出た
それから探し出したお化け屋敷は、その呼び名通りの見た目であった。これは子供たちが面白がって遊び場にするのも分かるというものだ。
カタンと落ちた柵、蔦の絡んだ壁、ヒューヒューと隙間風の音がして、格子の折れた窓から見えるのは鏡の割れた鏡台。
「ほ、本当に入るの?」
「あぁ、もちろんさ。ここまで来たんだ」
私は覚悟を決めて、雪平の袖口に縋る。
「どうしたんだい。怖いなら待っていてもいいんだよ」
「一人で待っている方がよっぽど怖いわよ。いいの。私が行くって決めたのだから」
「そうかい」
雪平がくすくすと笑う。それが何だか、酷くうれしかった。
建付けの悪くて開かない戸を外してしまうと、雪平はズカズカと中へ入っていく。
「足元、気を付けなよ」
言われて見ると、割れた皿や徳利の類、壊れた梯子にと酷い有様だった。それなのに不思議な事なのだが、埃は積もっていない。まるで誰かが暮らしてでもいるようだ。
今にもぎょろりと目玉の覗きそうな破れた障子を、雪平は念入りに調べている。
そう思うと、今度は二階に上っていこうとしている。
「二階にも行くの? 危なくないの?」
「だから、危ないから待っているように言ったじゃないか」
「やっぱり危ないのね。それならやめておいた方がいいんじゃない?」
「階段はしっかりしているから大丈夫だよ」
「そう」
私が言いたいのは幽霊やなんかの事なのだけれど、と思ったけれどもう言わなかった。
置いて行かれるのは堪らないと思い付いていくと、二階はさらに不気味だった。
破れた煎餅布団、掲げられた子供用の煤けた赤い着物、腕の壊れた人形、真新しい口紅に、鏡台に置かれた笛、皿に油の入った行灯。
どこからともなくヒョーと音がして、私は思わず雪平に飛びつく。
「はははっ。ただの隙間風だよ。そんなに怖いなら来なけりゃ良かったのに」
雪平は腹を抱えて笑っている。
「あなたを一人で行かせたくなかったのよ。本当に心配しているんだからね」
治ったとはいえ、雪平は病み上がりなのだ。平蔵の蛇毒は強力で、雪平は三日三晩唸り続けた。こんなに早く治ったのは元が頑丈だったからであろう。
「悪かったよ。ありがとう、おさくちゃん」
雪平に頭を撫でられると、怖かったのも怒っていたのも忘れてしまいそうになる。
そうしていると、階下からカチャリと音が聞こえた。
雪平は私を手で制し、音もなく階段へ這い寄り下をのぞく。しばらくして雪平は「女だ」と言った。
すると「もし」と消えそうな声が聞こえる。
無視をしているともう一度「もし」と聞こえる。
私は震えあがりそうになっていた。ついに出たのだ。雪平の言う通り、こんなところ来るんじゃなかった。真昼間っから出るなんてどんな迷惑な幽霊なんだと怒りすら湧いてくる。
しかし、あろう事か雪平はその幽霊に近づいて行ったのだ。
気になって覗くと、女は白っぽい灰色の着物を着た顔色の悪い娘で、ますます幽霊にしか見えなかった。
「はい、はい。どうされました?」
すると幽霊は「うちに何か用ですか?」と言うのだ。
「うち?」
私は思わず声に出してしまった。すると、その幽霊女は「はい。ここはうちですので」と答えるのだ。
私は気が抜けてへたり込んでしまった。
それはそうだ。昼間っから幽霊が出る訳がない。女は普通の女だったのだ。
「それは失礼しました。どうもこの空き家が子供たちの遊び場になっているらしく、危なくないか確認に来たのです」
私が階段を下りて行くと、雪平は胡散臭い笑顔で話していた。
「そうですか。この有様ですから仕方がありませんけれど、一応うちの持ち物でして。気を付けて手入れをしますので、勝手に入るのはご遠慮願えますか」
女はうつむき加減に訴える。
「それはその通りですね、本当に失礼いたしました。しかし、ここは壊れて間もないようですね。そこの障子も、そっちの壁も、壊れたところが真新しいです」
女は少し黙って、それから「えぇ」と呟く。
