第三話

婚約の話

 紅葉も散り始める晩秋、私は雪平の部屋に入り浸っていた。

「それで、うちの犬の尻から出てきたのが何かの鍵だったんだよ。なぁ? 不思議だろう」

 近所の損料屋の隠居爺が、どうだと言わんばかりに胸を張る。

「まず聞きたいのが、犬の餌はどうしているかだ」

 雪平が顎に手を当てて考えるそぶりをする。しかし私はここしばらく彼を見ていて気付いているのだ。この仕草をする時はもうだいたいの目星がついている時だ。

「餌? 昼前に一回だけだよ」

「なるほど。それで暗くなるまで犬はどこかへ行って帰ってこないと」

「そ、そうだ! どうして分かったんだ⁉」

「そりゃあ、そうだろう。鍵を食べれるような体の大きな犬はな、一日一回の餌じゃ足りないんだよ。だから明るいうちはどこか別の家で飼われているんだよ」

「なんだって? あいつ、だから昼間はいなくなるのか」

「きっと裕福な家だろう。よその犬に餌をやれるくらいだからな。蔵があるだろうな。きっとその蔵の鍵だ。向こうで餌をもらった時に間違えて混じってしまったんだ。犬の後を付けてみれば分かるさ」

「なんだ。そんな事か……」

 隠居爺はつまらなそうに口を尖らせる。

 そこへ、戸が開いて女将が入ってきた。女将は私を見つけると「ちょっと来な」と有無を言わさない様子で呼びつける。

 とても、今から昼飯をご馳走になるところだったなんて言い出せない。

 私は「はい」と殊勝に返事をして女将に付いて部屋を出る。

 女将は私の部屋へ入ると、まるで自分の部屋かのようにドカッと真ん中に座る。そうして私へ目の前に座るように促す。

 女将はその大きな体でもって流し目で私を見下ろした。

「あの……なんでしょうか」

「なんでしょうかじゃないよ。あの人間には関わるなと言ったじゃないか。それなのにあんたは毎日、毎日。どういう了見だい」

「す、すみません……」

 返す返す言葉もない。それに加えて化け者だと話してしまったなんて事が知れたら何を言われるか、考えるだけでも恐ろしい。

 これは私の落ち度だ。もっと上手くやればよかったのに、一緒にいるのが楽しくて近頃は雪平のもとに入り浸りすぎた。

「だからね、今日はあんたに婚約者を用意したよ」

「へぁ⁉」

 驚きすぎておかしな声が出た。

「なんだい。あんた、もしかしてあの人間に惚れたりしたんじゃないだろうね? 化け者の掟を忘れたわけじゃないだろう」

「いえ」

 掟、それは人間と交わってはいけない。つまり、子を成すなという事だ。

「それじゃあ問題ないだろう」

「あの、お見合いとかじゃなくて? 婚約者なんですか?」

「そうさ。こっちで良さそうなのを見繕った。蛇の婚姻なんてそんなものだろう」

 確かにそうだった。蛇は上からの支配が強いのだ。何をするのにも、自分の進退一つにしたって決めるのは上の人たち。それが蛇の社会。

「でも……そんな急に」

「あんた、化け者の人物帳は読んだね? 浪人として紛れている平蔵という男を覚えているかい」

 私の呟きは聞かなかった事にされるらしかった。

「はい。寺子屋の先生をしている人ですよね。堅物の……」

「そうさ。そいつがあんたの婚約者だ。今日ここへ呼んであるからよろしくやりな」

「そんな事を言われたって……」

 どれだけ項垂れてみても、女将は文句は受け付けないらしい。私は諦めて、どうにか婚約破棄される方法を探す事にした。

 雪平に出会う前の私だったら、何の抵抗もせずに夫婦になっていたのだろう。

 私はただ、私の人生を生きたいだけなのだ。他人にとやかく言われる事なんかない、自分だけの人生を生きたいと願う事は、蛇にとっては悪であるらしい。

「あぁ、そういえば最近ね、化け者の行方不明事件が増えているから気を付けなよね」

