終幕

 長屋の住民たちも寝静まった深夜、雪平の懐でうとうととしていた私を彼が揺り起こした。秋も深まり、深夜ともなると隙間風が肌にしみる。

「どうも来たみたいだ」

 彼は私に言った。すると、おふたものそのそと起きだす。

「なぁに? あいつ本当に来たの?」

「そのようだ。気を付けるんだぞ。嫉妬に狂った男は怖いからな」

「そうさせたのはあなたでしょう。仕方のない人ね」

 おふたは寝起きの髪をかき上げる。私が鎌首をもたげると、彼がそれを窘める。

「おいおい、噛みつく相手が違いやしないか」

「分かってるわよ。でも腹が立つんだから仕方ないでしょ」

 彼には伝わらない呟きでも、同じ化け者のおふたには聞こえてしまう。おふたはクスクスと笑って「あなたはあたしに感謝するべきよ」と言った。

「どうして感謝しなきゃいけないのよ」

「あたしが寝たふりをして、あなたたち二人きりの時間を作ってあげたからよ」

「あんた、起きてたの⁉ じゃあ私の言葉も……」

「全部聞いていたわよ。あなた、可愛らしい子ね」

 まったく、油断も隙も無いとはこの事だ。私は何を呟いただろうかと必死に頭を捻る。

 そこへサクッ、サクッと足音が近づいてきた。

「僕は寝たふりをするから、おふたさんは衝立の向こうに隠れていてくれ」

「分かったわ」

 雪平が寝転がり、しばらくすると引き戸が開いた。足音は確かめるようにゆっくりと近づいてくる。すると、私の耳が相手の懐から金属音を拾った。

「大変! この人、刃物を持っているわ!」

 私は声を上げたが、もちろん雪平には届かない。

 そいつは無言で懐から刀を抜いた。

「ちょっと、大変よ。大変なのよ。気付いてよ。お願い」

 私は必至で雪平に体当たりをするが、彼はまるで動く気配がない。

 しかし刃物が振り下ろされるその瞬間、雪平は華麗にくるりと転がって避けると、そのまま相手の背後に回ってその手を拘束した。

 私の出番なんかまるでないくらい、その身のこなしは軽かった。言うと彼は嫌がるのだろうが、さすが義賊に鍛えられただけの事はあると思った。

「ま、待ってくれ。おいらだよ」

「分かっているさ。刃物を向けておいて、もう言い逃れはできんぞ」

 茂助は小さくちっと舌打ちをする。

「なんだよ。お前が人の女を取るから、ちょっと嫉妬しただけじゃないか。本当に刺すつもりなんかなかったさ」

「そんなわけないだろう。僕の寝ていた場所にこんなにぐっさりと刺さっているってのに」

「そ、それは……偶然だよ」

 茂助は目を逸らしながらぶつぶつと呟く。

「見苦しい言い訳はよしなさいな」

 衝立の向こうからおふたが縄を持って現れると、茂助はぽろぽろと泣き出した。

「おふたちゃん。本当にここにいたんだね。おいらの所へ帰っておいでよ。許してあげるからさぁ。こんな謎解き屋なんて金にならない事してる奴より、おいらの方がいいよ」

 それに、と茂助は続ける。

「ほら、ちょっとおいらの懐を探ってくれよ。おいら、龍の根付を見つけてきたんだよ。やっぱりあの部屋に落ちていたよ」

 雪平が懐をまさぐると、本当に龍の根付が出てきた。

「嘘だな。あの部屋は僕がくまなく調べたんだ。どこに落ちていたって言うんだい」

「え? えっと、ほら。布団の……」

「布団まわりは抜かりなく調べたさ。ついでに干したくらいだ」

「あぁ……布団を敷いてあった床下の」

「床下は体中が蜘蛛の巣だらけになるくらい探したんだがな。ちなみにこんな仕事をしているから、他の者より何かを探す目には優れている自負があるぞ」

 そういうやり取りをしている間にも、茂助は縄でしっかりと縛られていく。

「そ、そんなぁ……」

 もう大丈夫だろうと思い、私は項垂れる茂助と雪平たちを残し、人型に戻るために自分の部屋へ向かった。

 ここは蛇長屋だ。いざという時のために蛇が通れるくらいの穴が壁に空いているのだ。それも隙間風の原因なのだが。

 その穴から中に入ってみると、中に誰かいた。喜左衛門と、その妻おとよだ。二人は私の布団で二人仲良く眠っている。

 雪平が部屋を貸してほしいと言っていたが、こういう事だったのかと納得する。

 眠っているとはいえ、私は念には念を入れて服を手に外で人型に戻ってから中に入る。