「ご存じありませんか? ここの噂。お化け屋敷と。ここは少し前に物盗りに遭いまして、住んでいた方々が殺されてしまったのです。それから出るのですよ。ですから近づかないよう、子供たちにもそう伝えてくださいまし」
「分かりました。では、失礼します」
私は雪平の手をぎゅっと握って屋敷を後にした。
屋敷から離れると、雪平は「あの女の家じゃないな」と呟く。
「え? でも物盗りに遭った話もしていたじゃない」
けれど、雪平は首を横に振る。
「そんなの、調べれば誰にでも分かる事だ。それに、物盗りに遭ったのはもう一年も前の事って知ってんだ。少し前とは言いづらいよな」
「どういう事? もしかして、本当に幽霊……」
私はひゅっと息を飲む。
「そんな訳ないだろう。あそこを調べられちゃ困る誰かって事さ。って事は、調べるしかないよな。おさくちゃんは帰りな」
「い、嫌よ。ここまで来たんだもの。私だってやるわ」
「だって、夜中にあの屋敷に侵入しようってんだぞ? 都合の悪い連中は夜中に行動するからな。昼間だってあんなに怖がっていたのに、夜中なんて大丈夫なのかい?」
「だ、大丈夫よ。悪党なんかどうだっていいのよ。あんな奴ら噛みついてやるわ。それよりも幽霊よ。幽霊には噛みつけないじゃない」
ぷっと噴き出す雪平を睨みつけると「ごめん」と小さく呟く。
「そんなに怖いなら、やっぱり帰りなって」
「帰らないわよ。私、仲間外れは嫌いなの」
「仕方ないなぁ」
雪平は頭を掻きながら溜息を吐く。すると、急に首を傾げてこちらを見る。
「あれ? おさくちゃん、毛だらけじゃないか。どうしたんだい?」
「あら、本当ね。でも、雪平さんだって毛だらけよ」
私たちはお互いに首を傾げたまま、時間を潰すために町に戻るのだった。
晩秋の冷たい夜風が肌を撫でると、身震いがした。
私たちは今、あのお化け屋敷に向かって林を歩いている。雪平は何度も私に帰るように言ったが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「着いたぞ。おっと、先客かな」
雪平はすっかり外された柵を見ながらそう呟いた。
「怖いなら帰ってもいいんだからな」
「あら、柵を越える必要のある相手なら問題ないわ」
雪平は「そうかい」と言って溜息を吐いた。
私たちは問題なく戸口から中へ入る。中は静まり返っていた。そういえば盗人の落とし物も探さなければならないのだったと考えて階段辺りを見ると、ぼんやりと明るかった。
なんだろう? そう思っていると「大丈夫だから」と言って雪平に肩をつかまれた。
「なに?」
明かりが浮いていたのだ。階段の真ん中より少し上辺りに、ぼんやりとした明かりが。
「いやぁ! 火の玉が出たぁ!」
「おさくちゃん落ち着いて、ただのの明かりだから」
私は思わず逃げ出したが、混乱して屋敷の奥の方へ走ってしまった。すると、そこには口から血を流した女の幽霊が手をこまねいていた。
「ぎゃぁあ!」
もうどうしたらいいのか分からなくなって、私は手当たり次第に瓦礫や何かを投げつけた。すると驚いた事に「痛いっ」と言うではないか。幽霊が。
「なんですって? 肉体があるのね」
肉体のある幽霊なんて聞いた事もないけれど、これはしめた事だ。私は蛇の姿になって幽霊の首を締めあげ、腕に噛みついた。
「く、くるしい……」
「あぁ、やめてくれ! 放してくれよ!」
どこからか聞き覚えのある獣の声が聞こえた気がするが、それどころではない。
「おさくちゃん、落ち着いて、おさくちゃん。そのままだと死んでしまうから」
「もう死んでいるわよ」
私は雪平に声が届かない事も忘れて叫んだ。
「生きてる! 生きてるからやめてくれ!」
獣はそう訴えた。そうして、私の体を烏がつつくのだ。
「烏? あんた、いつものむかつく烏?」
「そうだよ」
私が思わず力を抜くと、幽霊はシュルシュルと小さく、猫の姿になっってぐったりとする。
まるで訳が分からないが、雪平は「間に合った」と息を吐いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます