蛇が減る

 私たちは割れた机を挟んで睨みあっている。主に私と母が、だが。

「まったく、この馬鹿娘が。よりによって人間なんか選びよって」

「私の自由よ。私の人生は私が決めるの。他の誰にも決めさせないわ」

「まぁ、まぁ」

 さっきからこの調子である。間に入る雪平の心労は計り知れない。分かってはいるのだが、一度突き出した矛を収めるのは容易ではない。

「お母さんだってきっとおさくちゃんの事を想って言っているんだよ」

「他人は黙ってな」

 母は仲裁を試みる雪平を一睨み。雪平はそれに対して、困ったように笑うだけだった。

「僕は確かに他人ですが、他人ではなくなる覚悟を持ってきました」

「口先だけならなんとでも言えるさ」

「何度でもお願いします。おさくちゃんと夫婦になる事をお許しください」

 母は煙草盆ごと煙管を引き寄せると、何の返答もせずにプカプカとやりだした。

「子はできんよ」

 しばらくして母は言った。

「え?」

「化け者と人間の間に子はできない。それに、お前は絶対に獣たちの声は聞こえない。二人同じものは聞こえないんだ。それからね、化け者は二百年も生きるんだ」

「聞いております」

「子もいない、相方には先立たれる。それでもあんたは耐えられるのかい」

 母はそれ見ろと言わんばかりの顔で私を見る。

「耐えられるわ。仕方がない事だもの」

「あんたは何も分かってない」

「そんな言い方じゃ何も分からないわ」

 母は大きな溜息を吐く。私はこの溜息に見えぬ意図をいつも感じていた。『黙って言う事を聞け』という意図を。それが恐ろしく、あるいは腹立たしく、知らず知らずのうちに私の体を硬直させ喉を締め上げる。

「置いて行かれる孤独ってのは耐えがたいものだよ。それにね、人間は弱い。うちの女に手が付けられないと分かったら、外で女を買うようになるよ」

「そんな事!」

 私は顔が熱く赤くなってしまい、そこで黙ってしまう。

「僕はそんな事はしませんよ」

 雪平は涼しい顔をして答える。

「どうだか。どう思われているかは知らないけれど、私はこれでも母親だからね、娘の旦那が他所の女を抱くのを許すわけにはいかないのさ」

「だからしませんて。僕はおさくちゃんだけを大事にします」

「それだよ。なんでこの子なんだい。私たちは化け者だよ?」

 母は顔だけをニュッと蛇に変えて見せた。

「関係ありませんよ。無鉄砲なおさくちゃんが大切なんです。大切な子が偶然、蛇だっただけですから。蛇の姿もきれいだと思いましたよ。あの緑色」

 母は人の顔に戻って「見たのかい」とこちらを睨む。

 思わず肩をすくめた私を背に庇い、雪平は「狸と狐の子を助ける為です」と訴えてくれた。

「まったく、馬鹿な事をしたもんだね。人間に化け者の事が知られたなんて分かったら、うちに文句が来るじゃないか」

「……ごめんなさい」

 勘違いしてもらいたくはないのだが、私だって悪いと思えば謝る事もある。

「はぁ……まさか人間だったなんて。私は蛇長屋の住人の謎解き屋とおさくが良い仲だって言うから、てっきり蛇だとばかり」

「よく勘違いされます」

 雪平はへらっと笑って頭を掻く。

「もういいよ。好きにしな」

「え? いいの?」

 まさか、と思って私は身を乗り出す。

「自分の人生は自分で決めるんだろう? 勝手に決めて後悔したらいいさ」

「またそんな言い方して。私は絶対に後悔なんてしないから」

「そうかい。どうでもいいさ。こっちはそれどころじゃないんだから」

 母はひっきりなしに煙管を吸う。そういう時は決まって、何か思い通りにならない事がある時なのだ。しかし私たちの事ではないだろう。母は「好きにしろ」と言ったのだから。

「それどころじゃないって、何かあったの?」

 母を心配したわけではないが、私はつい聞いていた。

 母は雪平をちらって見てから「本当は謎解き屋に依頼しようと思っていたんだ」と呟く。

「しかし人間に依頼する気にはなれないね」

「雪平さんはこれまでも化け者の事件だって解決してきたんだから、筋金入りよ」

 それを聞いて訝しげな顔をした母だったが、しばらくすると話し始めた。

「初めは迷子だと思ったんだ。でもその子が見つからないうちにまた一人、また一人と」

 蛇が消えているという。それも、一尺程度の子供ばかりが。

 この辺りに来る人間はまずいないし、いても大人たちが脅かして追い返している。あるいは坊主の姿で「この辺りには良くないモノが」などと言っておく。

 少し離れた場所でやられたら分からないが、それを調査しに行こうにも、今子供たちのそばを離れる訳にはいかない。

 それで困っていたのだと母は煙を吐く。

「その事件、僕が解決しますよ」

「そうかい。期待せずに待っているよ」

 母はパッパッと私たちを手で追い払うようにした。

 お堂の外に出ると野次馬の蛇たちがウヨウヨしていたけれど、私たちの姿を見るとサッと散っていった。

 私は、雪平に「ありがとう」と伝える。

「どうしたのさ、急に」

「母との話が、こんな穏やかに終わるとは思わなかった。全部あなたのおかげよ。だからありがとう」

「そうかい。どういたしまして。これで僕たちは、晴れて夫婦になれるって訳だな。部屋を移ってくるかい?」

「そうね。それがいいわ」

 手を絡ませていると、背後から咳払いが聞こえてきて思わず手を放す。


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