証言

 清三郎は奉公人たちの部屋のある二階に来ると「あとは好きにやってくれ」と言ってまた階段を下りて行ってしまった。

 奉公人たちは女性が多く、そのほとんどがこの二階で本を読んだりだらだらと休みを過ごしているらしかった。

 梯子段のある部屋を入れると、部屋は全部で六つ。雪平はその中で、梯子段の部屋の右隣にある部屋で出掛け支度をしている女に声をかけた。その女は姉に水をかけた女だ。

「ちょっといいかな」

「なによ。私、今から出掛けるんだけど」

 女は口を尖らせてこちらを睨む。

「すぐ終わるよ。ここしばらくで何か変わった事はなかったかな?」

「変わった事ねぇ」

「何でもいいんだ。物の場所が違ったくらいの話でもいい」

 女は紅を差しながら「あるわよ」と言った。

 女に手招きされ、私たちは顔を寄せる。

「あの店主、賄賂をおくっているのよ。もうずっと前からよ。気が弱いから断れなかったのか、ずるい人だからすすんでやっているのか分からないけれど」

「相手は誰だい?」

「そんな事は知らないわ。ただね、今回無くなった金の置物も、その賄賂にするために作った物なんですって。やってられないわよね。お給金は低い癖に。やめちゃおうかしら」

「ありがとう」

「助かったかしら? それなら私と出掛けない?」

「いや、僕はこの子の夫だからね。他の女性とは出掛けられないよ」

「まぁ、あなたなら選び放題だったでしょうに」

 確かに雪平は色男だが、こう面と向かって言われると落ち込んでしまう。

「俺はこの子が好きなんだ」

「へぇ、変わった人ね。まぁ、いいわ。私は出掛けるから。またね」

 またなんてないぞと内心では強い事を言ってみる。それもこれも、雪平の一言が私を天まで昇らせたからである。おかげで女の嫌味なんてまるで耳に入らない。


 次はその隣の、表通りに面した部屋で談笑している三人の女たちだ。この女たちも、姉を囲んでいた女たちである。だからどうという事はないが。

「ちょっと聞きたい事があるんだけれど、いいかな?」

 雪平がそう声をかけると、女たちは「あら、いい男」とか「一緒にご飯でもどう?」とか「私が誘うのよ」などと好き勝手に言っている。

「私の夫なのよ。遠慮してちょうだい」

 私が睨みつけると、女たちは途端につまらなそうな顔をして興味をなくす。

「他人の男に興味はないわ」

「そう? 略奪ってのも燃えるじゃない」

「あんたはそんなだから問題ばっかり起きるのよ。この前も味噌屋の女に怒鳴られていたじゃない。懲りないわねぇ」

「楽しいんだから仕方がないでしょう」

 女たちは始終喋り通しで、こちらが話を挟む隙がない。

「ちょ、ちょっと待って。聞きたい事があるのだけれど」

「あら、そう言っていたわね」

「確かにそうだったわ。それで、何なの?」

「それより誰なの、あなた?」

「僕は謎解き屋の雪平。金の置物が無くなった件について調べに来たんだ」

 雪平がそう答えると、明らかに三人の顔色が変わった。ウッと引いた感じというか、眉間に皺を寄せている。そして目を見合わせて頷きあうと、ひそひそと話し出す。

「私、見ちゃったのよ。あの子が用もないのに店土間をうろついているのを」

 一人目の女はさも大事な証拠であるかのように、鼻息荒く話した。

「あの子っていうのは、おくのさん?」

「そうよ。あの子ってばいつも一人でいて、やる必要もないのに休みの日にまで掃除なんかしたりして、媚び売っちゃって嫌な奴なのよ」

 二人目の女は口をへの字に曲げて文句を垂れる。

 ちなみに、この二人目の女が姉にゴミをぶちまけた張本人である。だからといって何かやり返してやるほど姉の事を許してはいないけれど。

「お園は気にかけてやっているみたいだけれど、ねぇ?」

 太っちょの三人目の女はクスクスと笑う。

「何かあるのかい?」

「私は知らないわよ。何も喋らないんだから」

 太っちょはそう言うと、頑なに口をつぐんでしまった。他の二人も、もう何も喋る気はないようだった。女の集団なんてこんな物だろうと思っていると、雪平は他の部屋を一通り見てから階段を下りて行った。

「どこへ行くの?」

「番頭の所さ。何か知っていそうだろう?」

 雪平はにやりと口角を上げ、悪い顔をしている。これからこの人が何をするのか考えると、少し不安になる。雪平は意外に突拍子もないところがある。母に会いに行ったのだってそうだ。冷静に考えると、食われる危険がある事くらい分かるだろう。

 死に対する恐怖が薄いのかもしれないと感じる。もしそうだとしたら恐ろしい事だ。私が守らなければ、強くそう思う。

 そういうところは、あの人の過去に原因があるのだろう。いつか溢してくれた弱音。

 私たちの傷は、癒される日が来るのだろうか。姉を見ても恐怖にかられない日が、本当に来るのだろうか? それまでは二人で傷を舐めあっていよう。

「やぁ、番頭さん。ここの賄賂の行き先について何か知っている事はないかい?」

 言っているそばからこれだ。雪平は黙るという事を早々に覚えた方がいい。

 案の定、番頭はものすごく嫌そうな顔をしてそっぽを向いてしまった。

「なに。今回僕は賄賂について調べに来たわけじゃない。無くなった金の置物について調べに来たんだ。だからどうこう言うつもりはないよ。ただね、どうも置物と賄賂が関係しているらしいじゃないか。そうなると調べなければならない」

