調査
私たちは馬鹿々々しくもおあげ亭の前を通り過ぎ、永代橋を渡り、南八丁堀付近までやって来た。山八屋はすぐ近くだ。
「無くなったのは蔵にあった物ばかりだが、まずは店の方を見てもらう」
「何故です? 蔵から無くなったのなら蔵を調べた方がいいでしょうに」
雪平は首を傾げる。言っている事は至極真っ当である。
「い、いいや。店にも私が見落としている物があるかもしれない。どこに何があるか分からないだろう」
「それは確かにそうですが」
「そうだろう。では決まりだ。良いな」
「はぁ」
雪平は納得のいかない顔をしながらも頷いた。
恐らく、蔵では狸の姿をした狸たちが働いているのだろう。狸が二本足で立って帳簿をめくるところなど、絶対に見られる訳にはいかない。狸親父は必死だ。
狐がそれを含み笑いで見ていると狸と狐は、今度は足の踏み合いを始めた。
そんな事をしていると、あっという間に店に着いた。
薬種問屋の店先ではたくさんの人が行き交っている。その誰もが狸というわけではないだろうが、私にも見分けがつかないくらい上手に化けている。
とはいえ、よくよく臭いを嗅げば分かるのだけれど。狸や狐なんかの毛のフサフサした生き物は、化けてもその臭いが消える事はない。
「さぁ、お兄さん。どこから手を付けるの?」
「おいおい、お兄さんは恥ずかしいじゃないか。名前で呼んでくれよ」
「雪平さん?」
「あぁ、それでいい」
雪平はポンと私の頭に手をやると「その辺で座ってな」と言った。
「あら、失礼しちゃう。私だってきっと役に立つっていうのに」
「そうかい。それじゃあ床下でも見てもらおうかな」
「お安い御用よ」
私は返事をするより早く床下に潜り込んだ。
「なんだって? おい、おさくちゃん。冗談だよ。出ておいでってば」
雪平のそんな声も無視して、私は床下を這いまわる。人間の体は這いまわるには少し面倒だけれど、それでも体をくねらせて奥まで見て回る。
しばらくして這い出ると、雪平の他に店の男たちまで覗き込んでいた。
「あら、皆さん。どうされたの?」
「どうされたのじゃないよ。女の子がこんな埃まみれになって。蜘蛛まで連れて来ちゃっているじゃないか。冗談くらい分かってくれよ」
「でも私にだってできたじゃない。床下には誰もいなかったし、穴も開いていなければ縄みたいな罠だってなかった。盗人はきっと床下は使っていないのね」
ドッと笑い声が響いた。
「こりゃあ、いい相方を手に入れたもんだな」
「違いない」
私は何を笑われているのか分からないまま、また雪平にポンと頭を撫でられる。この人はきっと遊び人に違いないと思った。こうして女の人を落して遊んでいるに違いない。
もしかすると、蛇長屋に住んでいるのもそういう理由かもしれない。蛇の女は美人が多いから。だから平凡な私はいつも姉に馬鹿にされていた。
蛇の姿にしたってそうだ。姉は真っ白な美しい艶のある鱗で、私はありきたりな緑の鱗。
「おい、謎解き屋。準備ができたぞ」
しばらくすると狸親父がやってきて、そう言った。
今度、雪平は店を調べていた時と違って真面目な顔になって蔵に入る前から、地面や鍵穴なんかを入念に調べていた。そうかと思ったら梯子を持ち出して屋根にのぼったりと、随分と身の軽い人のようだ。
あまりに真剣なので、私と狸親父も狐も蔵の中に入れずにいた。
蔵の中には狸一匹いなかった。
「ところでご主人。お子さんにはもう仕事を教えているんですか?」
雪平が聞く。
「あぁ、少しずつね。あれは覚えがいいからきっといい店主になるよ。だが、近ごろはどこぞの息子に唆されて遊んでばかりで困ったもんだよ」
「それはこっちの言葉ですよ」
狸と狐は、二人してフンと鼻を鳴らす。
「では、息子さんは蔵にも?」
「ん? まぁ、入ろうと思えばいつでも入れるさ。鍵のある場所は教えてあるからね。それより、どうなんだ。謎は解けそうなのかい」