「行方不明?」

「そうさ。化け者に限定されているようだから不気味だけれど、まだ何も分かっちゃいないんだよ。まったく、困ったもんだね」

 雪平ならば解決してくれそうな気もするが、女将にそんな事を言う訳にはいかない。

「ただの家出ならいいんだけどね、そうじゃないみたいでね」

「家出じゃないって言いきれるんですか?」

「前日まで仲良く話していたとか、今朝までそんな様子もなかったとかね。だから誘拐されたんじゃないかって言われているよ。とにかく気を付けるんだね」

「はい。あの、それって本当に化け者だけなの?」

「さぁね、人間の事なんか興味はないからね。でも人間たちが騒いでいる様子はないよ」

「そうなんですか……」

 この頃は謎解き屋の手伝いをしすぎているせいで、情報収集が癖になってしまった。

 ただ雪平に会う事だけが目当てではない。あそこで手伝いをしていると飯にありつけるのだ。ちょっとした相談の報酬に、なんて事がよくある。最近は常連の爺さんたちにも顔を覚えられ、私の分まで用意してくれるようになった。

 これでは女将に怒られるのも仕方がないというものだろう。

 そんな事を考えていると、外が急に騒がしくなった。私は土間に降りてちょこんと顔を出してみる。

 すると、雪平たちが戸口のところで立ち話をしていた。その中に見慣れない顔がある。

 小顔に大きな目、細身の体に程よくついた筋肉、大きな手、腰に差された刀。それは、つい先ほど婚約者になった平蔵に違いなかった。人相書きと違っていい男だと思った。

 だがそれは見た目だけの話である。私はこの人の妻になるつもりはない。

 振り向くと、女将は行って来いと手を振った。自分は人間に混ざるつもりはないらしい。この人は蛇以外を嫌うところがあっていけない。

「あの……おはよう」

 緊張しすぎてそれ以外、言葉が出てこなかった。皆の視線が一斉に私に向く。

「あぁ、おはようございます。あなたが私の婚約者のおさくさんですね」

「こ、婚約者だぁ⁉」

 常連の一人が驚いて声を上げる。

「そ、そんな! さっき勝手に決まったばっかりで、私はそんなつもりじゃ……」

「何を言っているんですか」

 平蔵は小首をかしげる。

「決められた事は絶対ですよ。そういうものじゃないですか」

 その言葉を聞いて、私は思い出す。そうだった、この人は馬鹿が付くほどの堅物なのだった。それ故に化けれる職業が限られたのだという話だったはずだが。

「私はまだ、あなたの事を婚約者だなんて認めていませんよ。よく知りもしないのに」

「ふむ。確かに一理ありますね。きっちりと、先ずはお付き合いから始めませんと」

 私は溜息を押し殺し、雪平に聞いた。

「それより、さっきは何を騒いでいたの?」

「あぁ、この婚約者さんがな、絡繰り細工をバラしちまったんだ」

「え?」

 見てみると、常連の爺さんの手には木片がバラバラと乗っていた。

「すみませんでした。あなたのお仕事を奪ってしまって。困っていたように見受けられましたので」

「それはどうも。動かすと割れてしまいそうな部分があったものでね」

 どことなく、二人の雰囲気はピリピリしているように思えた。

「それより、これはどうするんじゃ。絡繰りを解くだけで良かったのにこんなにしてしまいおって。これではもう使えんじゃないか」

「大丈夫だよ、元さん。僕がまた組み立ってるから。それも無代でな」

「そうかい? それならいいが」

「重ね重ね、申し訳ない。あまりに簡単だったもので、つい」

 その嫌味ったらしい言い方が癪に触って、私は絶対にこんな奴と夫婦になんかなるものかと誓うのだった。

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