第四話

お化け屋敷

 洗濯物をしに出て、井戸端で顔を洗う雪平に会って思わず隠れてしまう。

 先日の一件以来、どうにも意識してしまっていけない。看病のためとはいえ筋肉質な体を拭いたり、良かったなんて微笑まれたり、思い出してはワタワタとしてしまうのだ。

「おさくちゃん、井戸を使うかい?」

 気が付くと、雪平が目の前に立っていた。

「あ、そ、そうね。おはよう」

「おはよう。どうして隠れたりするんだい? 嫌われるような事でもしたかな」

「そ、そんな事ないわ。気にしすぎよ」

「そうかい。それならいいんだけれどな」

 しずくの滴るその顔が朝日にあてられてキラキラと光る。その姿に見惚れていると、バタバタとした足音が聞こえてきた。

 やって来たのはいつぞやのおあげ亭の子狐の弥太郎と、山八屋の子狸の勘次郎だ。

「謎解き屋のおじちゃん!」

「謎を持ってきたよ!」

 おじちゃんはやめてくれと呟く雪平を無視して、二人は話し出す。

「お化け屋敷があるんだ。本当に見たって人が何人もいてさ」

「火の玉が飛ぶんだって!」

「女のすすり泣きも聞こえるって」

「ほぅ。そりゃあ恐ろしいな。一体どこにあるんだ?」

 二人は顔を見合わせ、自慢げに胸を張る。

「知ってるよ。でも情報には対価がいるんだぜ」

 弥太郎が言う。

「何でもいいよ。そうしたら教えてあげる」

 次は勘次郎だ。

「ちゃっかりしてるなぁ」

 雪平はまんじゅうを食わしてやると言って二人を部屋へ招く。

 実際、謎がそこにあるだけでは仕事にはならないのだが、雪平は子供に甘いのだろう。

「両国橋から大横川の方へ行くんだ」

「もう一つ橋を渡るんだよ。そうしたら林の近くにあるんだ」

「ボロボロなんだよ」

「建付けが悪くて戸も開かないんだ」

 子供たちはまんじゅうを頬張りながら口々に言う。

「お前たち、そんなに遠くまで遊びに行っているのか。気を付けないと駄目だぞ」

「分かってるよ」

「もう内緒で商売してないから大丈夫」

 そうして子供たちは食べるだけ食べて喋るだけ喋ると、満足気に帰っていった。

 雪平はどうするのだろうと思っていると、そそくさと出掛ける準備をしている。

「見に行くの?」

「まぁね。子供たちが遊びに行く場所なら、危なくないか見ておかないとな」

「随分と過保護だこと。仕方がないから私も行くわ」

「なぁ、おさくちゃん。これだけ仕事を手伝ってもらっておいて今さらなんだが、危ないから手伝いをやめないか」

「やめないわ。危ないのならあなたも同じじゃない。病み上がりを一人で行かせられないわ」

「でもなぁ……」

「なんと言われても行きますからね」

 ぎゅっと拳を握って見せると、雪平は溜息を吐いて「仕方ないなぁ」と溢した。


 子供たちのバラバラの話から推測される辺りまで来ると、雪平は屋敷を探さずにまず聞き込みを始めた。

 噂は随分と広まっているらしく、奥さん連中を中心によく話が聞けた。けれどどの話も悲しげな声で歌を詠むらしいとか、皿が飛ぶらしいとか、そこで寝るといつの間にか外で寝ているとか、そう聞いたという話ばかりで、自分が見聞きしたという話は一つもなかった。

 そのまま昼近くなり、私たちは適当な蕎麦屋に入る。

 すると、私たちの隣の席に座った男が話しかけてきた。

「おい、なぁ、あんたたち。お化け屋敷の事を調べているのか?」

 男は裾のすり切れた色褪せた藍色の着物を着て、顔には古傷、手の甲には真新しい青あざと、あまり関わりたくない感じのする男であった。

 けれど雪平は人の良さそうな笑みを浮かべて応対する。

「そうさ。何か知っているのか?」

「あぁ、だが、思い出そうとすると、こう……な?」

 男はニッと口角を上げる。

 それを見た雪平は、男に蕎麦を一つ頼んでやった。

「こりゃありがたい。いや、そんなつもりはなかったんだがな。そうだな。三日ほど前の事だ。雨も降って来たし、俺は一夜の宿を借りようと件のぼろ屋敷に入ったんだ。もちろん、お化け屋敷なんて噂に興味もあった」

