五文の粥
それからどういう訳か、雪平は蛇長屋の方へ戻って行った。そして、その前を横切って入船町の方へ。
「ねぇってば。どこへ向かっているの?」
「さぁな。僕にもさっぱりだ」
「なんの冗談なの。あなたは確かに何処かへ向かっているじゃない」
「そうなんだよなぁ。たぶんこっちで合っていると思うんだが」
「だからどこに向かっているのって聞いているのに」
「さぁな」
さっきからこの調子で埒が明かない。この雪平は、人間の中でも変わり者の部類に違いないだろう。私はそう確信した。
そうこうしていると雪平は今度、通り過ぎる男たちに手あたり次第に声をかけ始めた。
「ちょっといいかな。この辺で粥でも食べさせてくれる露店はないかい。たぶん安いと思うんだが」
「さぁなぁ、知らないな」
「そうかい、ありがとうな」
そう礼を言ったそばから
「あ、ちょっと。いいかな。この近くで粥を食べさせてくれるところは」
こんなものである。
いったい何をしているのだろうか、そんなに腹が減ったのならばその辺の店に入ればいいものを、と思いながらも後を付いて行く。
だいたい、相手がもし獣の姿をとっていたとしたら雪平に見つけられるはずがないのである。それこそ、化け者でなければ無理だろう。
そうとも知らずに気の毒なものだと思っていると、どうもお目当ての粥の露店を知っている人に当たったらしい。
「向こうの橋の下でやっているよ。可愛らしい店主だが、味は良かったよ」
「そうかい。助かった。ありがとうな」
そう答えると、雪平は足取りも軽く橋の下へ向かう。
「そんなにお粥が食べたかったの?」
「そう思うかい?」
「違うの?」
「僕が今している事は調査だったと思うんだがなぁ」
「私もそう思っていたけれど、おなかが空いたのでしょう?」
「はははっ。確かに腹が減っては戦もできぬとは言うがね。僕は今だって調査を続けているよ。盗まれた物を考えてごらんよ。米だろう?」
「生姜に、人参だったかしら」
「そう。美味しい粥が出来そうだろう?」
「まさか、盗んだ物で商売をしているっていうの?」
「僕はそう思うね。現にこうして粥の店はあったわけだし」
私は半信半疑で雪平のあとに続く。気になる事は色々あった。場所の特定はどうやったのだろうとか、なぜ安いと思ったのだろうとか。
しかし、聞いてしまうのはなんとなく負けた気がしていけなかった。
橋に近づくにつれ、クツクツという音と醤油のいい香りがしてきた。それに合わせて可愛らしい声も聞こえる。
「いらっしゃい、いらっしゃい。薬膳粥、一杯五文だよ。安いよ、安いよ」
なんと、そこにいたのは蛇長屋の前で今朝見た狐と狸の子供二人だった。狸の子が料理を作り、狐の子が呼び込みをする。
二人は私たちを見るとニコッと笑い「いらっしゃいませ」と言った。
「いやいや、僕たちはお客じゃないんだ」
雪平がそう言うと、二人は顔を見合わせて首を傾げた。
「じゃあ何か用なの?」
狸の子が聞く。
「あぁ、そうさ。君は山八屋の息子だね。僕は山八屋の蔵から薬種が無くなる理由を探してここまで来たんだ。もちろん、おあげ亭からもね」
聞くなり、二人はビクッと体を震わせて後退った。
「怯える事はないさ。取りあえず話を聞かせてもらえないかな」
二人はまた顔を見合わせ、こそこそと何ごとか話し合った。そして意を決したように二人並んで頭を下げ「盗んでごめんなさい」と言った。
「盗んだ事は認めるのね?」
私が聞くと二人は頷いて、それからゆっくりと理由を話してくれた。それはつまり、狸と狐であるがゆえの悩みであった。
「うちはき……」
そこまで聞いて、私はガッと狐の子の口を塞いだ。