 番頭はしばらく無関心なふりでそろばんを弾いていたが、雪平が決して諦めない事を悟ると、溜息交じりに話し始めた。

「別に、よくある事だ。人間たちだってやっているじゃないか。俺たちはよくずる賢いとか言われるが、心外だ。ただ上手に生きているだけさ」

「それはそうなのだろう。だが、僕が聞きたいのはそこじゃない」

「相手はとある武家だ。賄賂の代わりにうちを贔屓にしてくれて、他の大名やお殿様なんかにも勧めてくれるんだ。後は厄介ごとを解決してくれたり、な」

 厄介ごと、というのが怪しいが、そこは突っ込まない方がいいのだろう。

「ほぅ。つまり、難癖をつけて面倒な相手を切り殺してくれると」

 黙っていられないらしい雪平はそう言った。私は雪平に猿轡をかましたい衝動にかられたが、そんな物は義賊に育てられた雪平にしてみれば簡単に外せるのだろう。

 番頭はこちらを睨みつけている。

「おっと、勘違いしないでくれ。責めているわけではない。調べているだけだよ。渡すはずだった賄賂が無くなって得をするのは誰かってね」

「余計な事にまで首を突っ込まない方がいい。夜に出歩けなくなるからな」

「気を付けておくよ」

 雪平はひらひらと手を振ると、店の裏口から蔵の方へ歩いて行く。


 蔵の戸は少し開いていて、雪平は「やっぱりここにいた」と呟く。

「誰を探しているの?」

「店主の清三郎さんだよ。聞きたい事があるからね」

「もう賄賂とか、あんな話はしないでよね。寿命が縮まったわよ」

「そりゃあ困るな。仕方ない。気を付けるとするか」

 あんまり深く考えてないようで、雪平はポリポリと頭を掻く。

 この人の妻であるのは何よりも難しい仕事であるようだ。

「清三郎さん、今いいですか?」

 さすがに店主には敬語を使うらしい雪平は、蔵の中に勝手に入って声をかける。

「な、なんだ。謎解き屋か。少しなら構わないが、どうした? もう見つかったのか」

「いえいえ。さすがにこんなすぐには見つかりませんよ。ちょっと聞きたい事があって。武家を相手に賄賂をおくっているそうですね」

 やっぱり分かっていなかった。私は手に汗を握る。

「だ、だったらどうだって言うんだ! 私たちの勝手だろう!」

「えぇ。そりゃ、その通りです。僕が言いたいのは、その相手の方が盗んだという事はあり得ませんか?」

 自分を責めるつもりがないと分かった清三郎は少し落ち着いて、呼吸を整える。

「あり得ん。向こうに何の得があると言うんだ。それに、誰かに侵入されたらさすがに分かるだろう。臭いとかって、お前は人間だったな。とにかくあり得ん」

 清三郎の手には帳簿があった。在庫の確認でもしていたのかもしれない。

「在庫の確認だったら奉公人にやらせればいいじゃないですか。上で暇してましたよ」

 私は嫌がらせのつもりでそう言った。別に、姉の為ではないが。

「いや、もう誰も信用ならん。大事な物は自分で確認しないとな」

「そういえば、反物も無くなっているとか?」

 雪平の言葉に、清三郎は疲れた様子で頷く。

「絽の生地に絹、高い物ばかりだ。一体どうしたというのだろうか。前の日まではあったんだ。盗られたなら夜から朝にかけてなんだが」

「何か他に気付いた事はありませんか?」

 清三郎はしばらく唸って考え込んでいたが「そういえば」と言って手を叩く。

「必ず店が休みの日に無くなっているんだ。だから気付くのが遅くなってしまって」

 となると、休みの前の晩から朝にかけての犯行である。

「なるほど。もしかして金の置物も?」

「あぁ。そうだった」

「店が休みの日は皆休みなんですかい?」

「いや、私と番頭は品物の整理やら管理やらをして、昼から休みだ」

「すると、他の奉公人んは皆休みで、どこで何をやっていても分からないという訳ですね」

「まぁ、そうだな」

「時に、なぜおくのさんが疑われているのですか?」

「あいつは蛇だからな。お嬢ちゃんには悪いが、蛇は強欲なんだ。それに、やらなくてもいい仕事を進んでやるという事もある。疑われて当然だろう」

「進んでやるのはいい事じゃない」

 私は思わず反論する。

「いや、盗みの算段を付けているのかもしれないだろう」

「そんな分かりやすい事する訳ないでしょ。やるならあの人はもっと上手くやるわよ」

「おさくちゃん、落ち着いて」

 雪平に窘められ、私は口を閉じる。

「しかしなぁ、うちの鼬の女たちが働かないものだから刺激になればいいと思って蛇のおくのを入れたのだが、まさかこんなに馴染めないとはなぁ」

 清三郎は溜息を吐いてから「そういえば」と顔を上げる。

「反物が無くなり始めたのはおくのが来てからなんだ。それも疑う理由だよ」

 これは旗色が悪くなってきたぞと思いながら、それでも私はあの用意周到で狡猾な姉がこんな失敗をするとは思えずにいた。


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