 調子よく喋りだした男の懐に、匕首が見えた。どうもろくでもない男のようだ。

「確かに不気味な屋敷だった。あちこちに羽根が落ちているし、どうも獣たちも出入りしているらしい。それ以上に誰かいる。俺はそう思った。二階に気配がしたんだ。俺は階段を探して見上げると、なんと、明かりが灯ったんだ」

「先客がいたのか」

 雪平が聞くと、男は頷く。

「俺もそう思って二階に上がったんだよ。誰だって脅しながらな。そうしたらよぉ、出たんだよ。ありゃあ、本物だったぜ」

「何が出たんだ?」

「女の幽霊だ。口から血を流してニッと笑うんだ。おかげで俺は驚いて階段から落ちちまってよぉ、体中が痛いのなんのって」

「へぇ、そりゃあ災難だったな」

 自業自得じゃないかと思ったけれど、私は何も言わずに、運ばれてきた蕎麦をすする。

「あぁ。だからよぉ、調べたら俺にも教えてほしいんだよ。実はな、あの屋敷に母親の形見を落としてきちまってよぉ」

 男は言うが、雪平は何も答えない。男が焦れて急かすと、雪平は蕎麦を食い始める。

「おい、何とか言えよ」

「お前さんの事を当ててやろうか」

「は?」

「ちょっとした雨ってのは忍び込むのに丁度いいんだよな。うまい事姿を隠してくれるからな。で、血も洗い流してくれるからな。お前さんはどこかで盗みを働いた。その帰りにお化け屋敷に入ったんだ。隠れるには噂は都合がいい」

 男は雪平を睨みつけ、懐に手を入れる。

 雪平はその手をガッとつかみ、捻り上げる。

「いててっ。いてぇじゃねぇか」

「余計な事はしない方がいい。僕もまともな道を歩いてきちゃいない」

「くそっ。分かったから放せよ」

 手を放す時、雪平は素早い動きで男の匕首を盗み取った。こっちの方がよっぽど手馴れている。私は思わず目を見開いて呆然としてしまった。

「お前がお化け屋敷に落としてきたのは母親の形見なんかじゃない。盗んだ品物だ。それを取りに行きたいが、またお化けに脅かされちゃ堪らない。そこへ僕たちが来た」

「あぁ、そうだよ」

 男は大人しく蕎麦をすすりながら答えた。

「役人に突き出されたくなかったら、今回は諦める事だな」

「なんだよ。お前だって同じ穴の狢な癖しやがって」

「心外だなぁ。僕はこの技術を悪事には使ってないぞ」

「けどお前は堅気じゃねぇ。それは分かるぜ。どうだい、一緒にやらねぇか。落としてきた物だって二人で分けても結構な額になる」

「馬鹿を言っちゃいけない。これ以上言うなら役人に突き出すぞ。今回は蕎麦で諦めろ」

「あぁ、くそっ! 分かったよ」

 男は汁まで飲み干すと、ドスドスと大股歩きで帰っていった。

「びっくりしたぁ。蕎麦の味が分からなかったわよ」

「怖がらせてごめんな、おさくちゃん」

 その顔は何となく落ち込んで見えた。堅気じゃないとあいつに言われたからだろうか。

「怖くなかったわよ。雪平さんが居たんだもの」

「そうかい。そりゃ信頼されたもんだなぁ」

 笑っていても、どこか寂しさのようなものが見え隠れする。私ならそんなもの気にしないのに、と思っても口にはしない。雪平にとっては重荷な事に変わりはないのだから。

 雪平は、盗み取った匕首をそっと懐に忍ばせる。


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