うちは狐だから、なんて言われたら困ってしまうのである。どうも父たちが寄越した獣の仲間だと思ったらしい。
私は二人に耳打ちをした。「彼は人間だ」と。すると二人は手を口に当て、何度も頷く。
「何を話しているのか、僕にも教えてもらえるかな」
雪平が焦れたように言った。
「えぇ、もちろん。二人の名前を聞いていたの。ね? おあげ亭の子は弥太郎だったかしら」
「はい。僕はおあげ亭の息子の弥太郎。で、こっちが山八屋の息子の勘次郎です。僕たちは、その……盗んだのは悪いと思ってるけど、夢があって!」
「ほぅ。盗みを冒してまで叶えたかった夢とはなんだろうな」
雪平に意地悪くそう言われると、弥太郎は黙ってしまった。慌ててわき腹を小突くと、雪平は「夢を持つのはいい事だ」なんて白々しい事を言い出した。
その甲斐あってか、弥太郎はまた話し出す。
「僕は小間物屋になりたいんだ。でもうちは代々、食べ物屋って決まっていて」
「僕だってそうだよ。僕は薬種問屋を継ぐことが決まってるんだけど、本当は薬膳料理の店が出したいんだ。だから弥太郎とこっそり……」
勘次郎がシュンと首を垂れる。
「こっそりと薬膳粥を五文で売っていたんだな? その売り上げはどうした」
「いつか弥太郎が小間物屋をやる金にしようって、取ってあるよ」
一杯たった五文ではたいした売り上げにはならないだろう。そんな金では店なんか出せない事は江戸に下りたばかりの私にだって分かる。それでも二人は信じているのだ。頑張ればいつかは叶うと。
叶えてやりたいと思う反面、狐や狸がそれ以外の商売をしたなんて話は聞いた事がない。
「そうか、事情は分かった。正直に話してくれてありがとうな」
雪平は二人の頭を撫で、スッと立ち上がる。
「父さんたちに言うの?」
弥太郎が小さな声で震えるように聞く。
「どうかな。できるだけ言わずにおきたいとは思っているけれどね」
「そ、そう。ありがとう」
分かりやすく喜ぶ二人には「言わない」と約束した訳ではない事は分からないのだろう。
今尻尾が見えていたのなら、二人はぶんぶんと振っていた事だろう。
私は歩きだす彼を追いかける。時刻は正午過ぎ、彼は永代橋のかかる近くの蛇長屋に向かっているように思われた。彼はしきりに唸り声をあげる。
「どうするつもりなの?」
「さて、どうしたもんかな。好きにやらせてやりたい気持ちもあるけれどね。だいたい、親同士の中が悪すぎるのがいけないんじゃないか。そうじゃなければ、こんなにコソコソしたりしなかっただろうに」
私はそれを聞いて案外いい人なんだな、なんて思った。
「それより、どうして子供たちがあそこで粥を売っているって分かったの?」
「ん? 今朝、二人は家の前を通ったじゃないか」
「そうだけど、盗んだのが子どもたちだって、あなたは知っていた風だったじゃない」
「食糧棚の所に獣の足跡、それから少し離れたところに子供の足跡。あれはきっと、弥太郎が獣を使って自分の足跡を消したんだよ」
「へぇ。そうだったの」
でも推理はトンチンカンらしい。それも、化け者の存在を知らないのだから仕方ないが。
「どうやって報告したらいいか考えなくちゃね」
私がそう呟くと、雪平はグッと顔を近づけてきて囁く。
「僕はお前が何を隠しているのか、そっちの方が気になるけれどな」
「そ、そんな事……女の秘密を探ろうなんて無粋だわ」
「ははっ。いいさ。今は見逃してやろう」
どうも謎解き屋としての力量は確からしい。これは女将に言われた通り、雪平と関わるのは避けた方が良さそうだ。
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