帰宅

 私たちが息を飲むような空気感で帰っていると、蛇長屋の前に狸親父と狐の主人がいた。

「や、弥太郎!」

「勘次郎! 見つかってよかった」

「弥太郎は足に少し怪我をしているようです。勘次郎は無事です。二人は林で山菜取りをしていて帰れなくなったようですよ」

 雪平は噓を吐かなかった。

「それでですね。調査の結果を今お話しさせていただきたいんですけど」

「今か? 何もこんな時に」

 狸親父が眉を顰める。

「今だからです。実は、蔵の薬種や棚の食料を盗んでいたのはお子さんたちだったのです。しかし二人にも理由があってですね」

「なんだと? おい、勘次郎。それは本当か」

「弥太郎、お前はそんな事はしないよな?」

 二人はだんまり。その姿を見て真実だと気付いた狸と狐。

「これだから狸と遊んじゃいかんと言ったというのに。どうせ、狸に唆されたんだ」

「それはこちらの言葉だ。やはり狐は信用ならん。うちの勘次郎ならこんな事はしない」

「なんだと? やい、狸親父。うちの弥太郎のどこが信用ならんというのだ!」

「そっちこそ、唆されたとは随分じゃないか。自分たちの事を棚に上げて」

 いつもの通り狐と狸が喧嘩を始める。それを雪平と私で「まぁ、まぁ」と宥めていると「やめてよ!」と大きな声が響いた。

 勘次郎だ。勘次郎はこぶしを握り、目にいっぱい涙を貯めて続ける。

「父さんたちがそんなだから盗むしかなかったんじゃないか! 僕は、本当は店なんか継ぎたくないんだ。僕は薬膳飯屋をやるんだ。父さんたちが喧嘩ばっかりしてるから、江戸には薬膳飯屋がないんだって聞いて、だから僕がやるんだ!」

「勘次郎……」

「僕も」

 弥太郎が自信なさげに声を上げる。

「僕たちは皆、飯屋って決まってるって言うけど、僕は小間物屋になりたいんだ。そしたら勘次郎が、自分が粥を作って売るからそれを開店資金にしたらいいって。自分はお金はいらないからって言ってくれて。だから勘次郎を悪く言わないでほしい」

 子供たちにそう言われると、大人二人はバツの悪い顔を見合わせる。

「勘次郎。悪かったな。店の事はちゃんと考えておくから、もう盗むんじゃないぞ。今度からはちゃんと言ってから持っていくようにな」

「う、うん。ごめんなさい」

 勘次郎の顔がパッと晴れていく。

「弥太郎。盗みはいけない。いけないけれど、今回は父さんたちも悪かったからお相子だ。店の事はこれから話し合っていこう。絶対に駄目と言いたいわけではないんだ」

「わかったよ。盗んでごめんなさい」

 これにて一件落着と思っていると、狸と狐の声がかぶさった。

「しかし、狸は秘密ばかりで油断ならない事は覚えておけよ」

「しかし、狐は守銭奴で信用ならない事は覚えておけよ」

 子供たちの溜息もかぶさるのだった。二人はすっかり雪平の存在を忘れてしまっている。


 四人が帰った後、私は雪平に部屋へ呼ばれた。話があるらしい。何の話かは、聞かなくても分かる。私は冷や汗を流しながら部屋へ入った。

 女将はもう帰っていないらしいのが、せめてもの救いだ。

「今日はありがとう。それで、何か用?」

「もう一度、見せてくれないか」

 何を、とは聞かない。私は半ば諦めの気持ちで蛇の姿になった。

 服の間から這い出ると、雪平は私の鱗を撫でる。頭を、腹を、尾を確かめるように優しく撫でる。他の人に漏らしたら殺してやる、という脅しを込めて私は雪平の首に巻き付く。

 それでも雪平は動じなかった。

「怯えているんだろう。大丈夫。僕は言わないさ」

 そうしてもらわなければ私の、私たちのお先は真っ暗と言わざるを得ない。

 私は会話をするために人の姿に戻った。裸に慌てる様は普通の男なのだけれどと思う。

「本当に言わないでいてくれるの?」

「もちろんさ。言ってしまったら君が困るんだろう?」

「そうよ。勘違いしているようだけれど、困るのはあなたもよ。命だって危ないんだから」

「肝に銘じておくよ。なぁ、君たちは何なんだい?」

「さっきも言ったでしょ。化け者。化ける者っていう意味なんだけどね。獣の中にたまにいるのよ。化けられる者が。江戸には結構いるのよ。狐に狸、蛇に鼬に烏、猫。みんな人に化けて江戸で暮らしているの。山から下りてきたばかりだけど、私も今日から江戸の住人よ」

