化け者殺し
「そういえば今朝、女将から聞いたんだけどね」
私は雪平に、化け者が行方不明になっているという話をした。雪平は顎に手を当てて聞いていたけれど「よし」と掛け声をすると歩き出した。
「急にどうしたの?」
「これは急がなければいけないと思ってね。行方不明の理由が殺しじゃ探したって見つかりっこない。だいたい、化け者を殺せるのは化け者だけだろう?」
「それはそうね。知らないんだから。でも、そうと決まった訳じゃないでしょ?」
「決まった訳じゃないが、十中八九そうだろうな」
雪平はもう走っていて、眉間には深く皺が刻まれている。
私たちは破れ寺に戻ると、もう一度、蔵之介に確認をする。
「な、な、なんだよ、二人揃ってそんなおっかねぇ顔してさ」
「蔵之介、お前、本当に一度も獣を殺していないんだな?」
「もちろんさ。そう言ったじゃねぇか。なんだい、まだ疑っているってのかい」
「そうじゃないんだが、お前の行く先々で死骸が見つかるものだから」
雪平がそう答えると、蔵之介は青くなった。
「なんだって? 俺じゃねぇよ。信じてくれよ。なぁ?」
「分かっている。信じてやるさ。しかし、だとすると少し話がややこしいな」
「ややこしいって何が?」
質問には答えず、雪平は頭を掻きむしる。
「よし。出掛けよう」
しばらく待っていると、雪平は唐突にそう言って立ち上がった。
「出かけるってどこへ?」
「蔵之介がいつも歩く道を適当に散歩するのさ。うまく行きゃ奴さんにぶち当たるかもしれないからな」
「奴さんて?」
「さぁな。今はまだ分からないな」
「そういう答えが欲しいんじゃないのだけれど。もっと何かないの?」
「今言える事はあんまりないな。ごめんな、おさくちゃん」
雪平は子ども扱いするみたいに、私の頭を撫でる。私はそれが嬉しくて、そのくせ腹立たしくて困った。そんな事よりも、犯人を捕まえなくてはならないというのに。
それにしても、この人の説明をしない癖は何とかならないものだろうか。おかげで私は後手に回ってばかりだ。私を巻き込まないようにとか考えているのだろうか。いや、それならこの時点で帰されているはずだろう。
分からない。分からないのは、私が人間初心者だからだろうか。
そういう訳で、私たちはよく蔵之介がうろついているという人形町の通りに来た。
「で? 何故こんな破れ寺から離れた町をうろついているんだ」
雪平に睨まれ、蔵之介は「うっ」と肩をすくめる。
「そ、そんなのはどうだっていいじゃないか。それより、ほら。調査をするんじゃなかったのか?」
「おい、蔵之介。僕はお前を信じたんだぞ」
そう言われると二の句が継げないようで、蔵之介は怯えるように後ずさる。今尻尾が見えていたのなら完全に股に入り込んでいた事だろう。
「何か知られちゃまずい理由でもあるって事?」
「まずいって言うかな、いやぁ……ここはさ、人通りが多いだろう?」
「そうね」
「だからさ、つい、な」
「つい、何よ?」
私が詰め寄ると、雪平が低い声で凄む。
「認めるんだな?」
「はい……」
「なに? 何を認めたっていうの?」
「この野郎、ここで掏摸を働いてやがったんだよ」
「え⁉ まぁ、ろくでもない」
蔵之介は「へへっ」と所在無げに笑う。
「で、でも信じてくれ。本当に殺してないんだ」
「本当だろうな?」
雪平は溜息交じりに聞いた。
そう言えば、とふと思い出した。私の今朝から急に決まった婚約者の平蔵のやっている寺子屋がこの辺りにあったはずだ。けれど、そんな事は今は関係ないので私は口をつぐむ。何より、思い出しただけで腹立たしくて仕方ない。
私の夫は私が決めるのだ。もう誰かに支配されて生きるのなんて御免だ。
その時、鼻を突く臭いがどこからともなく漂ってきた。
「ちょっと待って」
「どうした、おさくちゃん?」
「嫌な臭いがするの。こっちの方から」
私は堀川の方を指さした。そして、そちらに近づくごとに臭いは強くなっていった。すえた臭い。鉄臭いような、ごみ溜めのような、そんな臭いだ。
臭いを頼りに私が先導して、川沿いにとまった一艘の小舟に目星をつけた。
「たぶん、あの舟よ」
「分かった。おさくちゃんと蔵之介はここで待っていてくれ」
そう言われて大人しくしている二人ではなく、私たちは雪平が階段を下りて行くのを上からじっと見下ろした。
布がかけられている。それをサッと剥ぐと、中から現れたのはたくさんの獣たちの死骸であった。ざっと十五はある。
「またか、くそっ」
雪平が悪態をつくと、心配そうに蔵之介が「信じてくれるよな?」と聞く。
「信じてやるさ。こんなに自分の行く先でばかり事を起こす馬鹿はいないからな」
それより、と雪平は私を見る。
「女将を呼んで来てくれないか」
「え? 女将? いいけど、今ここに?」
「あぁ、そうだ。頼めるかい?」
「もちろんよ!」
私は雪平から頼られた事が嬉しくて、その後に何が起きるかという事まで考えていなかった。考えていなかったから着物の裾がめくれるのも気にせずに走る事が出来た。
女将の方は、獣たちの死骸が見つかったから来てほしいと言えばすぐに出かける用意をしてくれた。いつも口をへの字に曲げているので分かりにくいが、慌てているように思えた。
女将の旦那というのは根っからの仕事人間で、蛇長屋の大家であり大店の染物屋を営んでいる店主であるというのに、未だに自分で染め仕事をするのだ。だからあまり顔を見る機会はない。その為、長屋の事はほとんど女将がやっているのだ。
婚約の件はまだ許していないが、女将も苦労をしているのかもしれない。
私たちが急いで舟の所へ戻ると、女将は初め、そこに雪平がいる事に顔をしかめた。
「雪平さんのおかげで見つかったのだから、仕方がありませんよ、女将」
「分かったよ」
渋々と女将が近づいていくと、雪平が道を開けた。
「あの布の下です。ある程度綺麗にはしましたが、どれもスッパリ切られていて血が何ともならなくて。すいません」
「ふん。余計なお世話だよ。どきな」
雪平は、女将が死骸に手を合わせるのを階段から見ていた。そしてしばらく黙っていたと思うと、急に「やはり化け者ですか?」と聞くのだ。
しまったと思った時には声に出ていた。
女将は器用に顔だけを蛇に変え、雪平に向かって首を伸ばす。
「なんだって? あんた、どうしてそんな言葉を知っているんだい。なるほどね、おさくだね? 本当に困った子だよ。さて、お前さんをどうしてくれようか」
「僕をどうかするのもいいですが、今は彼らの事じゃありませんか」
その言葉に想うところがあったのか、女将は顔を人間のものに戻した。
「全部は分からないが、知った顔が何人かいる。全員おそらく化け者だよ。普通の獣たちより体が大きいだろう。化け者は長生きだからね」
「やはりそうですか。彼らをどうしますか?」
「私が家に帰してくるよ。それとおさく! あんたには説教があるから覚悟しておきな。雪平、あんたも決して安全だと思わない事だ。私はいつでも噛みつけるんだからね」
「大丈夫ですよ。僕は誰にも話したりしませんから」
「どうだか。人間は嘘吐きだからね」
「そういう人間もいますよね」
あの女将に睨まれて平然と笑っていられる雪平の事を、思わず化け物と感じてしまったのだった。
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