「えぇ、まぁ、何とか。今日も盗まれた物はありますか?」
「あぁ、それがあるらしいんだよ。私がお前さんのところへ行っている間にね。えっと、今日は甘草と生姜だな」
「そうですか。謎を解くにはもう少し時間がいります。数日お待ちください。さて、では次はおあげ亭ですね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。うちはもういいのか? 調べるところは?」
「調べられるところはあらかた調べましたから」
「そうかい。それならいいんだが。謎が解けたらいの一番に知らせに来るんだよ。それまでは金は払わないからね」
「はい。承知していますよ」
それから私たちは狸親父を置いて、狐と三人でおあげ亭へ戻る。
歩きながら狐が言った。
「お金の話ですがね、私も解決してからという事でよろしいですか。値段は六十文でいかがかな。あとは働きに応じてという事で」
基本的に狐は守銭奴なのだ。金の計算については間違いない。
「構いませんよ」
雪平は心なしか嬉しそうだ。普段は飯や物でもらっていると言っていたから、金になる事の方が珍しいのだろう。
「ところでお子さんたち、随分と大荷物でしたがどこへ遊びに行ったのでしょうね」
「さぁね、聞いても答えないんです。困ったもんですよ。最近は飯屋になりたくないなんて言い出す始末で」
「それは大変ですね。息子さんは一体何になりたいと?」
「小間物屋だそうですよ。まったく……」
狐はフリフリと頭を抱える。
おあげ亭に着くと奥さんは裏で洗濯物を干していた。
「おーい。帰ったぞ」
「はーい。おかえりなさい」
出てきた奥さんは愛想が良く、さすが料理屋の妻といった様子だ。
「おい、弥太郎の奴、また狸の倅と遊びに出掛けたみたいだな」
「あ、は、はい。そうなんですよ。止めたんですけどね。でも仕方がないんじゃありませんか。子供ですし」
「そうは言ってもなぁ」
弥太郎というのは、狐の子供の名前のようだ。言い淀んだ様子を見るに、奥さんは子供の味方なのかもしれないと思った。
「それであなた、そちらは?」
「あぁ。謎解き屋さんを連れてきたんだ。これで野菜が無くなる理由が分かるぞ」
「そ、そうですか。よろしくお願いします」
奥さんは頭を下げたが、フッと目を逸らしたのを私は見た。
「じゃあ謎解き屋さん、こっちへどうぞ」
私たちが案内されたのは、店の奥にある小さな食糧棚である。そこには大根やら山芋が並んでいたり、玉ねぎがぶら下がっていたりする。
「それで、今日は何を持って行かれましたか」
「ちょっと待って下さいよ。えっと……米が少しに蓮根、人参、大葉ってとこですね」
「そうですか。少し見せてもらいます」
雪平はそう言うと、おもむろに地べたに這いつくばった。
しばらくそうしていると、雪平は口を開く。
「猫なんかは飼っていないでしょうね?」
「猫? いいえ」
狐は眉を顰める。
「いえね、ここに獣の足跡があるんですよ。でも歩幅が狭すぎる。まるで二足歩行でもしているようだが、そんな訳はありませんからね。でたらめに歩き回ったんでしょう」
冷や汗をかいたのは私だけではない。もちろん、狐の主人も裏で洗濯物を干している奥さんもだ。
しかし、どういう事だろう。やはり同業者の嫌がらせだろうか。あるいは狸からの嫌がらせか。そちらの方があり得そうだ。
雪平は獣の足跡を追って行った。
「駄目だ。他の足跡で消えてしまっている。ここからは子供の足跡が残っているばかりだ」
「じゃあ、調査は終わり?」
「まさか。これからだよ。獣が米を袋に詰めていけるはずがないんだからね」
「そ、そうね」
これは困った調査になりそうだと、私は内心で頭を抱える。
狐の主人からは、お前が何とかしろよと言わんばかりの視線が送られている。
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