第二話

厚かましい猫

 あれから、雪平は何故か私に絡んでこない。それが気になって仕方がないのだ。だからこうして今日も、雪平の仕事ぶりを監視している。

 朝から彼の部屋に入ったのは入り浸っているおじいさんが二人、少し話してすぐに帰っていった体格のいい男が一人、朝帰りらしいふらふらの男が一人、絡繰り細工らしい六面体を持ってきた若い男が一人だ。この人はがっかりした顔をしてすぐに帰ってしまった。

 男というのはどうも謎が好きらしい。どこがいいのだか分からないが。

 自室の戸の裏に隠れて覗いていると、入り浸っていたおじいさん二人がふらふらの男の両脇を抱えて出てきた。

 私は思わず顔を引っ込める。

 おかげで最近はずっとこの調子だ。繕い物の仕事がはかどらなくていけない。それもこれも、雪平が私に話しかけてこないのが悪いのだ。

 私は一世一代の秘密を話したというのに、まるで何でもない事のように。

 むつくれた気持ちで室内に戻ると、そこに女がいた。知らない女だ。女はにやりと笑ってこちらを見ている。はて、ここは私の部屋だったはずだが。

「どちら様ですか」

「あんた、人間に話したんだってね? 烏がぼやいているのを聞いたわよ」

 女は手の甲で顔をくしくしと擦りながら言った。

 それよりもだ。烏の奴、他の奴に聞かれてしまっているじゃないか。わざとではないのだろうか。興味がないと言っていたくせに、信用も何もあったものではない。

「勝手でしょ。それより何の用なの」

「あんたに用はないわよ。ちょっと馬鹿にしに来たのよ。もっと上手くやればいいのに」

「大きなお世話だわ」

「私に用がないなら何しに来たの? 本当に馬鹿にしに来ただけなの? それより誰なのって聞いてるのに」

 女はペロッと舌を出して見せる。

「ねぇ、他にやりようがあったでしょ? あんた、本当は話したかったんじゃないの?」

「そ、そんなわけないでしょ」

 嫌なところを突いてくる奴だ。確かに山を下りたばかりで非日常を求めていた事は確かだ。だからと言って話してしまいたかったかと言えばそうではない。

 私は、自分を知ってほしかったのかもしれない。いや、同じことか。

「ねぇ、質問に答えてよ。一つも答えてくれないじゃない」

「そうかしら? 仕方ないわね。私は猫よ。猫のおふた。よろしく」

 おふたは器用に、人間の体に二股に分かれた黒い尾を現した。

「それで? 何をしに来たのよ」

「仕事の依頼よ。謎を解いてもらいに来たの。だからあんたに用はないの。じゃあね」

 おふたは言うなり、部屋を出て行ってしまった。私は慌ててそれを追いかける。

 二人で競るように部屋へ入ると、雪平は少し驚いた顔をした。

「やぁ、いらっしゃい、おさくちゃん。と、そっちはどなたかな?」

「あたしはおふたよ。よろしく。雪平さん。謎解き屋なんですってね? あたしはお客よ」

 おふたは雪平の太ももに手を当て、体を擦り付けるようにして話す。

 それを見ると、何故だか異様に苛ついた。

「ちょっと! 近すぎるんじゃないの」

「あら、別にいいじゃない? あんたの物でなし」

「そんな事は関係ないでしょ。離れなさいよ!」

「嫌よ。何であんたにそんな事を言われなきゃいけないの」

 そんなこんなゴタゴタしていると、雪平がポツリと「もしかして、猫か」と呟いた。

 おふたが大きく溜息を吐く。

「す、すまない。あまりに動きが猫のようだったから、つい。気にしないでくれ」

 言った雪平の方が慌てふためいている。

「あんたのせいよ。こうやって他に迷惑がかかるんだから、ちゃんと考えて行動しなさいって言ってるのよ。どうしてくれるのよ。人間にばれたなんて知られたら笑いものよ」

「なによ。あんたがあんなに猫みたいに動くからでしょ。私のせいじゃないわ」