「喜左衛門さん、おとよさん。起きてください。犯人を捕まえましたよ」

「あ、あんだって?」

 寝ぼけた声で喜左衛門が反応すると、おとよも起きだす。

 そして、私は二人を連れて雪平の部屋へ戻る。

 茂助は二人に睨まれ、完全に縮こまってしまっていた。

 私たちが部屋に入ると、雪平が「ちょうど今から問い詰めるところですよ」と言う。

「そ、そいつは気の弱い間男野郎じゃないか!」

「そうなんです。犯人はこいつですよ」

「なんだって? こんなに気が弱いのにどうして十両もする根付を盗んだりしたんだ」

 喜左衛門さんが驚き半分、呆れ半分で聞くと茂助はしょぼしょぼと答える。

「そ、それは……知らなかったから」

「知らなくたって、あんなにしっかりと隠してあるんだ。価値がある事くらいは分かっただろう?」

「それだけ好きなんだなと思っただけで……」

 茂助の声はどんどんと小さくなっていく。どこからか溜息が聞こえた。

 雪平が喜左衛門さんに龍の根付を渡すと、喜左衛門さんは飛び上がらんばかりに喜んだ。

「おぉ、これだ、これだ。いやぁ、戻ってきて良かった」

「ふん! そんなに値の張る物を買ったりするからですよ」

 おとよが冷たく言い放つと、喜左衛門が機嫌を取る。この家の力関係が見えた気がする。

 取りなすように雪平が告げる。

「この男はね、十両もするなんて知らずに盗んで、それから知ってしまったものだから身動きが取れなくなってしまったんですよ」

「なんでだ? 価値があるのなら盗人は喜ぶものだろう?」

「それは、こいつが気弱だからです。怖気づいたんですよ」

「なんて奴だ……お前、きっと盗人には向かないよ」

「おいらは盗人になりたかったわけじゃ無いやい」

 茂助は、またぽろぽろと涙を溢しながら噛みつくように訴える。

「じゃあ何で盗んだりしたんだね?」

「おふたちゃんは、おいらだけのおふたちゃんなんだ! それなのにあんたに囲われたりするから……おいらは……」

「あんた、気付いていたのね?」

 おふたが驚いて声を上げた。

「当たり前だよ。おいらはそれほど鈍くはないからね。おふたちゃんが隠しているから気付かないふりをしていただけだよ。おいらはおふたちゃんの味方だからね」

「そんなに好きなのに、どうしておふたさんが困るような事をしたの?」

 私が聞くと、茂助はまたしょぼしょぼとした声で呟くように答える。

「ちょっと困らせてやろうと思ったんだ。それで妾の家を追い出されれば、おいらの所に来るんじゃないかって思ってさ。それなのに十両とかいうから、おいら、おふたちゃんの首が飛んじまうんじゃないかって怖くなっちまって……」

「それで昼間はどうにかして返す手段を考えていたんだな?」

 雪平が聞くと、茂助は彼を睨みつける。

「あぁ、そうさ。それなのに部屋ではお前たちがずっと一緒だし、おいらの頭じゃ返す言い訳なんて思いつかないしで困っちまったんだよ」

「そんなに睨まないでくれ。おふたさんには何の想いも抱いちゃいないよ。あれはお前さんをおびき出すための演技さ」

「そ、そうなのか? じゃあ、おふたちゃんに興味はないのか?」

「あぁ、ないね」

「お前、見る目がないんだなぁ。それでも安心したよ。ねぇ、おふたちゃん。一緒になろう」

「馬鹿ね。あんたは先ずお役人のお世話にならないと」

「あ! そうだった。おいら、盗みを働いたんだった」

 茂助はがっくりと肩を落とす。そこへ、おとよの声が響いた。

「私はお役人様のお世話になるなんて反対ですよ。だってそうでしょう? そんな事をしたら夫に自宅の隣でお妾さんを飼われていた妻だって広まっちゃうじゃないですか。第一、私に内緒で買った物なんて、無いのと同じでしょ? それがいくつ無くなろうが知った事じゃありませんよ。おふたさんだって、お望み通り追い出して差し上げたらいいじゃありませんか。これで万事解決。よろしいですわね?」

 誰も口を挟めない勢いで捲し立てたおとよに、おろおろとした喜左衛門は取り付く島もなかった。

 妻とは恐ろしいものである。私もそうならないようにと、密かに誓うのであった。


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