、今頃くっさい生ごみの掃除で大変ですよ」

「そうか。そいつはいいな。うちの恩恵を受けておきながら約束の物を寄こさないなんて、無礼千万だ。これからも物が届くまで相応の報いを受けてもらわなければな」

 どうも、賄賂の相手方の武家のようである。

「武家が相手じゃどうしようもないわ。下手をしたら斬られちゃうもの」

 そう言った私の頭を撫でて、雪平は連中の前へ出ていく。

「なんだお前は」

 言ったそばから、武士は刀の鯉口を切る。この人はもう少し、自分を大事にするという事を覚えた方がいいと思う。

「おかしら屋の使いの者ですよ。あれはないんじゃないですか? こっちは賄賂まで渡しているというのに」

「ふん。その金の置物が届いておらんのだ。何をされても仕方あるまい」

 武士は刀を構えたまま話す。

「問題が起きたんですよ。解決したらすぐにでも届けます」

「知らんな。こちらは届くまで抗議を続けるのみだ」

「まいったなぁ」

 雪平は頭を掻く。

「このままではお役人に届けなくてはならなくなる。僕はこうして、嫌がらせをした人物ととある武士の繋がりも知ってしまった訳ですから、それも伝えない訳にはいきませんねぇ」

「そんな事をして、困るのはそちらも同じだろう。賄賂で繋がっているのだからな」

「こちらは脅されたと言えばいい。困るのはあなた方だけだ」

 二人はしばらく睨みあっていたが、そのうち武士の方が「ちっ」と舌打ちして背を向けた。

「後を付けられやがって、お前たちのせいだぞ」

「す、すいやせん」

 逃げ帰っていく三人の姿を見送りながら、今回ばかりはと私は雪平に説教をする。

「あなたはなんでそうなの? もっとやり方があるでしょう。危ない事はしないで」

「わ、悪かったよ、おさくちゃん。でもさ、この方が早いから」

「遅い早いの問題ではないわ。命がかかっているのよ?」

「おさくちゃんの事は守るつもりだったさ」

「私の事じゃないの! あなたが危なかったと言っているのよ。どうして自分の事になると大事にできなくなるの?」

「今までそうして生きてきたからなぁ。これからは気を付けるよ」

 雪平は本気かどうか分からない返事をして、さっさと歩きだしてしまった。


 私たちが戻ると、店の前で姉が清三郎に叱られているところだった。

「お前がいたというのに、どうしてここまでやられてしまったんだ。止めようと思えば止められたはずだろう。店なんかどうなっても良かったという事か」

「そんな言い方はないんじゃないですかねぇ。若い娘さんには暴れる男の対処なんて荷が重いですよ」

 そう庇うのは蔵之介だ。

 姉は「すみません」と静かに頭を下げる。

 ここの人たちは、何かあると姉を罵倒するようになっているらしい。

「清三郎さん。奴らはもう来ませんよ」

 雪平がそう声をかけると、清三郎は安堵の息を吐いた。

「そうか。しかし、戸が壊れてしまってはなぁ……」

「いやぁ、これくらいで済んで良かったですよ。なんせ奴らは……」

 雪平が耳打ちすると、見る見るうちに清三郎の顔が青くなっていく。それから「ちょっと用事がある」と言って奥に引っ込んでしまった。

 私は何となく掃除を手伝う事にした。瓦礫となってしまった表戸を片付けていると、姉が箒を地面に叩きつけて怒鳴る。

「惨めだと思っているんでしょう! 本当は馬鹿にしているくせに! 何よ、何しに来たのよ! 調査なんて頼んでないわよ!」

 姉は泣いていた。

 その姿にも言葉にも私は頭に来てしまって、張り上げる声が止められなかった。

「馬鹿になんてしてないって言ってるでしょう! 人の話を聞きなさいよ!」

 姉は私の初めての反抗に目を丸くしていた。けれど止まらない私は続ける。

「そうやってすぐに他人に八つ当たりするのやめなさいよね! 私はあんたの玩具じゃないんだから! いつまでも黙ってると思ったら大間違いよ!」

「何よ、その言い方!」

 取っ組み合いの喧嘩になるところを、何とか雪平と蔵之介に止められた。

 今までやられっぱなしだった私の、私たちの初めての喧嘩だった。


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