「あんたが教えていなかったら猫か? なんて考えもしないでしょ」

 それから私は、おふたが依頼について思い出すまでしこたま叱られたのである。

「じゃあ、本当に猫なのか?」

「そうよ。猫は尊いのよ。今日は仕方ないから触らせてあげる」

 おふたは、また人間の体に猫の尾を生やして、その尾で雪平の頬を撫でる。

「気を付けてね。猫は強かだから」

「ははっ。そうかい」

 満更でもなさそうな顔に、またムッとした。

「この調子なら依頼ってのも本当か分かったものじゃないわ」

「あら、それは本当よ」

 おふたは尾をしまい、それから少し項垂れて「困っているのよ」とこぼした。

「話を聞きましょうか」

 雪平はスッと真面目な顔をする。この顔を見ると、胸がざわつくのは何故だろう。人間になったばかりの私には分からなかった。

 おふたは本当に仕事の依頼に来たらしかった。

「あたしは所謂、お妾さんなのよ。それで今朝、与えられた家で男と寝ていたら無い無いって騒ぎだして。あの人は根付道楽なんだけどね、そのうちの一つが無くなったっていうのよ。それも相当な、そうね十両はする物らしいの」

「十両⁉」

 私が思わず声を上げると、おふたはシュンと肩をすくめる。

「あたしが盗ったんだって疑われているのよ。でも本当に知らないの」

 おふたは上目遣いで、縋るように雪平を見る。

「なくなったのは今朝なんだな?」

「そうよ。朝起きたら無くなっていたの。それで、毎朝それを眺めていたあの人が気づいて。昨日の昼には確かにあったらしいわ」

 どうも、その男は奥さんに隠れて買い集めるために、妾であるおふたの家に根付を置いているらしい。

 それよりも、私には気になる事があった。

「ちょっと待って、おふたさん」

「なによ?」

「お妾をしている男の人と、昨日その家で一緒に寝ていた男は別人ね?」

「えっ⁉」

 今度は雪平が声を上げる番である。

「そうよ。そう言ったじゃない」

 おふたの返事はあっさりしたものである。猫はこれだから嫌なのだ。

「ちょっと待ってくれ。囲ってもらっている家で、それ以外の男と寝ていたっていうのか? どうして? え? 怒られるだろう?」

「そりゃあ嫌な顔はされたわよ。でも普段は見つからないようにやっているのよ」

 雪平は頭を抱え「信じられない」と呟く。

「それで? やってくれるの?」

「やるさ。やるけれど……」

「ありがとう。報酬は糸問屋、かいこ屋の店主の喜左衛門が払うわ」

「それってもしかして、妾をしているお相手かい?」

「そうよ。もちろんじゃない」

「一体どういう神経をしているんだ」

「あら、褒めてくれるの?」

「褒めた覚えはないぞ。それで、夕べ侵入者があったとかいう事はないか」

「ないわよ。あたし、眠りが浅いのよ。だから誰かが来たらすぐに分かるわ。でも、そういえば昨日はよく眠れたわね。おかげで肌つやがよくって」

 おふたは嬉しそうに自分の頬を撫でる。

「その喜左衛門さんがおふたさんに濡れ衣を着せようとしているって事はある?」

「ないわね。あの人はそんな策を練れるような人じゃないわ。怒りっぽいけれど純粋な善人なのよ。まぁ、妾を囲うくらいだからいい夫ではないのかもしれないけれど」

「そうかい。それじゃあ次は一緒に寝ていた男について聞きたいのだけれどね」

「それなら会ってみた方が早いわ。行きましょう」

 おふたはそう言って雪平の腕に手を絡める。

「ちょっと! それやめなさいよ! 男が二人もいるくせして」

「何であんたに言われなきゃいけないのよ。私の勝手じゃないの。こんな美丈夫なかなかいないわよ」

 まったく、厚かましい猫である。


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