「そんな事が本当にあるのか……知らないというのは恐ろしい事だなぁ」

「そうよ。知らないって事は恐ろしいのよ。ここはね、蛇長屋なのよ。あなた、毎晩追い出すために嫌がらせされているそうだけれど何ともないの?」

「嫌がらせ?」

 雪平は首を傾げ、それからポンと手を打つ。

「もしかして閉めたはずの戸が開いていたり、夜中に急に皿が落ちてきたり、どこからか寂しそうな笛の音が聞こえてきたりする事かな。僕はどちらかというと夜はぐっすり寝てしまうからな、なかなか気が付かないんだよ。寝ていたら水が降ってきた事もあったが、さすがにその時は目を覚ましたな」

「信じられない。呆れた人……」

 言いながら、私は思わず笑ってしまった。

 蛇長屋はどこも閉鎖的な雰囲気になるのだけれど、ここは雪平のおかげで明るい雰囲気があった。近所の人間たちが寄り集まる部屋なんてもっての外なんだけれど、私は好きだ。

「またお前たちの事、教えてくれるかい?」

「いいけれど、気付かれないように気を付けてよね」

「分かっているよ。それじゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」

 私は忙しかった今日、やっと自分の部屋に帰ってきた。もうすっかり日が落ちて、部屋の中には月明りさえ差し込まない。

 そういえば夕飯を食べていなかったなと思い立ち、パタパタと走る小さな足音に耳を澄ます。鼠の一匹くらいいるだろうと思ったのだが、ここは蛇長屋。残り物はいないらしい。

 仕方がないので外で食べようか、そんな事を考えていると羽音が聞こえた。

「馬鹿だなぁ」

 獣の声でそう聞こえた。他の人間たちには「カァ」とでも聞こえているのだろう。

「なによ。馬鹿にしに来たのね」

 体を起こすと、格子窓に一羽の烏が止まっていた。そいつがまた言う。

「そうさ。馬鹿だなぁ。本当に馬鹿だ。人間に明かしちまうなんてさ」

「聞いていたの?」

「見ていたのさ。子供らが罠に掛かるところからずっとね」

「嫌な奴ね。だったら助けを呼びに来てくれたら良かったじゃない」

「なんでオイラがそんな事をしなきゃならないのさ。訳が分からないよ」

 烏は翼を広げ、フンと鼻を鳴らす。

 烏はこれだから嫌いだ。他人を馬鹿にする者が多いのだ。しかも、それが的を得ているから質が悪い。あぁ、嫌いだ。惨めな気持ちはたくさんだ。

「さっさと帰って頂戴」

「なんでさ。オイラは見てたんだぜ? 邪険にするのは不味いんじゃないかな」

「脅そうっていうの?」

「そんなつもりはないさ。興味ないしね。ちょっと聞きたいだけさ」

「なにを?」

 雲の隙間から月が顔を出し、烏を照らす。

「見捨てれば良かったじゃないか。もしくはあの二人だけが化け者だって明かすとかさ、やり方はいくらでもあっただろうに」

 私は返事に困った。どうしても思いつかなかったとは言いたくないのだ。

「仕方がないでしょう。見捨てられないし」

「へぇ、本当に馬鹿なんだなぁ」

「うるさいわよ」

「あの男の事を信じるのかい」

「信じるわ。少なくとも、あんたよりは信じられるもの」

「馬鹿だねぇ。とことん馬鹿だ。人間を信じるなんてどうかしてる。オイラたちは化け者なんだぜ? 人間にとっちゃ怪談話みたいなもんさ」

「もう! 放っておいて頂戴よ!」

 怒鳴ると、烏は「馬鹿馬鹿しい」と言って飛び去ってしまった。

 私だって本当はそう思っている。人間の目に、化け者はどう映るのだろうかなんて考えたくもない。それでも彼は、撫でてくれたんだ。


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